第29話 花壇
あれから十日ほど経った土曜日。直接小林さんの奥さんからイメージを聞いて、赤ちゃんのドレスのデザインを描き上げたところに、外から戻った玲央さんがとっても素敵な提案をしてくれたのだ。
「菫さん、新しい自転車置き場が完成したんですが、今までの自転車置き場を更地にするのも勿体ないので花壇にしようかと思うんです。もし良かったら、花壇の管理を菫さんにお願いできないかと思いまして」
「花壇ですか! やりますやります、やらせてください、夢にまで見た念願の花壇!」
「ご快諾頂けて助かります。では早速なんですが、今からホームセンターに行きませんか? 花壇から作らないといけないので」
花壇を一から作る? なんて素敵なんだろう!
それからあたしたちは玲央さんの運転する軽自動車でホームセンターへ行き、花壇用のレンガブロックとコンクリートボンドと土を買ってきた。土はよくわかんなくて、ホームセンターの園芸コーナーのおじさんにしつこく聞いて、腐葉土と培養土と、あとなんかよくわかんない肥料みたいなのも買った。
そのおじさんはとても親身になって花壇の作り方やその後の土の作り方や道具も教えてくれたんだけど、それだけじゃなくて「荷物が多いからその車には積みきれないだろう」と言って、ホームセンターの軽トラを貸してくれた。
ブロックや土を積むのも手伝ってくれたんだけど、玲央さんがまるで肉体労働に向いて無さそうなのを見るや、「こりゃあんたたちじゃ下ろせねえだろ」と言って軽トラを運転してうちの前で荷物を下ろすところまで全部やってくれた。
さて、そこまではホームセンターのおじさんに頼れたからいいけど、ここからはあたしたち二人でどうにかしなきゃならない。だけど、玲央さんと一緒なら何でもできる気がしてくるから不思議だ。
十一月とは言え、お天気の良い日に肉体労働なんかしていると、すぐに汗ばんでくる。だけど体を動かすのは楽しい。
二人で「あーでもない、こーでもない」とやっていたら、二階の前川さんと子供たちが降りてきた。
「おい、スミレ、何作ってんだ?」
「花壇だよー。今度ここにお花を植えるの」
「こらシュン! スミレお姉ちゃんって呼びなさい!」
「ユウも手伝う!」
「シュンもやる!」
来た来た、前川さんちの二人組。
「危ないからダメだよ。このブロック重いから、怪我するといけないでしょ?」
「ほらっ、あんたたち、お兄ちゃんたちの邪魔しないのっ! ごめんね菫ちゃん、いつもこの子たちが邪魔ばっかりして」
「いえ~」
ユウちゃんは小学校一年生のお姉ちゃん、シュン君は年長さんで、前川さんちの長男と長女だ。
「大丈夫だよ、オレなんか幼稚園で一番強いんだぜ」
「シュン君」
突然、玲央さんが振り返った。
「強い、というのはどういうことだかわかりますか?」
「そんなの簡単だよ、力持ちで、悪い奴をやっつけて、人のためになることをするんだよ」
「力があれば強いんですか?」
「そうだよ」
「違います」
「えっ?」
ちょっと玲央さん、相手は幼稚園児ですよ。そんなきっぱり。
だけど彼はシュン君の目線の高さに合わせてしゃがむと、彼の目を見てこう言った。
「強いというのは、大切なものを守る
「なにそれ」
「考えなさい。それがわかるまで考える。それができてやっと一人前の『強い男』です」
「それが強い男……」
シュン君は目に見えて表情が輝きだした。何やら彼の琴線にびびーんと触れるものがあったらしい。
「ユウ、ここは危ない。オレが守ってやるから離れて見ていようぜ!」
おいおいおい、シュン君、急に目覚めたの? いきなりユウちゃんの手を引っ張って、三歩ほど下がったぞ。
前川さんがあたしの方に顔を寄せて「玲央君、いつもこうなの。シュンったら、玲央君を神のように崇めちゃってるのよ」って囁いた。なるほど、確かに「危ないからダメ」って言うより、彼には効果がありそうだ。
そこに小林さんがご夫婦で降りてきた。奥さんの方は赤ちゃんを抱っこしてる。あっという間に子供たちはそっちに集まって行った。赤ちゃんに興味津々なのだろう。そして小林さんのご主人の方がこっちにやってきた。
「手代木さんこんにちは。こちらが菫さんですね、うちの嫁がお世話になりまして。可愛らしいお洋服作ってくださってありがとうございます」
うわぁ、優しそうな旦那様。
「気に入って貰えて嬉しいです。こちらこそありがとうございます」
小林さんのご主人はチラッとブロックを見て表情を和ませた。
「楽しそうですね。花壇ですか?」
「ええ、初めて作るものですから要領を得なくて。先程ホームセンターで伺ってきたんですが」
「僕はDIYが得意なんですよ。お手伝いさせて貰えませんか?」
なんと、ここへきて願ったり叶ったり救いの神登場ではないか。玲央さんが断る筈もなく、三人で和気藹々と花壇づくり。得意と言うだけあって、手順が完璧にわかっているらしく、彼が参加してからは余計なことで手間取る事が無くなった。
ご近所さんとこんな形で一緒に何かをするなんて、マンション住まいでもありえるんだ。それがなんだか嬉しい。
結局夕方陽が沈むころまでに花壇は出来上がり、後片付けも暗くなる前に全て終わってそれぞれに解散した。
今日はとても頑張った玲央さんの為に、彼の大好きなアジの塩焼きと金平ゴボウを作った。この前玲央さんの実家に行ったときに、家政婦さんから聞いたんだ。切り干し大根も好きだって情報も仕入れてある。
「今日はすっごく楽しかったですね。小林さんの旦那さんとも仲良くなれたし、花壇づくりも初めてで難しかったけど、できたときの達成感と言ったら、もう言葉じゃ表せないくらい」
「菫さんのおかげですよ」
「はい?」
「実は小林さんのご主人とは挨拶くらいしかしたことが無かったんです。おはようございます、とか、こんにちは、とか」
「ええっ、そうなんですか? 凄く楽しそうに話してたからてっきり」
「あれは菫さんの人柄に皆さんが引き寄せられたんです。僕じゃない」
玲央さんは静かに箸を置いて、あたしを真っ直ぐ見た。こんなふうに正面から見つめられるとなんだか照れる。しかも困ったことに、最近玲央さんが眩しくて仕方ないんだ。伊集院先輩と一緒の玲央さんが素敵だったからかもしれない。
「菫さんがここで暮らすようになってから、いろいろなことが順調に回り始めています。柚木さんへの御恩返しのつもりでしたが、菫さんにも助けられている。親子二代で手代木の家を助けていただいて、感謝の言葉もありません」
「こっ、こちらこそ、あの、いろいろ凄い面倒見て貰ってありがとうございます」
なんであたしたち、アジの塩焼き挟んで二人で頭下げてんの?
「これからもずっと家で働いていただけませんか? ずっと」
「それは……玲央さんがお嫁さんを貰ってからも、という事ですか?」
「そうです。僕にはどうやらあなたが必要です」
ズギューンって撃ち抜かれるセリフだよ、『家政婦として』っていう前提が無ければ。心置きなく勘違いしたかったけど、そうはいかないよね。借金一千万だもんね。
「はい。ぜひ、喜んで」
そう言ったあたしの声は、微妙に沈んでいた。
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