2.未知なる紅茶〈Iced Tea〉⑤

   ◇◆◇


 度の合っていないメガネにも慣れてきたらしい。翌日の朝食は通常どおり、秀二さんが用意してくれた。

 いただきます、と手を合わせ、ひと口食べた私は声を上げた。


「今日のサンドイッチ、いつにも増しておいしいです!」


 秀二さんと芽依の視線が私に向く。そうしてあつられたような間のあと、秀二さんは「そうですか」と素っ気なく応えた。


「何か変えたりしました?」

「平常運転ですが」

「そうなんですか? ……あ、じゃあ、今日も秀二さんと一緒にご飯を食べられて幸せだからおいしく感じるのかもしれませんね!」


 今度は素っ気ない返事すらもらえず、芽依にまでげんな目で見られてしまい、ダイニングテーブルに額を打ちつけたくなった。

 朝食を終え、芽依が外の掃除をしてくると先に出ていったのを見届けてから、私は秀二さんに詰め寄った。


「ヒドいじゃないですか!」


 は? と思いっ切り目を細められた。

 メガネの度が合っていないせいで、秀二さんの目つきは本当に悪い。


「なんで話を合わせてくれないんですか!」

「なんのことです?」

「さっき! 朝食のとき! あれは『夫のちょっとした変化にも気がつく妻』の設定なんですから、いつもと違うサンドイッチを作ったていの返事をしてくださいよ! 困って変なこと言っちゃったじゃないですか!」

「……いつもと同じサンドイッチなのに、どうしてそんなアホな噓をつかないといけないんですか」

「いい夫婦のお手本を見せるために決まってるでしょう!」


 逃げようとする秀二さんの腕を摑んで引き留める。


「芽依のためにもちゃんと考えてくださいよ!」

「なんでそこまでしないといけないんですか。それにそもそも、手本になるような『いい夫婦』ってなんです?」

「それは──」


 即答できない。むしろ答えを私に教えてほしい。


「……なかむつまじい夫婦?」

「それなら、喧嘩をせずに普通に生活していれば十分ですね」

「そりゃ、本物の夫婦だったらそうでしょうけど……」


 私たちはあくまで他人だ。

 ここで暮らし始めて二週間ほど、やっと生活のペースが摑めてきたところなのだ。それに仕事と食事以外は基本的に別行動だし、仲睦まじくなんて見えるわけがない。

 私の言いたいことを察したらしい。秀二さんは面倒そうに、腕を摑んでいた私の手を剝がした。


「わかりました。協力します」

「え、本当ですか?」

「少しは、です。こちらとしても、家出少女をいつまでも置いておくわけにはいきませんし。──ただ、」


 秀二さんは私を見下ろして鼻先を指さした。


「アホな噓をつかれても反応できませんよ」

「じゃあ、どうしろっていうんですか?」


 膨れた私に、秀二さんは少し考え込んでから答える。


「互いを尊重している雰囲気が出せればいいんじゃないですか? さいなことでも褒め合うとか」

「そんなことでいいんですか?」

「『そんなこと』と簡単に言いますが、意外と難しいと思いますよ。揚げ足を取らない、嫌味を言わない、相手をバカにしない、といったことを意識しないと」

「それ、普段から意識してもらえません?」

「嫌ですよ、面倒くさい」

「面倒なのはどっちですか」

「そうやってすぐに嚙みついてくるのも禁止で」


 なんだかとっても難しそうな気がしてきた。



 難易度の高いゲームに挑戦するような心地のまま開店準備を進め、午前十一時、《渚》をオープンさせた。

 今日も快晴、客入りは悪くない。

 開店して三十分も経たないうちに、フロアを回っていた芽依が洗い場にいた私に声をかけた。


「あやめちゃん、今朝書き直してた外の黒板のメニュー、値段が間違ってたよ」

「え、ホント? ごめん!」

「チョーク貸して。直してくるよ」


 芽依に謝りつつチョークを渡して洗いものに戻る。


「確認したつもりだったんだけどなぁ……」


 凡ミスとはいえ、お金に絡むミスだけにちょっとヘコむ。

 すると、近くにいた秀二さんがまるで励ますように微笑を向けてきた。


「うっかりミスは誰にでもあるものですし。普段からよくやってくれてるんですから、もっと自信を持ってください」


 滅多に見られない優しい表情と台詞に、返す言葉を見失う。


「あ、ありがとうございます……」


 耳の先まで熱くなっていくのを感じ、そっと秀二さんの顔を見返した。

 ──すると。


「……すみません」


 肩を小刻みに震わせ、秀二さんは俯いた。よく見ると必死に笑いをこらえている。


「どうかしたんですか?」

「いえその……陳腐な噓をついてしまったなと」

「陳腐……ちょっ、それヒドくないですか?」


 秀二さんは笑いすぎて、しまいには手の甲で目元を拭う。


「まぁ、よくやってるとは思っていますよ。何かと雑でガサツなのは否めませんが」


 うっかり感動した私がバカだった。


「私の感動、返してくださいっ!」

「むしろ、あなたを感動させられたことを褒めてもらいたいくらいですね」


 なんてやり取りを、気づいたら芽依に見られていた。早速ゲームオーバーだ。



【次回更新は、2019年8月16日(金)予定!】

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