第28話 ベビーウェア
翌週からマンションの自転車置き場の工事が始まった。道路側に近いため、盗難が何件かあったらしい。それで、奥の方の方に新しく自転車置き場を作り、現在の自転車置き場は更地にするという事だった。
それにかかる費用はどれくらいなのかわからないけど、きっとあたしには見当もつかないような金額が動くんだろう。
最近、なんでもかんでも玲央さんの実家の錦鯉何匹分だろうって考えるようになっちゃった。動く金額が桁違いなんだもん。玲央さんに出会うまでは「これだけあったら、モヤシが五袋買える!」とか言ってたのに。あの錦鯉一匹でモヤシが何袋買えるんだろうな。ほんと、凄い家だった。
それに比べてあたしと来たら。いつになったら叔母さんへの借金が返せるんだろう。それこそモヤシ何袋分の借金なの? さっさと綺麗な身になりたい。
そう思っていたせいか、無意識に声に出してしまっていたんだろう、玲央さんがしれっとこう言い放ったのだ。
「ああ、その借金ならとっくに後見人として祖父の名義で返済していますよ。僕の方で立て替えておきましたから、あとは菫さんが僕に返済して下さればそれで結構です」
「ええっ? そうだったんですか。ありがとうございます」
とは言ったけど、それってつまり、玲央さんが伊集院先輩以外の人とゴールインしても、結局あたしは玲央さんの家政婦は辞められないという構図か……。
でもまあ、あの叔母さんに借りてるよりはずっといい。気分が違う。
っていうか、それじゃああたし、結婚できないじゃないか。いや、待て、住み込みやめたらいいのか。結婚して、新居から玲央さんのところに家政婦として通う。あ、でも、家政婦やってるような借金持ちの女なんか誰も結婚してくれないよね。借金一千万って聞いたら、誰だってドン引きだ。ってことはこれでいいのか。
「玲央さん、借金返済用の口座、いくら溜まってますか?」
「二万円です。九月分と十月分ですので計算するまでもありません」
「ですよね」
一年間で十二万、五十年でも六百万。死ぬまでに返せないかも。
「菫さん、今『死ぬまでに返済が終わらない』って思いましたね?」
読まれてる。はい、その通りです。
「僕から提案があるんですが」
「なんですか?」
彼はコーヒーを一口含むとテーブルの上で手を組んだ。
「菫さん、文化祭の時に素晴らしい技術を披露したじゃないですか」
「へ?」
「お裁縫ですよ。あの姫ドレスは菫さんが縫ったんでしょう? デザインはどうされました?」
「無料サイトで仕入れた型紙に手を加えて、オリジナルデザインにしました」
「何かこまごま作るのは苦になりませんか?」
「苦になるどころか、楽しいです。ストレス発散には指先動かすのが一番です」
玲央さんがそれを聞いて、とっても満足気に笑ったんだ。
「二階の小林さん、赤ちゃんが生まれたんです。菫さんがこの家に来る前から里帰りなさっていて、ちょうど昨日戻られたんですよ。何か贈り物をしたかったんですが、あまり高価なものですと小林さんの方が気を使われるでしょうから、ちょっとしたものをと思っていたんです。それで、赤ちゃんのスタイはどうだろうかと」
「いいですね! きっと喜ばれますよ! あ、でも」
「でも?」
「里帰りしてたんですよね。もうスタイはたくさんあると思いますよ。ベビーウェアの方がいいんじゃないですか?」
「菫さん縫えますか? 絶対に他所には売っていない世界に一つだけのベビーウェア、僕からあなたに発注したいんですが」
それからあたしは、なけなしの二万に玲央さんから前借りした三万をプラスしてミシンを買った。
玲央さんが「この家で使うものだから」と言って買ってくれようとしたんだけど、あたしの商売道具としてのミシンにして、これで生計を立てるんだと心に誓った方がちゃんと仕事としてできる気がしたんだ。だからちょっと無理をして自分のお金で買うことにしたんだ。
それからのあたしは水を得た魚だった。玲央さんの実家の錦鯉になった気分で、毎日が楽しくて仕方なくなった。
ベビーウェアは女の子という事もあって、可愛らしいデザインにした。勿論肌に直接当たるところはダブルガーゼにして、名前も刺繍で入れて。可愛くラッピングして玲央さんに納品したら彼も喜んでくれて、すぐに小林さんのところに届けに行っていた。
「小林さん、とても喜んでくれましたよ。オーダーメイドだと言ったら、写真をスタジオで撮りたいからドレス縫って貰えないかって仰ってました。どうされます? 仕事、引き受けますか?」
なんですと? 玲央さん、あたしの仕事、とって来てくれたの?
「勿論やらせていただきます! あ、でも、ベビーウェア作っただけでもリビングの半分占拠しちゃってたから、またそれくらい占拠しちゃうし……」
「そんなことでしたら気になさらないでください。僕はパソコンの前とテーブルの前さえ空いていればいいので……というか、この座布団一枚のスペースしか基本的に必要としてませんから、もっと使っていただいても結構ですよ」
「ほんとですか。じゃあ、あの、是非お願いします。ちゃんと家政婦の仕事も頑張ります。玲央さんもお仕事しながら頑張ってるんだもん、あたしもお仕事しながらちゃんと勉強してお金貯めます」
「それは良かった。菫さんにも目標ができましたね」
えっ? まさかこの人、あたしに目標を見つけさせるために?
確認する術もなく、すぐにパソコンに向かった玲央さんの頼りなさそうな背中を、あたしは見つめることしかできなかった。
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