第7話 引っ越し

 訳が分からないままお昼が過ぎ、予告通り十四時に葬儀屋さんが来て、例の調子で手代木さんと葬儀屋さんの方で勝手に話が進み、あたしはただお茶を出しただけで何もしないまま全てが片付いてしまった。

 手代木さんの顔にはかなり疲れが見えてきているのに、弱音の一つも吐かず、全くミスもせず、完璧に仕事をこなしていく。

 あの人、高校生だよね……ってこればっかり。とてもあたしの二つ上とは思えない。


 夕方になって一通りの事が済んだところで、彼が家に帰ると言い出した。それもそうだ、彼は昨日葬儀場から真っ直ぐこの家に来て、そのままお風呂にも入らず、睡眠もとらず、ずっと働き詰めだった。いい加減寝て貰わないと、彼に倒れられたらあたしが困る。

 結局彼は夕方の五時過ぎに、連絡先の電話番号とメールアドレスを置いて帰った。それと、あたしの宿題を残して。


「明日、朝十時にまた来ます。それまでに菫さんの引っ越しの荷物をまとめておいてください。昼から引き取りが来ますから、時間の猶予は全くありません。明後日はもうこのマンションが僕の管理下から外れることをお忘れなく」


 言ってることは厳しいけど、玄関を出るときふらついてた。大丈夫かな。頭は切れるけど体は貧弱そうだったし、ちょっと心配。


 それからあたしは手代木さんに言われた通り、殆どのものを手放す覚悟でちゃんと荷物をまとめた。


 この家で迎える最後の夜。布団に潜るといろんなことが思い出される。だけど過去に縋って生きてちゃダメだ、今は前を見ないと生きていけない。

 これからは月三万円で生活するんだ。スマホ代でかなり持って行かれちゃうから、友達と遊んだりするお金は全く残らない。だけど、そもそも遊んでる暇なんか無いんだ。本当なら学校辞めて働くか、風俗で体売らなきゃならなかったんだから。それに比べたら天国みたいな待遇だ。


 ほんの数日前までは当たり前だった生活が急に失われるということ、今まで一度も考えたことが無かった。平和にのほほんと暮らしてた。両親に反抗したり生意気言ったりして、一人で勝手に成長したような気になってた。

 とんでもなかった。一人じゃ本当になんにもできないってことを突き付けられた。


 そして、あたしには全くなんにもできないことを、同じ学校の先輩が普通にやってのけている。あたしだけがまるでダメなんじゃないか。

 もっといろんなこと手伝っておけばよかった。もっといろいろ勉強しておけばよかった。後悔してももう遅い。これからの人生、後悔しないように生きるしかない。

 そんなことをぼんやりと考えているうちに、あたしは眠りに落ちた。



 翌朝十時きっかりに彼はやって来た。

 一瞬誰かわからなかった。黒いポロシャツにジーンズで来たからだ。そう、あたしは出会ってからずっと彼の制服姿しか見ていなかったんだ。

 なんかこうして見ると大学生のようにも見える。とってもイメージ変わる。


「おはようございます。昨夜は眠れましたか?」

「はい。ありがとうございます。手代木さんこそ、疲れが溜まってないですか?」

「僕は大丈夫です。それでは早速荷物の積み込みを始めましょう」

「え? 積み込み?」


 今から引っ越しって事ですか?


「はい。昼から引き取り来ますから。それまでに菫さんの荷物を僕の家に運ばないといけないでしょう?」

「あ、そうか、そうですね。すいません、なんか混乱してて」

「大丈夫です、僕がその都度ちゃんと説明しますから。どれを運んだらいいですか?」


 あたしはまとめておいた荷物を彼に見て貰った。多すぎてムリって言われるかもしれないから。

 彼は両手に軍手をはめながら、荷物を一通り眺めた。


「この段ボール群は勉強道具ですね。こちらは衣装ケースごと持って行っていいですね。あとはご両親をお連れしないといけませんね。それと……これは?」

「あ、あの、これはどうしても必要なんです」

「この……シーラカンスがですか?」

「一緒に行った水族館で父が買ってくれて」

「わかりました。大切ですね」


 良かった。許可が出た。このぬいぐるみには家族の思い出が詰まってるんだ。


「では、段ボールの方から積み込みますので、玄関に出して貰えますか? 僕が車に積みますので」

「はい」


 見ると、外にワゴン車が停めてある。あれならあたしの荷物くらい一遍に運べちゃいそう。大して無いけど。


 二人で積み込んでも十分もかからなかった。あっという間に積み込みが終わったところで、彼が車の助手席のドアを開けた。


「では、僕の家に案内しますから、乗ってください」

「はい」


 って、え? どうして手代木さんが運転席に?


「あのっ!」

「はい」

「手代木さんが運転するんですか?」

「はい」

「え、だって、まだ、高校生ですよね?」

「十八歳です。運転免許も持っています」


 って、カバンから免許証出してくるし! いや、そういう問題じゃなくて。いや、そういう問題か。

 だけど、半年前まで中学生だったあたしには、とても考えられないようなことで……。


「出発していいですか?」

「え、あ、はい」


 当たり前のように車が動き出す。なんかドキドキしますけど。大丈夫ですか?


「申し遅れましたが、僕は誕生日が四月なので、さっさと教習所に通って運転免許を取得したんですよ。ビジネスに於いて、移動手段は多い方がいい」


 はぁ……ビジネスですか……。あたしには縁がないです。

 なんて思いながら車に揺られること十数分、線路のそばの道に出た。


「最寄り駅の前を通っていきます。通学路になりますので覚えてください」

「あっ、はい!」


 何から何まで気が利きすぎる。そんなことまで、あたし自身、全然気が回ってなかったのに。


 到着した彼のマンションは、部屋によって広さが違うような造りになっていた。彼曰く、二階から上は家族向けの部屋で、一階は独身者向けの間取りになっているらしい。

 彼の部屋は一階の一番端の部屋だった。元々は四階に住んでいたらしいが、今ではその部屋は広すぎるという事で一階に引っ越したようだ。

 でも、独身者向けの部屋で彼とお母さんが一緒に暮らしてるんでしょ? それだけでも狭そうなのに、そこにあたしが住み込みとなったらかなり窮屈なんじゃないですか?


 まずはお母さんになんて挨拶したらいいんだろう。そこからだ。

 これから家政婦としてお世話になります、柚木菫です。ああ、こういう時は申しますって言った方がいいのかな。至らない点もあるかと思いますけど、大目に見て……違う、ええと、いろいろ教えて、じゃない、ご指導してください、あれ、日本語おかしい、どうしよう、ああもう、手代木さんがあんなに完璧な敬語使ってるのに、あたしの方はさっぱりだ。


「菫さん、鍵開けましたので、荷物運んでください」

「はっ、はいっ!」


 あたしには挨拶の文句を考える時間などなかった。

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