1. WELL COME TO WONDERLAND(5)


          ☆


 会社に行く必要はなくなったのに、体内時計というのは簡単には変わらない。いつもどおりの午前七時に目が覚めてしまったので、散歩がてら近所のコンビニへ行って食パンと牛乳を買い、帰ってきてダイニングを覗いてみた。


「あ、カナ。おはよー」


 ピンク色のふわふわしたドレスを着たロリータ嬢、ミキさんが白米と焼き魚、味噌汁と小鉢といういかにも和風な朝定食を食べていた。実家の工場で働いていると言っていたけど、仕事もこの格好でやってるんだろうか。


「おはようございます。もしかして、それも前園さんの調理ですか?」

「そう。しっかり五百円は取られるけど、まぁ自分で用意しなくていいし。ここに七時十五分までに来ればキングの朝食が食べられるよ」


 ミキさんは私が持っている食パンに気づくと、冷蔵庫の方を指差した。


「冷蔵庫にバターがあるよ。使ったら?」

「ありがとうございます」


 キッチンに前園さんの姿はなく、洗い終えられた食器一式がすでに水切りかごに置かれていた。


「前園さんは……?」

「ラウンジでもう仕事してる」


 こんな時間から働かないといけないくらいに仕事があるんだろうか。

 そもそも前園さんって、大家の仕事とブランドの収入で生計を立ててるの?

 ブランドっていっても自主制作、インディーズなのに?

 小さなトースターで食パンに焦げ目がつくのを待ちつつ、マグカップに牛乳を注いで冷蔵庫にしまった。焼け出された身なので、食器を使わせてもらえるのはありがたい。

 そうして出勤するミキさんを見送り、一人静かに朝食を食べ終えた直後だった。ラウンジのドアが開き、顔を出した前園さんが声をかけてきた。


「八時半になったらここに来い」

「来いって、何かあるんですか?」

「何かって、仕事の時間に決まってるだろーが」

「私、今日は燃えちゃった通帳の再発行手続きとか、しに行こうと思ってたんですけど……」

「文句があるなら五百万払え」


 そういうわけで八時半にラウンジに向かうと、前園さんは自分のノートパソコンを抱え、「ついて来い」と私を促した。ダイニングを通って廊下の方へ戻り、そして突き当たりの一〇三号室のドアを開ける。

 奥行きからいって私の二〇二号室よりもひと回り以上の広さであろうその部屋は、けどその広さがまったくわからないくらいの棚とハンガーラックで三分の二ほどが占拠されていた。

 棚は図書館の本棚のように背中合わせに置かれて列を成し、一方壁際のラックも背が高く洋服を二段にかけられるようになっている。かけられた服にはどれも白い下げ札がついていた。


「うちの倉庫だ」


 倉庫ってことは、ここにあるのはすべて在庫?

 ラウンジに色々と置いてあるのは見ていたし、縫製は外注だと教えられた。けど、所詮はインディーズブランド、ネットでハンドメイドアクセサリーを売るようなものよりちょっと本格的なのかな、くらいに思っていた。ガチにもほどがある。

 前園さんは部屋の奥へと進む。残り三分の一の壁際のスペースには、横に長い作業机とプリンタ、そしてファイルのぎっしり詰まったスチールラックがある。

 また、机の下にも棚があって、畳まれた段ボール箱やサイズ違いの封筒などが整頓されていた。唯一の窓にはぶ厚い遮光カーテンが引かれていて圧迫感が半端ない。おまけに面積の大半を棚に占拠されているので、自然と前園さんとの距離が近くなる。

 セルフレームのメガネの奥の冷めた眼差しに彫りの深い顔立ちと、前園さんは黙っていれば顔だけはいい。

 これまでの人生、イケメンと呼ばれる部類の男性とはとことん縁がなかった私なので、改めてその横顔を見つめて変に意識してしまった。狭い空間で二人きりとか気まずいにもほどがある。

 などと考えていたら、前園さんは持っていたノートパソコンをプリンタに接続した。おずおずと、「ここで何やるんですか?」と訊いてみる。


「倉庫でやることなんて決まってんだろ。ピッキングして発送だ」


 そして、前園さんは何かの一覧を印刷してこちらに差し出してきた。

 注文番号と名前、そして商品名らしきものがずらりと並んでいる。ざっと見たところ、三十件といったところか。


「発送って、手作業なんですね」

「機械がやってくれるとでも思ったか?」


 普段何気なく便利に使っている通信販売も、こんな風に誰かが発送作業をしているに違いない。便利なサービスを支えるたくさんの人が裏にはいるんだなぁ、なんてしみじみしてから気がついた。

 色んなサイトやサービスに登録している住所の変更手続きもしないとだ。燃えたアパートの管理会社からも何か連絡が来てたし……。


「あの、」

「なんだ?」

「私、火事に遭ってまだ三日目でその……色んな手続きが残ってて。できたら半日でいいんで、お時間もらえるとありがたいのですが」

「……しょーがねーな。まぁ、今日は発送作業が終わればあとは好きにしていい」

「ありがとうございます!」


 礼を言って持っていた一覧を返そうとすると、「そのままピッキングしろ」と命令された。


「ピッキング?」

「リストに書いてある商品集めてこっちに持ってこい」


 説明は以上らしい。前園さんは小さな丸椅子に腰かけて脚を組み、ノートパソコンのキーを叩き始めた。

 ピッキングのピックはおそらく、ピックアップとかで使うpickのことだ。注文された商品を棚から選んで持ってこい、ということか。

 まぁそれくらい――などと思ったのが甘かった。

 ひとまず五件ずつやってみようと決めたものの、そもそも商品がどこにあるのかわからず棚の間を右往左往してしまう。色や柄の違いこそあれど、私の目にはどれも大差なく見える。途中でアイテムコードという商品ごとにつけられた固有の英数字の文字列ごとに並んでいることに気がついたが、それでもたった五件分、八着を選ぶのに二十分もかかってしまった。

 そして、選んだら終わりじゃなかった。


「おい、服の裾をそんな風に掴むな。皺になんだろうが」

「この三着間違ってる。色違いだ」

「あんた、カットソーの一つも畳めねーのかよ」


 顔がよくておしゃれだったら傍若無人でも許されるのかと、文句の一つでも言ってやりたい。こっちはなんの説明も受けていないのだ――とはいえ。

 やはり、頼まれた仕事の一つもできないとなるとヘコむ。


「申し訳ありません……」

「これだけ使えないと笑えるな」


 笑うというより引きつらせるように唇の端を上げ、前園さんは椅子から立ち上がるなり私の真ん前に立った。

 近い距離でじろっと見られ、思わずたじろいだその直後。

 額に強烈な衝撃が走った。

 あまりのことにしばし呆然とし、少し遅れてデコピンされたと気がつく。


「ひ……ヒドいじゃないですか!」

「使えないお前が悪い。――ピッキングと梱包は俺がやる。あんたはそのパソコンで納品書と送り状を印刷しろ」


 涙目になって額をさすりつつも、また何もわからずデコピンされてはたまらないので訊いておく。


「専用のソフトとか入ってるんですか?」

「元IT企業社員だったらそれくらい自分で考えろ」


 この人は元IT企業社員をなんだと思ってるんだ、と思えどそこはぐっとこらえた。

 幸いにも、十分ほどパソコンを触らせてもらい、使われているソフトは把握できた。表示されている一覧から送り状と納品書を印刷し、それを受け取った前園さんが注文ごとに分けて畳んだ洋服の下げ札と突き合わせる。


「あんたも納品書と商品の突き合わせしろ。そしたらこれ」


 と、大昔の携帯電話みたいなハンディタイプの機械を渡された。


「なんですか、これ」


 渡されたそれはずっしりと重たい。


「検針器だ。縫製工場でも検針はしてくれるが、最後に自分たちでも確認する。要は金属探知機だ」


 簡単に使い方を教えられ、早速畳んだ服の上でスキャンするように動かしてみる。これはちょっと面白い。

 忙しなく動き回っている前園さんを横目に、納品書とタグの確認をし、そして検針器でチェックする。検針が終わった商品を前園さんは透明な袋に丁寧な手つきで入れ、そしてどこから取り出したのか、服にプリントされているのと同じような柄の名刺サイズのメッセージカードを添えた。

 そっとその文面を覗き見してみる。


『もうすぐ冬本番。これからますます寒くなる季節も、温かい気持ちで過ごせますように。 EVERYDAY WONDERLAND』


 そのむすっとした横顔を二度見どころか三度見した。


「なんだ?」


 小さく首をふるだけにし、余計なことは口にせずにおく。

 このキャラでかわいらしい女性服を作ってるってだけでわけわかんないのに、こんなメッセージカードまでつけてるなんて。

 前園さんは、最後に内側がビニールコーティングされている紙袋に商品を入れて梱包した。商品の種類や数量によって袋のサイズは異なり、的確に使い分けている。そこに私が送り状を貼って封をして、ようやく一セットが完了。

 三十セットなんて気が遠くなる……。

 幸いなことに私にも学習機能が備わっていたようで、なんとか午前中のうちに三十件分の梱包作業を終えることができた。あとはお客さんに届けるだけの小包が作業机の上で山になる。


「じゃ、それ全部、配送センターに持ってってくれ」


 言うだけ言って出ていこうとする前園さんを引き留めた。


「一人で持てませんよこんなに! 集荷に来てもらうんじゃないんですか?」

「配送センターまで徒歩五分だ、何往復かすりゃいいだろ。直接持ち込んだ方が安い」

「安いって、たかが数十円じゃ……」

「その数十円でどれだけ経費が浮くと思ってんだ、このボンクラ」


 こんな真正面から他人様に「ボンクラ」などと呼ばれたのは初めてで、色んな意味で返す言葉を失った。


「うちはただでさえ製造原価が高いんだ。経費ぐらい節約しないと利益出ないだろうが」

「高いって、どれくらい……?」

「五〇パーセント」


 物作りに関わったことのない私には、正直ピンとこない数字だ。そんな私の表情を見て取ったに違いない、前園さんは再度命令を下す。


「お前の理解は期待してない。いいから配送センターに行ってこい」



【次回更新は、2019年10月13日(日)予定!】

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