第四章 上流階級

第35話 使用人

 文化祭のアラビアンコスチューム以来、凛々子と吉本君が急接近してる。とは言っても、吉本君の方は友達としか見てないみたいで、凛々子の方が果敢に仕掛けているのは傍目にもよくわかるんだけど。

 勿論、吉本君にコクられたことは凛々子には内緒だ。そのうちに吉本君が凛々子に靡くかもしれないし、余計な火種は撒かない方がいいに決まってる。

 あたしだって、そりゃ彼氏とか欲しいけど、今のあたしにはそんな余裕はどこにもないのだ。勉強はしなきゃならないし、借金を返すためにほんのちょっとずつでも仕事して稼がなきゃならない。遊んでる暇なんかどこにも無いんだ。


 幸いなことに、あれから前川さんが十数人から注文を取って来てくれたんだ。絵本バッグとコップ袋とお弁当袋とランチョンマット、それに体操着袋と靴袋の六点セットにネームタグをつけて五千円という条件で提示して、あっさりと十件以上受注してきてくれたんだ。

 本当に困ってるんだな、子育て中のお母さんがこれだけ作るのって確かに大変かもしれない。

 アニメのキャラとかチェックにしてくれとかっていう注文はあるものの、細かいことは言わないからとにかく作ってくれって言う切羽詰まったような注文ばかり。きっと下に赤ちゃんがいたりして布地を買いに行っている暇も無いんだろう、材料を持って来る人は一人もいなくて、ざっくりと色を指定する程度であとはお任せだったから、吉本君と一緒に行った例の手芸店でまとめて布地を買い込んできた。

 今はとにかく、家政婦の仕事と自分の内職と学校の宿題に追われる毎日だ。


 そんなあたしの事情を知る由もない吉本君と凛々子はのんびりと楽しそう。期末テストが終わったから開放的になってるんだろうな。早速クリスマスに遊園地に行こうって計画で盛り上がってる。あたしはパスポートすら買うお金無いのに。


「勿論、柚木さんも行くよね?」

「ごめん、あたしは行けないんだ」

「え、スミレ行かないの? 一日くらい雇い主さんもお休みくれるんじゃない?」

「あ、うん、家政婦の仕事は土日休みくれてるからいいんだけど、他にも仕事掛け持ちしてるから」


 凛々子と吉本君が顔を見合わせる。そりゃそうだよね。何やってんだって思うよね……。


「そんなにお金に困ってるの?」

「ううん、生活費は殆ど困ってない。全部雇い主さんが出してくれるし。お父さんが借金残して死んじゃったから、その返済がね」

「え? そうだったの? なんで言ってくれないのよ、親戚じゃない、うち」


 う~、だから、お宅んちから借りたんだってば、凛々子は知らないと思うけど。


「えっと、家政婦やってるところの雇い主さんが良い人で、代わりに返済してくれたの。それで、あたしの給料から毎月少しずつ返してくれればいいからって。だけど借金の額が大きいから、一生家政婦やってても返済しきれないんだ。だから内職とかいろいろやってるの。同じマンションの人が一度に五万円分の注文取って来てくれたりして、割と協力的で助かってるんだ」

「借金ってそんなに大きい額なの?」

「一千万」


 当然だけど、吉本君が口をあんぐりしてる。凛々子の方は吉本君と違って、何か必死で考えてるようだけど。でもそれ、お宅から借りたのよ。


「ね、内職って何してるの?」

「お裁縫得意だから、幼稚園の絵本バッグ縫ったり、ベビーウェア作ったり。注文受けてから作る感じ」

「ああ、柚木さん、この前の衣装凄かったもんね」

「わかった。じゃあ、お金のかからない遊びに誘うようにする。内職のあてはこっちでも探せるかもしれないから、いくつか当たってみるよ」

「ありがと」


 まで言ったところで、廊下の角から玲央さんがこっちに来るのが見えた。よく考えたら「借金一千万」とか、図書室の前で堂々とする話じゃないよなー。

 ふと、吉本君が「じゃあさ」と、何かを思いついたように言いだした。


「初詣とかは? 神社にお参りするだけだし、お金かからないよね。年の初めを一緒に祝おうよ」

「あ、いいね! 遊びに行くわけじゃないしね。行こうよスミレ」

「うーん……」


 玲央さんがあたしたちの横を通り過ぎるとき目が合った。あたしが軽く会釈すると吉本君も気づいて玲央さんにニコッと笑顔で軽く会釈した。


「じゃ、正月二日はどう? 俺、柚木さんちの駅まで迎えに行くよ」

「その日は困ります」


 突然、後ろから声がした。通り過ぎた玲央さんが、こちらを振り返ることもなく言葉を継いだ。


「吉本君、その日は僕が柚木さんをお預かりしています」

「え? 手代木先輩がですか?」


 玲央さんはスッとこちらを振り返り、眼鏡のフレームをキュッと上げた。


「すみません、せっかく何かのご計画のようですが、正月の二日は手代木家にゆかりの者が集まります。柚木さんがいないわけにはいきませんので」

「え、でも、柚木さんと手代木先輩って、柚木さんのお母さんが手代木先輩のお婆ちゃんの担当だっただけじゃないんですか?」

「吉本君、違う」


 凛々子が小声で割り込んだ。


「手代木先輩のお爺ちゃんがスミレの後見人になったんだよ」

「後見人? それって、ただの法定代理人だろ? 縁の者って程のことじゃないよ? あれ? もしかして柚木さん、手代木家に養子縁組したんですか?」

「違っ……そんなわけないじゃん。違うんだよ、ほんと」


 どうしよう、ごめんなさい玲央さん、と思ったその時だった。当の玲央さんがとんでもないことを口にしたのだ。


「その日は大切な日なんですよ。手代木、伊集院、二階堂が集まる日です。柚木さんがいないと困るんですよ。彼女は手代木の使用人なんですから」

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