第50話 安泰じゃない!

「今日はどうでした?」

「まあ、想定内でした」


 センター試験が想定内なのか、この人は。あたしもそんな風に言ってみたいよ。


「お弁当、美味しかったです。僕の好物ばかり入ってましたね。カボチャの煮物、切り干し大根、鮭の塩焼き、煮卵。海苔で『合格』って書いてあったのには笑ってしまいましたが」


 あ、まずかったかな。やっぱり恥ずかしい?


「でも、嬉しかったです。菫さんを思い出して、午後も頑張れました。ありがとうございます」

「明日も玲央さんの好きなもの、入れますね」


 一緒に夕食をとりながら、なんだかあたし一人でぎこちない。昼間の手代木家での話がいまだに尾を引いている感じ。


 あれから玲央さんの話になったんだ。そこでびっくりするような話を聞いた。

 学校から手代木家に連絡が入ったんだって。それで、あたしと玲央さんが二人で生活してることについて確認されて、お爺様は「知ってる」ってしれっと答えたとか。

 電話したのがタコだったらしくて、玲央さんが言った「結婚の準備」って言葉をそのままお爺様に伝えてしまって、どうするつもりかと迫ったらしい。

 なのに、なのにだ。

 お爺様と来たら「ああ、やっと決めたか。これで手代木の家も安泰だ」と言い放ったらしいのだ。


 はっきり言って手代木家は全く安泰じゃない。だって玲央さんはあたしの為に偽装結婚しようとしてるんだもん。

 そこら辺、お爺様も桜子さんもなんにも知らないみたいだったから、あたしはっきり言ったんだ。


「普通って、お互いが惹かれ合って、それでお付き合いとかするじゃないですか。大地君と桜子さんみたいにデートしたりとか、そういう恋人のお付き合いです。それで、結婚しようかってことになって、プロポーズなんかされて、婚約して、それで婚約者になって、結婚式挙げて、披露宴やって、新婚旅行行って……それで夫婦って感じじゃないですか」

「ええ、そうですわね」

「でもあたし、そういうの全部すっ飛ばして『家政婦』から紙一枚で『妻』に肩書変えようとしてるんです。玲央さんはあたしのことを好きで結婚しようとしてるわけじゃなくて、あたしの生活拠点を死守するための最終手段として結婚という選択をしただけで。だから当然デートもしたこと無いし、そもそも『好き』って言われた記憶がありません。」

「あら……」

「だからあたし、玲央さんに『さあ結婚しましょう』って言われても素直にお受けできないんです。もちろん行く当てもないようなあたしを奥さんにして貰えたら嬉しいけど、玲央さんの負担にはなりたくないですし」


 喋りながら自分でも訳が分からなくなっていたら、お爺様と二人で困った顔をして聞いていた桜子さんがティーカップを置いたんだ。


「デートしたことも無いんですの?」

「ありません。っていうか、普通は家政婦と主人はデートってしませんし」

「玲央は菫さんへの好意も伝えていないの?」

「はい、残念ながら。親切にはしてくれますけど、基本的に家政婦と雇い主ですから」

「信じられませんわ」


 普通、好意があれば「結婚しましょう」の前に気持ちって伝えますよね。それが無いってことは、好意が無いってことですよね……。


「あの、大地君も『好き』とか言ってくれるんですか」

「ええ、もうつき合い始めて2週間でプロポーズされたましたわ」

「えっ! プ、プロポーズ……の言葉は?」

「There are many ways to be happy in this life, but all I really need is you.って。日本語で言うのが恥ずかしかったみたいですの」


 すいません。あたし、英語わかりません。だけどなんだか素敵なことだけ伝わりました。ハッピーとかニードとかユーとか、何か幸せであなたが必要なんですね。ごめんなさい、わかんなくて。

 半分いじけながらティーカップを手に取ると、桜子さんが申し訳無さそうにあたしを覗き込んだ。


「ごめんなさいね、菫さん。わたしの躾が甘かったわ」

「へ?」

「本当に困った人よね、玲央って全然女性の気持ちなんかわからないのよ。事務的に婚姻届けを出して『ハイ、あなたは僕の奥さんになりました』で納得できるわけがないのに。彼は左脳だけで生きているんだわ」


 ああ、そんな感じです。はい。でも悪気は無いんです、理系って多分そういう生き物です。


「そうよね、菫さんにとって一生の問題ですものね。やっぱり女性に生まれたからには、きちんと恋をして、たくさん『好き』って言って貰って、一緒にたくさん想い出を作って、ロマンティックにプロポーズされて、素敵なお式を挙げて、夢のような新婚旅行をして幸せになりたいわよね。それを紙一枚で済まそうなんて、玲央は一体何を考えているのかしら。もっと菫さんを大切にするべきですわ」

「あ、いえ、そこまでしていただかなくてもいいんですけど、手代木家の未来に関わる問題なので婚姻届けにサインはできません」 


 あたしが慌てて言うと、桜子さんは「ごめんなさいね、気づいて差し上げられなくて」って言いながらあたしをぎゅっと抱きしめてくれたんだ――。


「どうしました? 箸が進んでいないようですが」


 ハッと顔を上げると玲央さんがあたしの顔を心配そうに覗き込んでいた。


「あ、ちょっと考え事です。なんでもないです」

「菫さん、心配事があるなら僕に言ってください」


 そんな真剣な目であたしを見ないでください。その心配事の種は全部あなたなんですから。


「いえ、大丈夫です。玲央さんはあたしのことより、明日の試験のことに集中してください」

「まだ僕に隠し事をするんですか? そんな顔をされていたら心配で試験どころじゃありません。ちゃんと話してください」

「試験が終わったら話します。今は試験に集中してください。あたし夕食終わりました、ごちそうさま。お茶淹れてきます」

「菫さん!」


 あたしが立つと、玲央さんも一緒に立ち上がった。


「何故僕を避けるんですか。そんなに僕が嫌いですか?」

「そうじゃないです。玲央さんはちゃんとした相手と結……」


 両肩を掴まれた。びっくりするくらいの力で。


「だから菫さんに言ってるんじゃないですか」

「あたしのためなんでしょ、好きでもないくせに、あたしを助けるために結婚するんでしょ、そんなのあたし嫌です、玲央さんの負担になるようなことしたくないです、学校辞めます。だから家政婦としてずっと雇ってください」

「学校は辞めちゃダメです。僕はあなたに学校を続けて欲しくて家政婦の仕事を頼んだんです。学校を辞めるなら本末転倒じゃないですか」

「だって手代木の家はどうするんですか」

「今はそんな話はしていません。何故そんなに頑なに拒絶するんですか。菫さん、僕の事嫌いですか? 他に好きな人でもいらっしゃるんですか」

「そんなんじゃないです」

「だったら何故ためらうんです?」


 なんでわからないんですか?


「ごめんなさい。ためらってるわけじゃないんです、もう少し考える時間をください」

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