第33話 小さな人参

 眠いです。昨夜は動揺しまくってなかなか寝付けませんでした。玲央さん、あなたのせいですよ!

 と言えるわけもなく、寝ぼけ眼をこすりつつ洗濯物を干していると、背後で人の気配がした。


「菫さん、おはようございます」

「おはようございます。起きて来て大丈夫ですか? ご飯、食べられそうですか?」

「少しなら」


 よしっ、下ごしらえしといて良かった。

 あたしは洗濯物を一時中断して、すぐにお鍋を火にかけた。


「今、おじや作りますから、そこ座っててください。もう下ごしらえできてるんで、すぐにできますから」


 玲央さんは素直に座ると、相場を確認するのか、パソコンを立ち上げた。こんな時までそんなもの見なくたっていいのに。


「ああ、株価が下がってるな。何があったんだ?」


 ブツブツ言ってる。熱はあっても脳は通常運転なのかな。だとしたら昨日のあれは?


「龍宮寺が買収したのか。なるほどその手があったか。流石、伊集院が目をつけるだけのことはあるな」


 いつもは独り言なんて言わないから、やっぱり通常運転じゃないのかな。龍宮寺って何だろう、伊集院がどうのって言ってたから、どこかの大財閥かな。


「できましたよー。柚木家特製おじやです。熱いから気を付けてくださいねー」

 

 玲央さんが食べてる間は、あたしも向かいに座ってお茶を飲んだ。一人でご飯食べるのって、やっぱりなんだか味気ないもん。


「これは柚木家のおじやなんですね」

「はい。うちは味噌仕立てで、具沢山なんです。栄養いっぱい取って欲しいから、いろんな野菜をみじん切りにして消化しやすくしておくんです。人参と大根と白菜と葱と椎茸とお豆腐と卵が入ってるの」

「栄養いっぱいですか……菫さんの愛情がこもってるんですね」

「はい、早く治るようにって」


 玲央さんは、みじん切りになった小さな具を一つ一つ確認しながら、味わうようにおじやを食べた。熱のある時なんて味なんか全然わからないのに、それでもじっくり味わうようにして食べていた。


「今まで……菫さんがこの家に来るまでは、コンビニ弁当をパソコンとにらめっこしながら食べてました。でも、それってお弁当を作ってくれた人に失礼ですね。このおじやだって、味噌汁にご飯入れるだけに見えて、実はいろいろ手間がかかってる。具合が悪くても食欲が無くてもこうして栄養を摂れるようにと、たくさんの具材を小さく小さく切って、愛情込めて作ってる。そういう事にきちんと目を向けずに生きてきてしまいました」


 スプーンですくったご飯の中に、1ミリ角のオレンジ色の人参が鎮座している。それを愛おし気に眺めて、彼は更に言葉を継いだ。


「僕が二年前を機にすっぱり忘れてしまった人間らしさを、菫さんに思い出させて貰っている気がします。効率を優先して、何かをどこかに置いて来てしまった。あなたがそれを見つけて持って来てくれる」


 そこから彼は黙っておじやを食べた。食べ終えて「ごちそうさまでした。美味しかったです」と言うまで、一言も声を発しなかった。自分の言った事を反芻しているような感じに見えたから、あたしも声はかけずにいた。


 こんなふうにあたしの作るご飯のことを、玲央さんが考えてくれるのが嬉しかった。誰かの為にご飯を作るのがこんなに幸せに感じるなんて、夢にも思わなかった。 

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