第六章 家族
第51話 デート?
それからというもの、あたしは大量の注文品をこなすため、毎日せっせと袋物を縫っていた。同居が学校にバレたのを自分のせいだと思った凛々子が、罪滅ぼしにと袋物6点セット5千円で36人分の注文を取って来てくれたのだ。
36人分全部仕上がったら18万円だよ! いままで5万稼いだから23万になるか。あ、でもここから材料費も出るから……それでも22万くらいにはなる。よし、あと978万円!
あたしが意気揚々と作っていると、玲央さんに後ろから声を掛けられた。
「菫さん、今度の土曜日ちょっと出かけるんですが、菫さんも一緒に来て貰えませんか?」
ええっ、なんだろう。この前桜子さんにドレスコードがどうのこうのって教わったばっかりだけど、大丈夫なのかな。
「あの、どちらへ? 玲央さんに同行するなら服装は選ばないといけないので」
一瞬の間があった。すぐに玲央さんは理解したらしく、クスッと笑って付け加えた。
「大丈夫ですよ。僕が羽を伸ばしたいだけなんです。デートのようなものだと思って貰えればいいです」
ええっ! デート? デートって言いました? っていうか、デートって一体何を着て行ったらいいんですか!
「あのっ、あたし、その、デートというものをしたことが無いので、却ってわからないんですけど」
「普段着で結構です。僕とその辺に出かけるだけですから」
玲央さんと出かける……猛烈にオシャレしたい。けど、この家に来るとき、少しでも荷物を減らそうと思って殆ど処分してしまった。家政婦にオシャレなんか要らないって、バッサリと容赦なく。
あたしがどよよ~んとなっているのがわかったのか、玲央さんが妙に軽いノリで割り込んできた。
「あ、そうだ。デニムのワンピースありましたよね。あれ、好きなんです。菫さんに良く似合っている」
「え、あれでいいんですか? 『いまむら』で700円で買った超お買い得ワンピースですよ、いいんですか?」
あたしの慌てぶりに反比例して、玲央さんは楽しそうに笑い始めた。
「あれ、700円なんですか。なんというコストパフォーマンスの良さ。全然そんな風に見えませんよ。ますます気に入りました。土曜日はそれで出かけましょう」
不気味なほど激安ワンピースに気を良くした玲央さんにいろいろ考えるところはあったけど、せっかくのリクエストなのでそれで出かけることにした。
でも、一体どこへ出かけるんだろう?
土曜日。玲央さんと一緒に暮らし始めて六か月目にして、初めて一緒に電車に乗った。
よくよく考えてみたら、毎朝学校へは別々に行くし、帰りも一緒になったことはない。それに、いろんな手続きのために役所に行くときも、引っ越ししたときも、玲央さんの運転する車での移動だった。玲央さんと二人で電車に乗ったことが無かったことに今更気づいたのだ。
凄い新鮮。デートみたい。まあ、「デートのようなものと思ってくれ」って言ってたから、ある意味正解なのかもしれないけど。
まだ二月の上旬、寒いから例のデニムのワンピースに白いカーディガンを羽織って、その上から更にコートを着込んで完全装備。玲央さんもデニムシャツの上に白いセーターを重ねてコートを羽織ってる。
白いカーディガンと、白いセーターがお揃いっぽくて照れる。あ、シャツもデニムだ。やだどうしよう、本当にお揃いみたいで恥ずかしい。けど、ちょっと嬉しい。
こんなお休みの日でもきっちり襟のついたシャツを着るところなんか、玲央さんぽくて笑っちゃう。
電車に乗ってからふと思い出して、行き先を聞いてみた。そしたらナイショって言われちゃった。今日の玲央さんはなんだかちょっとはしゃいでるっぽくて可愛い。
そう言えばこの人が遊びに行くって、初めて見るかもしれない。いつも仕事してるか勉強してるか。寝る間も惜しんで一分一秒も無駄にしない人なのに。
電車ってドキドキする。唐突に揺れたりするから、不可抗力で玲央さんにもたれかかっちゃったりして。慌てて謝るんだけど、「かまいませんよ」なんて澄ました顔で言われちゃって、なんだかあたし一人で照れちゃってるみたいで。
人がいっぱい乗って来ると、離れてしまわないようにその時だけ肩に手を回してくれて。あたし絶対顔赤くなってると思う。恥ずかしくて顔があげられない。ずっとこうしていたいけど、落ち着かなくて早く電車降りたいって気持ちもあって。
電車を降りたら、なんだか見覚えのある場所のような気がした。いつ来たのかよく覚えていないんだけど、確かにこの風景は過去に来たことがある場所だ。
どこだったか思い出せなくて一人で悶々としていたら、唐突に玲央さんがあたしの手を取った。驚いて口をパクパクさせていたら、彼はにっこりと微笑んでサラリと凄い言葉を口にした。
「せっかくのデートですから、こうやって歩きましょう」
「は、は、はい」
なんで返事するだけなのにしどろもどろになってるんだあたしー!
「ここに来てみたかったんですよ」
連れて来られたのは水族館だった。このアーチ、見覚えがある。ぼんやりと記憶が蘇ってきた。
ここ、来たことがある。お父さんとお母さんと一緒に。
「菫さんが引っ越しの時にどうしてもと言っていたシーラカンスのぬいぐるみ、ここで買ったんでしょう?」
「まさか、調べて?」
返事の代わりに、彼は柔らかく微笑んだ。
「菫さんとご両親の思い出の水族館、来てみたかったんです」
いっぺんにいろんな記憶が押し寄せてきた。
イセエビとイワシを見て、今夜のおかずに貰って帰りたいなんて言い出したお母さん。
マンボウとかマンタとかクラゲとか、のんびりゆらゆらした生き物に癒されるって言ってたお父さん。
シーラカンスを家で飼いたいって言いだしたあたしに、金魚も育てられないのにって笑ったお母さんと、ぬいぐるみを買ってくれたお父さん。
突然涙がぶわっと出てきた。やだどうしよう、止まらない。こんなところで泣いてたら恥ずかしいよ。けど、どうにもならない。玲央さん助けてください。
「玲……ご、ごめ……な……さい」
玲央さんは黙ってあたしを抱きしめてくれた。彼の腕の中は暖かかった。余程大きいわけでも逞しいわけでもなくて、どちらかと言えば貧弱な感じの彼の腕が、こんなに安心できるっていうことに驚いた。
とっても気持ちが安らぐのは何故だろう。こんなにあったかく感じるのはどうしてだろう。玲央さんの白いセーターがマシュマロみたいに感じる。このままマシュマロに包まれてゼリーになってしまいたい。何考えてるんだ、あたし。頭おかしい。
暫くしてやっと落ち着いたあたしが漸く顔を上げると、彼は優しい目をしてあたしの顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
「はい、ごめんなさい。なんかわけわかんなくなっちゃいました。すいません」
それからあたしたちは本物の恋人同士みたいに、ずっと手をつないだまま水族館の中を歩き回った。玲央さんの意外な面がいろいろ見えて楽しくって、久しぶりに本気ではしゃいでしまった。
だって、玲央さんてばイソギンチャクが気に入っちゃって、ずーっとずーっとイソギンチャクばっかり見てるんだもん。途中でカフェに入って休憩したんだけど、そこでもイソギンチャクの話ばっかりしてるし。色がどうだとか配置がどうだとか。お魚見ましょうよーって言っても、イソギンチャクとかサンゴとかそんなのばっかり見てる。本当にこの人の視点は面白い。
一日中はしゃぎまわってへとへとに疲れて家に帰ると、玲央さんがポケットの中から何かを出してきた。
「さっき菫さんがお手洗いに行ってる間に、売店で買ったんです。菫さんがこの子を可愛いと言ってたので」
そう言って手渡されたのは、チンアナゴのイヤホンジャックアクセサリーだった。これってスマホからチンアナゴが顔出してるみたいになるのでは。それかなり可愛いです。
「僕のはこれ」
玲央さんのスマホには、もうイヤホンジャックに何かが刺さっていた。よーく見たら、半透明のイソギンチャク。こんなところにまでイソギンチャク! 何なの、この人可愛い! 可愛すぎます!
「楽しかったですね。またデートしましょう」
「はい!」
宝物がまた一つ、増えました。
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