第10話 初めての夜

 二人の初めての夜だ。今日は忙しかったし、まだこの家の勝手がわからないだろうからって言って、夕食は近所のファミレスに連れてってくれた。

 それから順番にお風呂に入って、荷物の整理は明日でいいからって言ってくれて、今はテーブルで二人向かい合ってお茶飲んでる。


 この家はダイニングテーブルセットが無い。一人だったから必要なかったのか、床に直接座るのが好きなのか、ローテーブルと座布団だ。

 部屋の中央に置いたローテーブルに背を向けるように、壁際にパソコンテーブルが置いてある。この人はきっと、パソコンの前にいることの方が多いんだろうな。その方がなんだか自然だ。

 彼の本棚の隣に、あたしの本棚。本棚と言っても小さなカラーボックスだ。教科書と資料集だけで埋まってしまう。

 そしてそれぞれの本棚の上には両親の骨壺と写真。あたしの方はまだ大きな桐箱だけど、玲央さんみたいに小さくてかわいい骨壺に入れてここに置こう。


 さっき失礼だったかな。玲央さんとは昨日からずっと一緒にいるのに、『小嶋さんに』いきなり抱きついて大泣きしてしまった。

 大人の人に頼りたかったのかもしれない。玲央さんは二つ上でしかないから、迷惑かけちゃいけないと思ってちょっと無理してた。その反動で、小嶋さんに優しくされて、気が緩んじゃったのかもしれない。

 それに小嶋さんがあんまり男っぽくなくて、あ、体格は凄い男らしいけど、気の回し方とか言葉遣いとかが女らしいというか、それで男の人っていう認識が薄れてたせいもある。


 あたしが玲央さんに遠慮してたことを、彼は『信頼されていない』って感じてしまったりしてないだろうか。


「小嶋さん、最初はびっくりしましたけど、凄く信頼できる人ですね。だけどあたし、玲央さんも……っていうか、玲央さんがいてくれなかったら、今頃こんなに落ち着いていられなかったと思います。感謝してます、本当に」


 じっとお茶の湯飲みを見つめていた彼が不意に顔を上げて、あたしを正面から真っ直ぐに見た。


「僕では頼りない部分もあるかとは思いますが、僕の周りには頼りになる人がたくさんいます。僕に相談できないことがあったら、その人たちに相談に乗って貰ってください。大変ですが、高校はちゃんと卒業しましょう。僕も、菫さんも」

「はい」

「僕には何も遠慮しないでください。雇い主ですから」


 あたしは黙って頷いた。

 彼もそうだったんだ。二年前の彼もいきなり一人ぼっちになって放り出されて、自分で自分の道を切り拓いてきたんだ。たくさんの信頼できる人たちを味方につけて、苦労してここまで何でもできるようになったんだ。


「明日、放課後急いで帰って来ます。一緒に市役所に行きましょう。死亡届を提出しなければならない。それまでにあなたの荷物を設置してください。僕はどんなふうに設置されても特に困りませんから、菫さんの使いやすいように。キッチンは全面的に改造しても構いません。菫さんの忌引き休校はあと二日です。その間に全て終わらせないといけないので、そのつもりで」

「はい。ありがとうございます」

「では、菫さんはもう休んでください。明日からは朝ご飯とお弁当を作っていただかないといけないので」

「玲央さんは?」

「僕はまだ仕事が残ってますので……数学の宿題も」


 そう言って彼はちょっとはにかむように笑った。彼の笑顔が優しくて、胸の奥がポッと暖かくなるのを感じた。



 枕が変わっても、大事件が起こっても、あたしはちゃんと眠れるようにできてるらしい。今夜もあっさり眠れてしまった。それだけ疲れていたのかもしれないけど。

 とはいえ、やっぱり昨夜のように変な時刻に目覚めてしまって、時計を確認したら三時半だった。隣に敷いてある布団は空っぽだった。

 玲央さん、まだ起きてるんだろうか。リビングの方に視線を送ると、襖の隙間から灯りが漏れている。


 静かに音を立てないようにしたつもりだったけど、襖を開けたら玲央さんがこっちを振り返った。


「あ、すみません。うるさかったですか?」

「いえっ! そんなことないです、爆睡してました。目が覚めたらまだ電気が点いてたから。あの……あたしの事務手続きですか?」


 恐る恐る訊いてみると、彼は手元にあった本の表紙をこっちに向けた。


「数学の宿題です」

「なんだか、玲央さんに宿題って言葉が似合いません」

「え?」


 目をまん丸くした彼が、なんだか可愛く見えた。こうして見るとちゃんと高校生だ。


「なんか高校生っぽくなかったから。でもあたしのせいで宿題やってなかったんですよね。ごめんなさい」

「そんなことは気にしないでください。宿題なんか五分もあれば片付きますし、ちょうど今終わったところです。灯りを落としますから布団に入ってください」


 って言いながら教科書を片付けて、リビングの電気を消した。


 急に真っ暗になった。それだけであたしは凄いドキドキしてしまった。

 暗闇の中、カーテンの隙間から漏れる月の灯りで彼のシルエットがぼんやりと浮かぶ。あたしより十センチくらい背が高そう。横幅はあんまりなくて、ガリガリじゃないけど痩せてる部類。中肉中背というよりは。少肉中背。

 布団の上にぺたんと座って彼を眺めていたら、同じく布団に座った彼がこっちを向いているのがわかった。


「どうかしましたか? 真っ暗にするのは怖いですか? 一応こちらの物件は心霊現象などの報告は出ていませんが、怖ければ灯りを点けておきますか?」


 いや、そういう問題じゃなくて。隣に女子が寝てて平気なんですか? あたしだけなんですか、訳も分からずドキドキしてるのって。


「なんでもないです、おやすみなさい」


 とにかくあたしはタオルケットを頭からかぶって彼に背中を向けた。


「はい、おやすみなさい」


 背後から聞こえた彼の声は、いつもと全く変わらない声だった。

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