1.花咲く紅茶〈Shalimar Tea〉⑨

    ◇◆◇


『食事の用意は当番制とする』


 メモ帳に書かれたいかにも神経質そうな線の細い字を見て、私はすぐさま手を挙げた。


「当番制ってどういうことですか?」

「文字どおりです。平等な条件の下で共同生活をするのなら、当番制にするのが一番でしょう」

「私、二食に一食がサンドイッチになるなんて嫌なんですけど」


 ダイニングテーブルの向かいに座った佐山さんが、途端に不満そうに眉根を寄せた。


「おいしいって言ってたじゃないですか!」

「おいしいので、サンドイッチは今までどおり朝食だけにしましょう。昼と夜は私が用意します。あ、でも、風邪引いたり体調が悪かったりするときもあるじゃないですか。そういうときは臨機応変にできるといいですよね。助け合いっていうか」

「……どういう文章でルールにするんですか、それ」

「こんなの明文化しなくてもいいじゃないですか。家事は全般、いい感じに分担してやりましょう」


 佐山さんは盛大なため息をつきつつ、『食事の用意は当番制とする』の一文を二重線で消した。

 二重線で消されたルールの素案で埋め尽くされたメモを、佐山さんは切り取って丁寧に四つ折りにするとゴミ箱に投げた。


「あなたのせいでまったくルールが決まりません」

「佐山さんの考えるルール、細かすぎるんですもん。そんなに細かいこと決められても覚えられませんよ」

「不安だって言ったのはどこの誰ですか」

「そうですけどー……」


 唇を尖らせつつ、私はマグカップに手を伸ばした。夕食後に佐山さんが淹れてくれた紅茶は、長引くルール策定にすっかり常温になっている。


「あ、こういうのはどうですか? 『互いの部屋には入らない』」

「その心は?」

「誰かが勝手に人のお財布とか見ないようにするためです!」


 それは、と佐山さんは反論しかけたものの、思い直したのか私が口にした文言をメモ帳の新しいページに書きつけた。


「互いのプライバシーを尊重するという意味ではよさそうです」

「やった! 採用ですね!」


 そんな調子で、一時間以上かけて決めたルールを佐山さんが清書した。



1.互いの部屋には入らない

2.共同生活に関わることは一人で判断しない

3.本当の夫婦でないことは他言しない

4.どちらか一方の申し出により、いつでも関係を解消できる



「すごい、四つも決まりましたね」

「四つしか決まらなくて、私は現在、非常にがっくりしていますが」

「でも私、これでうまいことやれるような気がしてきました!」

「シンプルな構造の脳みそでうらやましい限りです」


 佐山さんの書いてくれたメモを何度も見返し、事実、私は満足していた。

 ルールの数自体は少ないかもしれないけど、こういうものがあるという事実がある種のどころに思える。

 安心の担保とでもいうか。

 なんだか世間からズレているし、すぐに家電を壊すという特技があるものの、佐山さんがあくまで理性的なキャラなのも心強い。


「……雇用契約書はこれとは別に作りますよ。時給×かける店での勤務時間から、光熱費・食費を折半したものを天引きする、といった形でしょうか。さすがにこれまでみたいに宿泊費の代わりに働けというわけにはいきませんし」

「計算は苦手なんでお任せします」

「ちゃんと確認してくださいよ」


 佐山さんは眉間を揉みつつ立ち上がり、ティーポットを手にした。


「紅茶、淹れ直します。あなたも要りますか?」

「ありがとうございます、


 キッチンの方を向いたまま佐山さんが固まったのに気づいた。


「すみません、夫婦のフリするなら『佐山さん』って呼ぶの微妙だなって……」


 こちらをふり向いた佐山さんは目を細め、そしてしばしの間のあと。


「わかりました、


 そのままにらうように見つめ合ったのち、耐えられなくなり二人して顔を伏せた。


「……すみません、思ったより恥ずかしかったです」


 私が謝ると佐山さんは顔を赤くした。


「先に呼んできたのはそちらでしょう!」

「でも私、『さん』づけで呼ばれたことなんてないですもん! あ、いっそ呼び捨てとか『ちゃん』づけはどうです?」

「絶対に嫌です!」


 赤い顔をごまかすように背を向けた佐山さんに思わず吹き出した。

 望んでやまなかった新しい生活に、子どもみたいに心が弾んでしょうがない。



【次回更新は、2019年8月4日(日)予定!】

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