2. ALICE'S WONDERLAND(9)

 午前十一時、こうして即売会がスタートした。

 一度でも《エブラン》で購入してくれたことのあるお客さんを中心に招待状を送ったそうだが、開始時刻には十人ほどが店の外に並んでくれていた。

 皆一様に《エブラン》の服を身に纏っていて、自然と連帯感のようなものが生まれる。私も帝くんが選んでくれたグレージュのワンピースでお出迎えをした。


「来てくださってありがとうございます!」


 定刻になり、にこやかに挨拶するミキさんに、お客さんたちのテンションも一気に上がる。


「公式サイトでモデルやってる方ですよね?」

「すごーい、背高ーい、カッコいー」


 ミキさんは春の新作のサンプルを着ているのだが、新作ではなくミキさん本人に興味を持たれてしまっている。

 店内ではトルソーに着せたサンプルのほか、セール品を手に取って見られるよう、テーブルの上にレイアウトした。

 疲れたらカウンター席でおいしいコーヒーを飲むことももちろん可能。寛ぎながら、お気に入りの一着を探してくださいという寸法だ。

 また、《エブラン》の初めてのリアルイベントということで、会場には熱心なアリスさんのファンも訪れているようだった。

 アリスさんは絵師として絶大なる人気を誇る一方、依頼されたイラストの仕事はすべて断る孤高の絵師としても有名らしく、ひと目その姿を拝みたいということらしい。

 アリスさんは当初は店の奥、柱の陰に隠れていたが、とうとうミキさんにお客さんの前に引っぱり出された。


「このお客さん、アリスの絵の大ファンなんだって」


 ミキさんが小柄な女性客の背中を押した。青い空のプリントがなされたスカートを穿いていて、ブランドの初期の頃の服だとわかる。

 対するアリスさんはというと、あんなに丁寧に化粧をしたにもかかわらず、顔をまっ赤にして俯いてしまう。

 吐いたりしなきゃいいけど、と心配しつつ窺っていたら。


「私、アリスさんの絵、すっごく、すごく好きで。《エブラン》の服も、全部買ってます!」


 アリスさんに負けないくらい緊張した面持ちで、けど女性は言葉を続ける。


「ここ、これからも、がんばってください!」


 ハッとしたようにアリスさんが顔を上げると、今度は女性の方が俯いていた。

 アリスさんはそんな女性をじっと見つめ、そして小さく深呼吸すると。


「……ありがとう」


 ぎこちなく、でも柔らかい笑みを浮かべてそれに返した。

 女性は何度も頭を下げ、しまいには両手で顔を覆ってしまう。

 そんな様子を壁際から見守っていた私まで目元を潤ませていたら、ふいに横から小突かれた。


「やる」


 私の眼前に、帝くんがコーヒーのカップを差し出してきた。礼を言って受け取りつつも、一応訊いておく。


「これいくら?」

「やるっつったろ」


 コスパキングが人に奢るなんて、と信じられない気持ちでその澄ました横顔を凝視していたら、素早くデコピンされてコーヒーをこぼしかけた。


「礼だ」


 帝くんは微塵の感謝も感じられない仏頂面でそう言い、コーヒーカップに口をつける。


「正直、アリスを即売会ここに連れてくるなんて無理だと思ってた」


 痛む額をさすりつつも目を見開いた。その言葉は聞き捨てならない。


「無理だと思ってたのに『借金リセット』だなんて言ってたの!?」


 わかっちゃいたけど、やっぱりこの王様は……。


「アリスさ、同年代の友だちが全然いないんだよ。あんたならちょうどいいと思った読みが当たった。助かった」


 仏頂面だったはずのその表情はいつの間にか柔らかいものになっていて、らしくなく素直な言葉に内心ドキリとさせられてしまった。

 人使いの荒い傍若無人な王様だと思ってたのに。

 家族のことは、大事にできる人なのか。

 出かけた文句は飲み込み、ここは素直に礼を受け取っておこう、とは思いつつ。


「友だちなら、ミキさんの方が適役だったような……」


 今回、最後の最後にアリスさんの手を引いたのはミキさんだ。連れていくのは無理だと、私は諦めかけてしまったのだから。

 けど、私の言葉に帝くんはカラカラ笑う。


「ミキは無理」




 お客さんはものすごく多いというわけではないが、そこまで途切れることもなくポツポツと訪れ続けていた。

 お客さんと談笑したり商品の説明をしたりしていたミキさんに、片づけや予約注文の受付を手伝っていた私はふいに呼ばれた。


「別のサンプルに着替えようと思うんだけど、ちょっと手伝ってもらっていい?」


 ミキさんは春の新作から夏の新作に着替えるという。


「私で役に立ちますか?」

「身体硬くてさ。ワンピースのファスナー、一人で下ろしたり上げたりするの苦手なんだよね」

「それくらいなら任せてください!」


 こうして店の奥、更衣室代わりに使わせてもらっている倉庫に二人で入った。倉庫は正方形の間取りで、小さな作業台と工具箱や資材の置かれたスチールラックで三方の壁を囲まれている。


「狭いところに二人でごめんねー」

「平気ですよ」


 近づくとミキさんからはいい香りがした。ミキさんがウィッグの後ろ髪を上げたので、私はワンピースのファスナーを下ろしていく。


「着替えたら化粧も直そうかなー。最近、目の下のくまが消えなくてさ」

「ずっとお仕事忙しそうですよね。ミキさん、体力あるんですね」

「そんなことないよ。三十過ぎてから色々劣化しててキツい」


 そんな風に雑談しながらミキさんはワンピースを脱いだ。

 背中の大きく開いたインナーを着ていて、身体のラインがよく見える。すごく引き締まっていて、どちらかといえば筋肉質にも見え、無駄な肉など一切なさそうだ。肌も綺麗だし、どれだけ美意識高いんだろう……。

 透け感のあるインナー姿になったミキさんは、脱いだワンピースを拾おうと身体を屈めた。

 すると。

 その身体の前面から、ポトリと何かが音もなく床に落ちた。

 肌色をした半月型の何かが、床の上でゆらゆらと揺れている。


「あ、カップ落ちちゃった」


 なんでもないことのようにミキさんは呟くと、拾った何かを自分の胸、ブラジャーの中に入れて形を整えた。

 あんぐりしたままそれを見つめている私に気づき、「カナ、どーかした?」とミキさんは目を瞬く。


「今落としたの……」

「え、胸パッドだけど」


 そう答えるミキさんの胸元、ブラジャーの下はなんだかのっぺりとしている。


 私よりも高い身長。

 ハスキーボイス。

 引き締まった背中。

 胸パッド。

 そして視線を下ろした先にあったのは、どう考えても女性にはない凹凸が見て取れる、明るい色のボクサーブリーフ。


 まさか。


「ミキさんって、もしかしてその……男の方、なんですか?」


 恐る恐る訊いた私に、ミキさんは「嘘」と到底女性のものとは思えない低い声で漏らした。


「カナってば、もしかして俺のこと、女だと思ってたの?」


 帝くんが「ミキは無理」って笑った理由がようやくわかった。




 カッコいいお姉さんだと思っていたミキさんが、まさかの女装男子。

 女友だちとして仲よくしていただけにその衝撃はすさまじく、即売会の後半は記憶が曖昧で気がついたら終わっていた。

 別に、女装男子だから嫌いになるとかそういうわけじゃない。

 ミキさんはミキさんだし、私はミキさんという一人の人間をとても好ましく思っている。これからも普通に友だちでいてほしい。

 でも、けど、だけども!

 自分の観察力のなさには本当に絶望した。

 シェアハウスの住人の年齢をことごとく読み違えていただけならいざ知らず、性別まで間違えるなんてわけがわからない。

 いくら女装男子とはいえ、ヒントはいくらでもあった。

 わかりそうなものなのに!

 情けない。

 というか、自分のダメさ加減に心底嫌気が差す。思い返せば、女性だとばかり思っていたせいで、ミキさんの前で全力で服を脱ぎ捨ててしまったことすらあった。

 恥ずかしい、という気持ちもさることながら、女性以上に美意識の高い男性に、なんとお見苦しいものをお見せしてしまったのかと切腹して詫びたい。


 ――などと、落ち込んでいる暇はなかった。

 即売会は盛況のうちに終了し、残すは撤収作業。

 だというのに、アリスさんは体力の限界なのかカウンター席で伸びてるし、帝くんはその隣でパソコン仕事を始めてしまう。頼りのミキさんはなぜか姿が見当たらず、仕方ないので私一人で片づけをする羽目に陥った。


「佳菜さん、手伝おうか?」


 カウンターでカップ類などを洗っているコーキさんが声をかけてくれるが、そこは丁重にお断りする。帝くんのことだ、この場所も格安で借りているに違いなく、そんなに何から何までお世話になれない。

 売れ残った在庫を箱に戻し、ひつじ荘から運び入れたシングルハンガーやトルソーなどのじゅうを一度店の外に出し、借りたモップで床を掃除してようやく一段落。

 あとは店のテーブルや椅子を戻すだけ。とはいえ、これはさすがに一人ではきつそう……。

 帝くんに声をかけてあしらわれる労力よりは、ミキさんを探す労力を選んだ。外に出ていった記憶もないし、ひとまず着替えに使った奥の倉庫を覗いてみる。


「ミキさーん、いませんかー」


 と、声をかけるまでもなかった。

 ミキさんはサンプルの夏物のワンピースを着たまま、自分の腕を枕に壁際にある作業台に突っ伏して眠ってしまっている。


「ミキさん、こんな格好じゃ風邪引きますよ」


 十二月も末、窓がないとはいえ、倉庫の中はそこまで暖かくはない。

 男性とは思えないツルツルの腕と肩にドキドキしながら触れ、その身体を揺する。剥き出しの肌はすっかり表面が冷えてしまっている。


「ミキさん、起きてください」


 けど、眠りが深いのかミキさんはなかなか起きず、やがて枕にしていた腕が作業台から落ちてぶらりと垂れ下がった。


「ミキさん……?」


 さすがにおかしい。

 急に不安になってその横顔をまじまじと見ると、今朝のアリスさんに匹敵するレベルの顔色の悪さで血の気が引いた。


「ミキさん……ミキさん、起きてください!」


 それでも返事はなくて、私は倉庫から飛び出した。



――2. ALICE'S WONDERLAND/END――


=======

デザイナートラブルは無事解決――と思った矢先、今度はモデルのミキにトラブル発生!!

さらに、帝の抱える秘密も明かされて!?!?

トラブル続きのなか展覧会に無事出展できるのか。

そして、無愛想なブランド代表・帝と佳菜の恋の行方は――?


気になる続きは、大好評発売中のメディアワークス文庫

『訳ありブランドで働いています。 ~王様が仕立てる特別な一着~』

をご覧ください!


訳ありブランドカバー
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ニセモノ夫婦の紅茶店 ~あなたを迎える幸せの一杯~ 神戸遥真/メディアワークス文庫 @mwbunko

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