第6話 あたしの仕事

 それからあたしは気を取り直してご飯を食べた。十時に保険屋さんが来るんだ、それまでにいろいろやらなきゃならないこともある。

 急いでご飯を食べていたら、手代木さんがあたしの正面に座った。


「食べながらでいいので聞いてください」

「はい」

「雇用契約についてです」

「はい? なんですか、それ」

「僕があなたを雇うに当たっての決めごとです」

「あ、はい」


 思わず背筋が伸びる。ご飯食べながらでいいんだろうか?


「まず、毎朝必ず洗濯と掃除をしていただいて、朝ご飯とお弁当を作っていただきます。これにかかる時間はどれくらいですか?」

「えっ、ええと、一時間半くらいです」


 朝起きて、洗濯機回しながら掃除して、それからご飯作りながらお弁当も作って、朝ご飯の後に洗濯物干せばいいから、多分それくらいかな。今までと同じだから難しくはないと思う。


「では、学校から帰って、夕ご飯を作る時間と後片付けをする時間、実働でどれくらいですか?」

「え、ええと一時間くらいだと思います」

「了解しました。一日当たりの実働は二時間半ですね。時給千円と考えて一日当たり二千五百円、毎週土日をお休みとして、一ヵ月二十二日で五万五千円。ガス水道電気などの光熱費と食費一部負担で計二万五千円給与から天引きさせていただきますので、月額三万円で如何ですか?」


 住ませて貰うのに、給料?


「月に手取りで三万円もお給料出るんですか?」

「非常に少ない額ではありますが、それ以上はお支払いできません。学費もこちらで負担しますので。ただし学生のバイト感覚では困ります。責任を持って仕事に臨んでください。こちらもそれなりのリスクを背負っておりますので」

「勿論です! そんなに貰えると思ってませんでした。ありがとうございます」


 今まで通りの生活をしててお小遣いが三万円も貰えるって事ですよね? 学費も全部払って貰えるから、お小遣いから減ることは無いんですよね?


「あと一つ相談なんですが……」

「はい」

「給与振込口座を二つ作って欲しいんです」

「はい、わかりました」

「片方は給与のうち二万円を、もう片方の口座に一万円を振り込みます」

「はい」

「一万円の方の預金口座は、僕に管理させてください」

「はい?」

「菫さんが途中で仕事を放り出して逃げないように、責任持っていただくための人質です」


 あたしが逃げ出すような生活を、この人はしてるんだろうか。あたしが逃げられるわけがない。他に生活できるところなんか無いんだから。


「わかりました。あたしも叔母に返すお金を貯めなきゃならないから。それは絶対に手を付けない口座として手代木さんに預かってもらいます。その方があたしも都合がいいです」

「じゃあ、これで契約成立ですね。今の内容で契約書を書きますから、あとでよく読んでサインしてください」

「わかりました」

「それと」

「はい」


 手代木さんは手元の書類を眺めながらついでのように言った。


「柚木さんご夫妻とあなたとの区別をつけるため、僕はあなたを菫さんと呼ばせていただきます。菫さんも僕のことは家では玲央と呼んでいただけますか。学校では手代木と呼ぶことになると思いますので、公私の区別はつけておきたいんです」

「はい。ええと、家に居る時が仕事だから、この場合『こう』が玲央さんで、『』が手代木さんってことですか?」

「そうですね、普通は逆ですが、僕たちの場合はそうなります」

「わかりました」


 それだけ確認すると、彼はまた自分の仕事に戻ってしまった。

 あたしものんびりしてはいられない。彼の家に運び込むものを決めなくちゃ。住み込みの身なんだからたくさんは持ち込めないし、お父さんとお母さんの形見になるものと勉強に必要なものだけに絞らないと。


 まずは勉強に必要な学用品と服や靴など、自分の身の回りのものをまとめ、それから両親の形見や思い出の品などを選別した。

 こうしてみるとけっこうたくさんのものがある。教科書や参考書だけでも凄い量だ。こんなにたくさん手代木さんの家に持ち込んでしまって迷惑にならないんだろうか。本当に必要なもの以外はみんな処分しないといけないかもしれない。


 夢中でやっていたら知らないうちに十時になっていたらしく、保険屋さんが来た。


「僕が話をしますから、菫さんは作業を続けながら耳だけ傾けていてください。わからないことや納得のいかないことがあれば、いつでも割り込んでください」

「はい、わかりました」


 あたしは保険屋さんを部屋に通し、二人にお茶を淹れて、また作業の続きをした。

 正直、手代木さんと保険屋さんの話はチンプンカンプンだった。死亡保険がどうのこうの、自損事故がどうのこうの、なんかよくわからない話をしてるけど、わからな過ぎて話に割り込めない。わからなかったら聞いてくださいっていうけど、何がわからないのかがわからない。


「葬儀はご親戚の方が手配されたんですか」

「ええ、必要最小限の家族葬にしてくださっていたので、余分なお金がかからずに済みました」

「まともにやったら二百万くらいかかりますからね」

「ええ、見た感じでは五十万くらいで済みそうです」


 手代木さん、なんでそんなに詳しいの? 高校生ですよね?


「これから彼女、お一人で大変でしょうが……まあ、後見人が手代木会長なら何かと安心ですね」

「柚木さんには祖母が大変お世話になりましたので、祖父がどうしてもと言いまして。まあ、家裁への申し立てもこれからですし、選任されるかどうかはわかりませんが」

「ご親戚が後見人を放棄なさっているんですよね。それなら寧ろ家裁の方から依頼されますよ」


 会長? 手代木さんのお爺ちゃん、何かの会長さんなのかな?

 なんて考えてる間に話は済んでしまったらしい。


「では後見人決定次第、早急にお支払いの手続きを取りますので、振り込み次第ご連絡させていただきます」

「はい、よろしくお願いします」


 あたしも慌てて玄関に見送りに行く。保険屋さんが深々とお辞儀をして出て行った。


「さて、葬儀屋さんが来る前に昼食にしましょうか」

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