1. WELL COME TO WONDERLAND(6)

 そうして小包を大きな紙袋に詰め、教えられた配送センターまで三往復した。気がつけばもう午後一時過ぎだ。

 お昼ご飯を食べて、それから銀行とかに行こう……。

 午後の予定を考えつつひつじ荘に戻ると、ダイニングからは香ばしい匂いが漂っていた。チーズを焼いたような匂い。前園さんがお昼ご飯を作ってるのかも。

 ……あの人と食卓を囲むの、ものすごく気が進まないけど。

 メニューくらいは確認してもいいかもしれない。里芋の煮っ転がしは、今思い出しても口の奥にじわりとよだれが浮かぶ絶品だった。

 キッチンを覗くと、カウンターにグリーンサラダのボウルがあった。そして、エプロン姿の前園さんがコンロの前に立ってフライパンを動かしている。


「何作ってるんですか?」


 私に気づくと、前園さんは「発送終わったのか?」と訊いてくる。


「終わりました。で、何作ってるんですか?」

「クロックムッシュ」


 まさか、と思ってカウンターのすみに置いておいた、今朝買ったばかりの私の食パンを見た。袋の中身は半分以下に減っている。


「その食パン、私が買った奴じゃないですか!」

「袋に名前が書いてなかった。言っただろ、『名前の書いていない食材は俺が勝手に使う』って。残念だったな」


 ハムとチーズが挟まれ、こんがりと焼かれた食パンには最後にぷるんと黄身が揺れる目玉焼きが載せられた。それがまたものすごくおいしそうなだけに、あまりの悔しさで涙が滲む。


「私の食パンなんですからね! 五百円も払いませんよ!」

「あんたの食パンなんて、せいぜい八枚切りで一六〇円ってところだろ。二枚使っても原価四十円だ。水道光熱費は家賃に含まれてるから考えないでやるが、あんたは食パン以外の食材の原価、並びに調理した俺の労働対価を払う必要がある。原価代差し引けっつーんなら四六〇円払え。ただし、釣りはないぞ」


 この人、何においても原価だの対価だのばかり考えてるんだろうか。

 財布を見たら百円玉と十円玉が二枚ずつ、そして五百円玉一枚しかない。空きっ腹を刺激するチーズの匂いには敵わず、涙を呑みながら五百円玉を豚のお腹に納めた。

 勝ち誇った顔で焼き上がったクロックムッシュをお皿に取り分けながら、「そうだ」と前園さんは思い出した顔になる。


「出かけるなら風呂と玄関の掃除、終わらせてからにしろよ」

「発送作業のあとは好きにしていいって言ってたじゃないですか!」

「風呂と玄関の掃除は仕事じゃない、うちのハウスのルールだ。掃除当番は持ち回り、サボった奴は一回につき三千円の罰金」

「そんなの聞いてません!」

「今話したからな。安心しろ、掃除用具は一式揃ってる。手を抜いても罰金だから覚えとけ」


 ダイニングテーブルに手をついてうなだれた。今日はもうダメそう。



 その日の晩、夕食を終えて早々にシャワーを浴びたあと、ジャージ姿になった私はダイニングテーブルの一角を陣取った。お茶を飲みつつパソコン作業をしていると、お水を取りに来たというミキさんが顔を出す。格好は夕食時のまま、リボンを多用したピンクのドレスで、オフでもずっとこの格好なのかと疑問がわく。


「それ、もしかして《エブラン(うち)》のウェブサイト?」


 パソコンの画面を背後から覗き込まれて頷いた。


「今日、こっちの作業、全然できてなかったんです。部屋でやろうと思ったんですけど、ひつじ荘のWi-Fi、二階だといまいち接続悪くて」

「そうなんだ。昼間は忙しかったの?」

「前園さんにこき使われてました」


 午前中は発送作業で潰れたこと、午後は風呂と玄関の掃除をしたことを話す。


「掃除、一時間くらいで終わらせようと思ったのに小姑みたいなダメ出しの嵐で」


 私の話を聞くと、ミキさんはケラケラ笑った。


「キング、金にうるさい上に潔癖症だから」

「私、あんなわけわかんない人に会ったの初めてですよ」

「それが普通だから安心して。にしても、入居早々こき使われてるねー。何か弱みでも握られてんの?」

「そ、そういうわけじゃないんですけど……」


 到着早々借金をこしらえたとも話せず、「今無職なんで」とだけ答えた。


「まぁ、カナがそれでいいなら深くは訊かないけど。それに、キング的には色々やってくれる人がいると助かるっていうのもあると思うよ」


 ミキさんも土日や暇なときは手伝っているが、仕入れやサンプルの調整などに加え、発送などの裏方仕事も基本は前園さんがすべて一人でこなしているのだという。

 正直なところ、前園さんが仕事で忙しかろうが手が回らなそうだろうが私の知ったところじゃない。

 けど、そんな風に一つのことに夢中であるということ自体は、悔しいぐらいにうらやましくもあった。


「私、本当にこういうの詳しくないんです。今日もピッキングできなかったし、服の畳み方もまったくわからないし、助かるも何もないというか……」


 そんな風に言うと、「それなら」とミキさんは明るく手を叩く。


「明日、仕事休みなんだ。色々教えてあげよっか?」


 色んなことがあって曜日や日付の感覚すら曖昧になっていた。明日は土曜日だ。

 せっかくだしとミキさんにお願いし、再びダイニングに一人になったところでスマホがメッセを受信した。



【次回更新は、2019年10月16日(水)予定!】

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