第31話 カフェオレボウル

「あの、さっき、ごめんなさい。びっくりしちゃって。雷が苦手なわけじゃないんですよ。ただ、急に心の準備もないまま来たから、まだドアも開いてたし、音も大きくて」


 あたしの必死の弁解を、玲央さんは鍋をつつきながら笑って聞いている。


「そんなに謝らなくてもいいですよ。実は僕、ちょっと嬉しかったんですよ」

「えっ?」

「菫さんに頼られる存在になれたのだろうかと、少々勘違いしました」


 勘違いじゃないのに。ってわざわざ言うのも変かな。かと言ってここで黙っているのも「はい、勘違いですよ」って認めてるみたいでヤダ。でも、頼ってるのは確かだけど、雷にびっくりしただけなんだから、それとこれとは話が別! って、まごまごしてる間に、タイミングを逃してしまった。


 玲央さんは特に気にするようなそぶりも見せず、急に話題を変えた。


「寒い日の鍋はいいですね。ずっとコンビニ弁当ばかり食べていたので、鍋は二年ぶりです」

「良かった。今日は寒かったから。しかも雨降ってるなんて思わなかった。駅で連絡くれたらすぐに傘持って迎えに行ったのに」

「迎えに来て貰うという発想がありませんでした。祖父の家にいたころは当たり前のように迎えが来ていたんですが、ここに住むようになってからはそんな事は無くなりましたから。それよりもカフェオレボウルを鍋の取り皿にするという発想の方が、僕には衝撃的でしたよ」


 この家には『料理しなくても食べられるもの』を盛り付ける食器しかないんだ。大きなプレートと小さめのプレート、丼、カフェオレボウル、マグカップ……それらを駆使してあたしの和メニューを盛り付けることになる。

 しかしお鍋の取り皿が無かったのは痛かった。丼じゃ大きすぎるし。結局カフェオレボウルで落ち着いたんだけど。


「菫さんもいることですし、せっかくですからこの際少し食器を買い足しましょうか」


 ふふっ、なんだか新婚夫婦みたい。えっ? 新婚夫婦? ダメ、それはダメだ、絶対やったらいけないやつだ! しかもなんか今、あたし一瞬喜んでたよね、何喜んでるのよ!


「あの、玲央さん、あたし思うんですけど、玲央さんはきっと近いうちに結婚することになるっていうか、結婚させられるような気がするんです。だからそういう食器とかは奥さんになる人と一緒に選んだ方がいいと思うんです。今はカフェオレボウルにしといた方が無難だと思いませんか?」

「その時はその時でまた買えばいいと思いますが」


 ちょっと待って、この人は天然なの?


「玲央さん、頭はいいのにどうしてこんなに女心がわからないんですか」

「は? 女心ですか? どういう関係が?」

「ですからね、お嫁さんにしてみたら玲央さんは自分だけの大切な人として独占したいと思うんですよ。それなのに、いくら家政婦とは言え、別の女が玲央さんと一緒に選んで使っていたものが家にあるなんて、許せないじゃないですか」

「ただの食器じゃないですか」

「違います。あたしと玲央さんが一緒に選んで、一緒に食卓を囲んだ食器ですよ。そこに二人の時間が凝縮されているんですよ? 絶対いい気分しないと思います。少なくともあたしが玲央さんのお嫁さんだったら、嫉妬に狂って全部捨てちゃう!」


 まで言って、急に恥ずかしくなった。あたし何言ってるの。なんの話してたんだっけ?

 玲央さんはクスッと笑うと、焼き豆腐をふーふーしながらとどめを刺しに来た。


「随分リアリティがありましたが、もしかして経験者ですか?」

「そんなわけないじゃないですか、あたし彼氏いない歴イコール年齢です!」

「いや、冗談ですからそんなにムキにならなくても」


 ううー、地雷踏んだ。もうやだ、玲央さんのバカ。もうなんにも言ってやらないもん。黙って鍋食べる!


「まあ、なんとなくわかりました。要は下手に買い足したりしない方がいいという事ですね」

「そうです。代用できるものは徹底的に使いましょう。あたし極貧生活の達人ですからなんでもリサイクルしますし、なんでも代用しますよ。無駄遣いはやめましょう」


 あたしがあまりに力説したせいか、白菜をつつきながら苦笑いしてる。


「僕はそういう考え方は好きですよ。次々に消費するんじゃなくて、一つのものを大切に使う。だから買う時は安物を買わずに良いものを買って、大切に大切にずっと使いたいんです。だからこそ、菫さんと一緒に選びたかったんですが……確かにそうですね、妻になる人と一緒に選ぶべきですね」


 なんだか今、凄く嬉しいこと言われたような気がした。価値観を同じくする人と一緒に選びたかったって事かな。

 でも玲央さんが価値観の合わない人と結婚するとは思えないから、やっぱりこれでいいんだよ、きっと。だってあたしだったら百均ショップで安物買って、それを大切に大切に何年も使っちゃうもん。根本的にお坊ちゃまと極貧市民は思考回路が違うんだ。お父さん、お母さん、あたしはちゃんと二人の遺伝子に忠実に生きてます。心配しないでね。


 なんて馬鹿な事を考えていたんだけど、玲央さんのお箸を置く音でいきなり現実に引き戻された。


「ごちそうさまでした」

「え? もう終わりですか? こんなにいっぱいあるのに」

「今日は食欲があまりないのでせっかくのお鍋があまり食べられなくて申し訳ありません。明日は土曜日ですし、菫さんもお休みの日ですから、これを温め直して食べましょう」


 どうしよう、もっと上品な味付けが良かったんだろうか。


「味つけ、好みじゃなかったですか?」

「いえ、実家の鍋よりも好みの味付けでした。少し頭痛がするので今日は早く休もうかと思います」

「頭痛? さっき濡れて帰ってきたから、体冷やしちゃったんじゃないですか? お熱測りましょう!」

「いえ、そんな大げさなものでは……」

「ごちゃごちゃ言わない! 家政婦の言う事をちゃんと聞きなさい!」


 十分後、体温計の無慈悲に数値化された報告を受けてぐうの音も出なくなった玲央さんは、おとなしくお布団に入った。


「菫さんに叱られるとは思いませんでした」

「当たり前です。あたし家政婦なんですから、主人の健康管理もあたしの仕事です。あたし、こう見えても仕事だけは手を抜きませんから」

「いい言葉だ」

「え、何が?」

「仕事は手を抜かない。僕が心がけている事です。菫さんの価値観は非常に僕と近いようですね」

「そ、そうですか?」

「叱ってくれる人がいるというのは……いいものですね」

「え?」


 次の瞬間には、もう玲央さんは眠っていた。まるで何かの漫画の登場人物のようだ。

 はぁ……なんだかな、この人は。しっかりしているようで、どことなく抜けてる。

 あたしは玲央さんの寝顔をしばらく眺めていた。初めて見る彼の寝顔は、少し幼く見えた。

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