第30話 玲央さんの彼女
金曜日の放課後、明日香が教室のドアをバーンと開けて、血相変えて走り込んできた。
「ちょっとスミレ聞いてよ、凄い情報! あの生徒会長様になんと彼女ができたっぽいの!」
ええええええっ? 玲央さんに彼女おぉお?
「伊集院先輩じゃなくて?」
「違う違う! 伊集院先輩はありえない!」
「なんで言い切れるの?」
「伊集院先輩は卵割れないって有名だもん」
「はい?」
そう言えば、玲央さんのお爺ちゃんもそう言ってたな。「桜子は卵も割れない」って。でも、卵と玲央さんの彼女とどういう関係?
「手代木先輩と言えば一人暮らししてるって有名なんだよ。しかも料理一切できなくて、いつもコンビニ弁当ってのも有名。その手代木先輩が二学期からお弁当を持って来てるって言うの。三年生はみんな伊集院先輩が作ってると思ってたんだって。それがさ、卵焼きが入ってたって言うのよ、お弁当に! 作れるわけないじゃん、伊集院先輩が」
お弁当? それはあたしが作ったお弁当のことですか。
これは危険です、クラスの人間が明日香の話に耳を傾けてる。これは非常に危険です。
「それで伊集院先輩に聞いたんだって、演劇部の先輩が。そしたら伊集院先輩、『自分のお弁当もシェフに作らせてるのに、私がどうして手代木君のお弁当なんか作ると思うの?』って笑ってたらしいんだよ。つ、ま、り、手代木先輩には彼女ができた!」
どうしよう、これはあたしが作りましたとは言えない。でもいつまで誤魔化せるだろう……。
「そんなに気になるなら手代木先輩に聞いたらいいじゃない」
「私じゃ接点ないもん。だから菫に言ってんじゃない。あんた文化祭でも手代木先輩とフツーにお話してたし。あんたなら聞けるでしょ?」
「ば、バカなこと言わないでよ、そんなこと聞けるほど親しくないよ」
一緒の部屋で寝てるけど……とは口が裂けても言えません。
「許せなくない? 伊集院先輩以外の女が手代木先輩の隣に立つなんて」
「そ、そうだね」
経済学と外国為替以外のものに恋をする玲央さんなんて、確かに許せない。だけど、そのお弁当を作ってるのはあたしだ。しかも彼女じゃなくて家政婦だ。かと言って「家政婦として作りました」とも言えない、何故なら「住み込みで」と言ってあるからだ。玲央さんと同居していることが自動的にバレる!
どうするか。どうする菫。とりあえず逃げよう。
「ごめん、悪いけど急いでるから帰るね。文化祭で雇い主さんに不自由させちゃったから、ちょっとしっかり家事やっておきたいんだ」
「あ、そっか、スミレは仕事してるんだもんね」
「ごめんね、お先」
あたしはまだ話したそうな明日香を放置して、ダッシュで逃げた。
家に帰ったあたしは、夕ご飯の下ごしらえを済ませて、お風呂にお湯を張ったら、あとは玲央さんが帰って来るまで小林さんのベビーウェアを縫っていた。今からご飯作っちゃうと玲央さんが帰って来た時に冷めちゃってるだろうから。やっぱり玲央さんには温かいご飯食べて欲しいもん。
両親と一緒にいたころは、そんなこと考えたことも無かった。二人とも何時に帰って来るかわからないから、作っておいてレンジで温め直して食べて貰ってた。だから、二人ともあたしの作ったご飯の『作りたての味』なんか知らない。二人も出来立てを食べたかっただろうな。
片栗粉でとろみをつけたものって、レンジで温め直すと全然美味しくないの。
お魚だって、焼いたものを後で温め直したらパサパサになっちゃう。
揚げ物なんかは逆に具材の水分が出て来てビシャッとなっちゃうし。
だから玲央さんには絶対出来立てを食べて欲しい。作ったばかりの湯気の出ているものを、一番美味しい状態で食べて欲しい。
玲央さんはいつも「ごちそうさまでした」の後に必ず「美味しかったです」って言ってくれる。
お父さんとお母さんもたまに置手紙をしてくれた。「今日の煮物はこんにゃくが最高。今度は厚揚げも入れてね」とか「お弁当の唐揚げ美味しかったよ」とか。
お手紙も凄く嬉しかったけど、顔を見て伝えられるのってやっぱり嬉しいよ。今度は何を作ろうかって楽しみになるもん。
お父さんもお母さんも今頃天国で「菫はそんなこと考えてたのか」って笑ってるんだろうな。そうだよ、あたしは出来立てを食べて欲しかったんだよ。
二人の写真がこっちを見て笑ってる。もう食べても貰えない。だけどね、お父さんとお母さんの代わりに食べてくれる人がちゃんとできたからね。二人の分も、出来立ての美味しいご飯を食べて貰うからね。
それにしても玲央さん遅いな。生徒会の仕事かな?
そう思った時だった。外が急に眩しく光った。
雷? あれ? いつの間にか雨が降ってる。ミシンの音で気づかなかったんだ。玲央さん傘持って行っただろうか……って、傘あるし! かなり降ってるのに。駅まで迎えに行こうか。こんな寒い日に雨に濡れたら風邪ひいちゃうよ。
靴を履いて傘を二本持ったタイミングで鍵の音をガチャガチャさせてドアが開いた。
「玲央さん!」
「あ、菫さん、お出かけですか?」
「玲央さんを迎えに行こうと……」
まで言った瞬間、ドアの外で凄まじい閃光が炸裂し、割れんばかりの雷鳴が轟いた。
不覚にも。気づいた時には、大声で悲鳴を上げながらずぶ濡れの玲央さんにしがみついていた。
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