第52話 パーゴラ
昨日の水族館から、あたしはずっとずっとアーチのことを考えてた。
入口にあったお魚やペンギンの絵が描いてある大きなアーチ、あの下をくぐると幸せな世界が待っているような気がするんだ。
あたしは勇気を振り絞って玲央さんに直談判してみることにした。
「玲央さん、ちょっと相談があるんですけど」
「はい」
回覧板を作っていた玲央さんが、相変わらず眉一つ動かすことなくこちらを振り向く。
「花壇なんですけど。このマンションの入り口、花壇のすぐわきじゃないですか。それで考えたんですけど、入口のところにアーチ立てませんか?」
「アーチ? どういう意味ですか?」
「入口にアーチを付けて蔓性のお花を絡ませて……あの、ちょっと来てください」
玲央さんを引っ張って外に出る。二月の風はまだ冷たいけど、花壇のストックとパンジーが元気にあたしたちを出迎えてくれる。
「あのね、ここにこう……水族館の入り口にあったようなアーチを立てて、このマンションに帰ってきた人がお花のアーチの下をくぐってお家に入るんです。どうですか?」
あたしの憧れだった、バラのアーチのある玄関。バラは難しそうだから諦めるとしても、せめてアサガオのアーチにすればユウちゃんやシュンくんと一緒にお世話できる。
「残念ですが実現には少々難点があります。まず、ここを通らなければ自転車小屋に行けない。アーチを立てることによって、自転車の通行に支障がでます」
あ……そうですね。
「同じ理由で、ベビーカーや車椅子、シニアカーも通行に支障が出ます。お花のアーチはとても魅力的ですが、その為にバリアフリーを台無しにするわけにはいきませんので」
ああ、あたし、なんて浅はかなんだろう。住む人のことを考えて提案したつもりが、もっと根本的なところでズレてる。玲央さんはちゃんと大切な部分が見えているのに。
「ごめんなさい。あたし、そこまで気づかなくて。やっぱり経営者になるっていう事は、それだけ利用者のことを考えなきゃならないんですね。あたし、甘かったです。すいません」
「菫さん」
玲央さんがあたしの手を取った。それだけでドキッとしてしまう。最近スキンシップ多くないですか?
「ありがとうございます。住人の事を考えてのご提案ですね。あなたはこちらの仕事をよくご存じないだけですから、わからなくて当然です。僕はこうして菫さんが提案してくれたことが何より嬉しいです」
「あ、手代木さん。こんにちは」
ビクッとするあたしとは裏腹に自然に手を離した玲央さんは、静かに振り返って当たり前のように挨拶した。
「ああ、こんにちは。小林さん、お出かけですか?」
「いえいえ、ちょっと天気が良かったもんですから日向ぼっこがてら花壇を眺めに。手代木さんと菫さんは?」
「ここの花壇にアーチがつけられないかと相談を受けまして、ちょっと無理じゃないかと話していたところです」
「アーチですか……」
ああ、そうだ。小林さんの旦那さんはDIYが得意だったんだ。
小林さんは花壇から自転車小屋までをぐるっと見渡すと、腕を組んで何度か頷いた。
「ここの自転車小屋までのスペース、結構あるでしょう? いっそね、この花壇、場所を移動して真ん中にパーゴラ作るのはどうでしょうね?」
「パーゴラ? ってなんですか?」
「あ、藤棚みたいなやつですよ。藤じゃなくてもクレマチスとかバラとか、そういう蔓性の植物を這わせて、ちょっとした日陰を作るんです。その下にベンチを置いたら、ここで遊ぶ子供たちをお母さんがベンチで見守ることもできますしね。ここで赤ちゃんを抱っこして日向ぼっこもできるし、このマンションの小さい子供たちを集めて絵本の読み聞かせもできますよ。うちの嫁さん保育士なんで、そういうの得意なんですよ」
凄い! マンションの人たちの憩いの場になるなんて!
ここでユウちゃんやシュンくんと遊んで、小林さんの赤ちゃんをお散歩させて、みんなでお花を植えるの、素敵です、小林さん!
「パーゴラの両側に花壇を作れば、お花も楽しめて一石二鳥ですよ。まあ、予算があればですけど」
「予算ならあります。設計してホームセンターで相談すれば、お店の人はわかりますか」
「もし良ければ、私がサクッと設計して一緒にホームセンターに行きますけど」
えええっ、小林さん、頼りになりすぎる!
「本当ですか? せっかくのお休みなのに……お願いしてもかまいませんか?」
「いえ、私もそういうの大好きなもんですから。じゃ、ちょっとうちの嫁さんに話してきますんで、五分待っててください」
小林さんは、それはそれは嬉々として階段を駆け上がって行った。
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