第11話 ご近所さん

 翌朝は目覚まし時計もなくちゃんと五時に起きられた。通常運転だ。

 もともとあたしは十一時くらいに寝て五時くらいに起きる。お父さんと自分のお弁当を作ってたから、いつもと同じ。

 違うのは『洗濯物が若い男の子の物であること』と『お弁当の量』くらいだ。


 玲央さんは三時半過ぎに寝たにもかかわらず、ちゃんと六時に起きてきて、一緒にご飯を食べて、お弁当を持って七時半くらいに出て行った。

 二時間半しか寝てないのに大丈夫なんだろうか。ただでさえ貧弱オーラを放ってるのに。


 彼が出て行ってから、あたしはお掃除をして、買い物に出かけた。スーパーを地図検索して、このあたりの探検がてらの買い物だ。

 ここは駅からは十分ほど歩かなきゃならないけど、それなりに便利だ。郵便局も銀行も近くにあるし、個人医院のお医者さんもある。スーパーもあったし、百均もあった。全部徒歩五分圏内だ。


 帰ってくると、玲央さんの部屋のポストに回覧板らしきものを入れている女の人が見えた。ここに住んでいる人なんだろう。


「こんにちは」

「あら~、こんにちは~」


 あたしが声をかけると、その人は人懐っこい笑顔を向けて来た。


「玲央君の彼女さん?」

「いえっ、あたし手代木さんのところの家政婦なんです」

「玲央君、家政婦さん雇ったのね。良かったわ~。あの子、ろくなもの食べてなさそうだったから、ちょくちょく差し入れしてたの~。ほら、貧弱な感じの子じゃない? 家政婦さんが入ってくれたなら安心ね~。私、二階の前川って言います~。よろしくね~」

「あっ、あたし柚木です。よろしくお願いします」


 あたしは慌てて前川さんに頭を下げた。

 落ち着いてよく見ると、三十代半ばくらいの女性だ。しましまのTシャツにジーンズでサンダル履き、髪を後ろに一つにまとめている。小学生くらいの子供がいそうな雰囲気だ。


「若い家政婦さんなのね~。玲央君とあんまり変わらないみたい」

「二つ年下です」

「へえ、そうなの。いつから家政婦やってるの?」

「今日からです。この辺のことよくわからなくて」

「私、ここ十年くらい住んでるから、何でも聞いてね~」

「はい、ありがとうございます」


 若いお母さんって感じで、悪い人ではなさそう。ちょっと安心。

 彼女は「今日は卵Mサイズ一パック百円だから早く行った方がいいわよ」と付加情報を置いて帰って行った。大丈夫、それは今しっかり仕入れて来ましたから。



 夕方になって玲央さんが帰ってきた。本当に授業が終わって大急ぎで帰ってきたんだ。

 戻って来るなり「時間がありません」って車に押し込まれて、そのまま市役所に向かった。


「今日はどうでした?」

「はい、あの、勉強道具とか片付けて、お掃除して、お部屋のレイアウトをちょっと変えて、それからお買い物に行って、二階の前川さんとお話して……いろいろです」


 うちの学校の制服を着ている人が車のハンドルを握っている。すっごい違和感。物理の教科書とか、サッカーボールとか、トランペットとか、そういうものを持ってるならわかるけど、車のハンドル。制服とのギャップが凄まじい。ギャップ萌えに期待できるようなシロモノですらない。


「そうでしたか。あの、実はですね、菫さんが落ち着いてからお話ししようと思っていたんですけど、未成年後見人ってご存知ですか?」

「ご存知じゃないです」

「そういう場合は『存じ上げません』が正解です」


 ウィンカーを上げながら淡々と指摘してくる。うぅ、きっとバカだと思われた。


「未成年者はあらゆる契約が一人でできないことになっています。カードを作ることもケータイを新たに持つことも保険金を受け取ることもできません」

「えっ? 保険金受け取れないんですか!」

「そのために後見人という制度があります」

「はい」


 やだな、またややこしい話が出てきた。この制服に似合ってない話だ。


「親権者のいない未成年は法定代理人がいなくなってしまいます。それを補うのが未成年後見人というものです」


 うぅ。アレルギー反応が出そう。脳が理解するのを拒否してる。


「普通は直系の親族が後見人になる事が多いんですが、菫さんはご両親だけでなくご祖父母も亡くなっているので、親戚から選ぶことになります」

「叔母さんには死んでも頼りたくありません」

「そうでしょうね」


 玲央さんがウインカーを上げながら後方確認してる。

 お父さんの助手席に乗ってた時はなんにも考えてなかったけど、玲央さんが運転席に座ってるってだけでいろいろ気になる。あたしと二つしか違わない人が運転するって、やっぱり何度見ても新鮮だ。


「運良くと申しますか叔母さんの方でも後見人をご辞退されてますので、菫さんの方で指名することもできますが、その相手が後見人として適格であるかどうかは家庭裁判所の判断となります」

「はい」


 って一応返事はしたけど、理解できているわけじゃない。

 それより玲央さんの左手が気になる。お父さんはモシャモシャと毛深かったけど、玲央さんはツルンと綺麗。とは言え、女子の腕と違って筋張ってて堅そう。そんなに背は高くないのに大きな手。


「それでですね、僕の祖父が菫さんの後見人に立候補したいと言ってるんです。親身に祖母の世話をしてくださった柚木さんのご令嬢という事で、祖父が是非にと申しております。資産状況・肩書その他、家裁が否を突き付けてくることはまず無いと判断できますが、まずは菫さんのご意向を伺ってからと思いまして」


 きっと丁寧な説明なんだろう、きっとね。でも、全然わかんなかった。三年生で習うのかもしれない。けど、あたしはまだ一年生だ。


「よくわかりませんけど、玲央さんのおじいちゃんがあたしのナントカ代理人になってくれるってことですか?」

「その意思の確認を今しているんです。菫さんのゴーサインが出れば、後見人の選任請求の際に僕の祖父を指名することができます」

「その方が全ての事がスムーズに進むということですよね?」

「菫さんに何かあった時、僕の方で一括して面倒を見ることができるので、余計な手間が省けます」


 これ以上玲央さんに迷惑はかけたくない。だけど、あたしは玲央さんに頼りたかった。他の誰でもない、玲央さんに。


「ぜひ、それでお願いします」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る