2.未知なる紅茶〈Iced Tea〉④

 夕食を食べ終え、自室に戻るなり芽依に訊かれた。


「あやめちゃん、旦那とけんでもした?」

「喧嘩ってわけじゃないけど……」


 確かに、夕食の席は空気が悪かった。

 今晩も芽依を泊めることになり、不機嫌極まりない秀二さんは食事を終えるとさっさと自分の部屋に引き上げてしまったし。

 食事のあとはそれぞれ自室に戻るのが平常どおりとはいえ、いつもなら秀二さんが食後の紅茶を淹れてくれたり、ちょっとした会話の一つや二つくらいはあったりするのに。


「まぁ、あたしのせいなんだろーけど?」


 軽い口調ながらも、芽依の気遣いを感じた。壁際に座った芽依の隣で、私も三角座りになってみる。


「芽依は、どうして家出したの?」

「それ訊いちゃう?」

「教えてくれたら、何か力になれるかもしれないし」


 そっかー、どーしよっかなーって一人でぶつぶつ言ってから、芽依はようやく教えてくれた。


「うち、小学生の頃に親が離婚してて、お母さんとずっと二人暮らししてたのね」


 自分と重なる部分にドキリとする。


親父おやじは殴るし勝手に貯金使い果たしちゃうわでサイテーのやつだったから、離婚したのはよかったんだよ。お母さんと二人でがんばってこうってあたしはずっと思ってたわけだし」

「偉いね」

「でしょー? ……なのに、急に再婚するとか言いだすから」


 私の場合は、男運のない母親のことなので、再婚を考えてるって言われても「ハイそうですか」としか思わなかったけど。

 やっぱり普通はそうじゃないのだろう。


「寂しい?」

「そうじゃないけど……なんか、裏切られた感があるっていうか」

「二人でがんばってきたから?」

「そう」

「相手の人には会ったの?」

「会った。少なくとも、親父よりは百倍まともそうだった」

「ならよかったじゃん」

「よかったかもしれないけど私はよくないの! だけど、みんながよかったよかったって言ってきて周りは敵だらけって感じだし……」

「それで家出てきたの?」

「……最初は幼なじみの家に行ったんだけど、そいつまで『よかったじゃん』って言ってくるし、なんかもう色々ムカついちゃって」


 そのときのことを思い出したのか、芽依はわずかに頰を上気させて語気を荒らげた。自分でも感情の整理がついていないのかもしれない。


「みんなが『よかった』って言ってくるのが嫌?」

「それもあるけど……不安?」

「あー……確かに、他人と暮らすのって不安だよね」


 ここ最近の自分の状況を踏まえてしみじみとそう口にしたら、「ホントに?」と芽依は懐疑的な目を向けてきた。


「だってあやめちゃん、結婚して二人で暮らしてるんでしょ? 家庭内別居だけどさ」

「そ、それはそうだけど」

「嫌になることない? こいつとはもうやってけないって思うこととかさ。そもそも、夫婦って関係があたしには理解不能なんだよ。赤の他人が一緒に暮らすわけじゃん? そりゃうまくいかないよ」

「言いたいことはわかる」

「ホント?」

「うん、ホント。私も実は、お母さん離婚してて母子家庭なの」


 芽依の表情がたちまち明るくなった。


「だからわかるよ。うちのお母さんもうまくやれない人だったし。──でも、世の中にはうまくやれてる夫婦もそれなりに……というか、たくさんいるとは思う」


 明るくなった芽依の顔が、たちまち「がっかり」に変わる。


「あやめちゃんもうまくやってるの?」


 秀二さんに言われた「うまくやってください」を思い出しつつ、「まぁ」と答える。芽依は私の噓を見定めようとするように、じっとこちらを見つめている。


「噓じゃないよ」


 なんて口にしたものの、超絶噓っぽい。


「じゃあ、お手本見たい」

「え?」

「あたし、いい夫婦のイメージがまったくわかないんだよね。そういうお手本が周りにいなかったし、だから不安になるのかもって今思った。あやめちゃんたちがそういうお手本見せてくれたら、あたしも安心して家に帰れるかも?」


 芽依はにっこりというよりはにんまり笑った。どうやらここに長期間居座る腹づもりらしい。



 洗面所から出てきた秀二さんは、私の姿を認めるなり、濡れた髪を拭いていたタオルの手を止めた。


「……ルールにはありませんが、人の風呂を覗く行為は倫理に反しますね」


 廊下のすみで膝を丸めて座っている私を、秀二さんは冷ややかに見下ろす。


「誰も覗いてませんし! お風呂から出るのを待ってただけです」

「だからって、こんなところで待ち伏せしなくてもいいでしょう」


 私は立ち上がり、秀二さんを洗面所に押し戻して自分も中に入ると扉をきっちりと閉めた。風呂の蒸気で洗面所は暑く、たちまち汗がにじんでくる。


「なんですか」

「芽依に聞かれるとまずいんで……」


 洗面所には洗濯機と洗面台もあって狭く、大人二人で定員オーバー、向かい合うと予想外に近い距離から見下ろされる形になって思わず身じろぎした。

 二人きりになる場所を間違えたかもしれない。


「それで? 家出少女の悩みは解決できたんですか?」


 なのに秀二さんは顔色一つ変えずいつもの口調で、気抜けすると同時になんだか悔しくなる。私は距離の近さを意識しないように努めて話を切り出した。


「その……解決するために協力してもらいたくて」

「協力?」

「いい夫婦、だそうです」


 事情を説明すると、秀二さんは眉間のしわを深くしてこめかみを押さえた。


「珍獣同士で話をさせたのが間違いでした……」


【次回更新は、2019年8月14日(水)予定!】

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