第49話 寄生虫と食虫植物

 『受験』の『じ』の字も感じさせずに淡々と毎日を過ごしてきた玲央さんは、センター試験の前日さえも通常運転で、「この人ホントに受験するんだろうか?」とあたしが勘違いしてるような錯覚を起こしてしまうほど普段通りだった。

 そして今日、朝から株価のチェックに余念のない玲央さんに『必勝弁当』として玲央さんの大好物ばっかり入れたお弁当を持たせ、ハラハラしながら見送った。受験生を持つ親はこんな気分なんだろうか、僅か一週間とは言え、その気分を味わうことになろうとは。


 大体ね、桜子さんに言われるまで全く気付かないほど、受験生らしからぬ生活してたのよ。朝から株価チェックして、学校へ行く前には排水管清掃業者に電話して、入居者への回覧板作って……。勉強してるの殆ど見たこと無いし。

 昨夜も受験前夜だというのに「小嶋さんから大口注文の話が来てますよ。幼稚園のお遊戯会の衣装は縫えますか?」とか言ってるし。そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、自分の心配してよ。


 玲央さんを送り出して、それでも自分のことのようにそわそわと落ち着かないでいたら、桜子さんからメールが来た。


『今から手代木のお爺様のところへ行くわよ。迎えに行くからお支度なさってね』


 えええ? 手代木のお爺様のところ? なんであたしが? 玲央さんもいないのに!

 何か怪しい。桜子さんと志乃さんによる策略めいたものがあるような気がする。けど、今更何を言っても桜子さんは必ず迎えに来る。そしてあたしに断る要素は何一つない。

 ここは一つ、騙されたと思って玲央さん抜きでお爺様に会ってみようか。桜子さんもいるんだもん、大丈夫。いや、寧ろ桜子さんが危険か。ああん、もうわけがわかんない。ええい、もうどうにでもなれ。


 バタバタと支度をして、玲央さんに置手紙を書いていると、部屋の呼び鈴が鳴って、桜子さんが現われた。


「さ、行きましょ。どうせ玲央の事が心配で、居ても立ってもいられなかったんでしょう?」




「二人ともよく来たね。年寄りの話し相手なんぞ詰まらんだろうに」

「いいえ、わたしはお爺様とのお喋りを楽しみに来たんですの。今日は玲央がセンター試験に行っているから、菫さんも気が気じゃなくて落ち着かないだろうと思って、誘ってしまいましたわ」

「おお、今日はセンター試験か。なるほど、こんな年寄り相手にお喋りとは、今日は大地も何か忙しくてかまって貰えないんだな?」

「あら、バレてしまいましたわね。ですからお爺様にお話し相手になっていただきたかったんですの」


 思いっきり場違いなところに来てる気がして、とにかく志乃さんが出してくれた紅茶に口をつける。

 相変わらずこの部屋から見える庭は手入れが行き届いていて、綺麗に刈り込まれた山茶花の木がピンクの花をつけている。

 お爺様は相変わらずの和服姿、桜子さんは清楚なブルーグレーのワンピース。なのにあたしはまたエプロンを外しただけの普段着で来てしまった。だって慌ててたんだもん。

 っていうか、桜子さんはこれが普段着なんですよね。あたしとは『普段』がそもそも違いすぎるんです。


「最近大地とは会ってるのか?」

「ええ、先々週は一緒に食虫植物展、先週は国立科学博物館へ行きましたの。大地さん、本当に科学がお好きみたいで。スタッフより饒舌に解説してくださいましたわ。彼、びっくりするほど物知りで、一緒にいてとても楽しいんですの」


 え? 先週?


「桜子さん、先週行ったんですか?」

「ええ、わたしはもう推薦で大学が決まっているから、特に受験勉強も必要なくて」


 当たり前のように笑う桜子さんだけど、彼女も多分勉強しなくてもセンターくらいサクッと点取れちゃうと思う。


「玲央さんも全然受験勉強しないんです。だから桜子さんに言われるまで、玲央さんが受験生だってことに気づかなくて。ずっと一緒に生活してるのに、一週間前まで気づかないって、もう、あたしホントどうしようもないですよね」

「玲央が普通じゃないんだから菫さんが気にすることありませんわ。それより聞いて下さらない? 大地さんと最初のデート、どこに行ったと思います?」

「え、ちょっと待って。デート? デートって言いました?」

「ええ、わたしたち、結婚を前提にお付き合いしてるから」


 いつの間に!

 お爺様が「お似合いだ」って笑ってる。だけど、お正月に会ってからまだ三週間も経って無いよ?


「計算合わなくないですか? 今日19日ですよね。先週12日か13日に国立科学博物館、その前の週の5日か6日に食虫植物展、だけどここでお正月に会ったのって2日ですよ?」

「ええ、2日にここで集まって、4日に初デート、6日が食虫植物展。計算合いましてよ」

「4日にも会ってたんですか!」


 つまり、あれからすぐにお付き合いを初めて、たったの二日後にどこかにデートに行ったということですか。


「あのね、大地さんったら最初のデートで『寄生虫博物館』に行きたいって仰ったの。もうわたし、それだけで彼に一生ついて行こうって心に決めましたわ。素敵でしょ、女性を誘って最初のデートに寄生虫? 普通は客船でディナークルーズとかが定番でしょう? でも大地さんは取ってつけたような定番のデートなんかじゃなくて、彼らしいユニークなデートを提案してくださったの。わたしに心を開いてくれているって思えましたわ」


 定番が客船でディナークルーズなんですね。覚えておきます。


「しかもね、とても楽しそうになさってて。楽しそうな大地さんを見ていると、わたしまで幸せになって来ちゃって。来週は二階堂研究所バイオテクノロジーラボを見せてくださることになってますの。一般人は入れないんだけれど、大地さんの権限で。今から楽しみ。ウフフ」


 うわぁ……寄生虫博物館と食虫植物展に誘われて、それで一生ついて行こうと思うんだ。桜子さん、ちょっと変わってるとは思ってたけど、相当変わってる……。確かにこれは玲央さんの手に負える人じゃないな。


「そうかそうか。大地はあれはいい男だ。玲央よりは桜子に合っていそうだな」

「ね、お爺様もそう思われますでしょ? わたし、決めましたの。二階堂家の嫁になるって。大地さんに断られたら、受け入れていただくまで努力しますわ」

「いやあ、あれは断らんだろう。大地も桜子を気に入っているようだしな」

「では、お爺様の目の黒いうちにお式を上げなくてはなりませんわね」


 楽しそうだ。お爺様と桜子さんが盛り上がってる。どうしよう、もうなんだかあたしが場違いすぎて帰りたい。何の話もできないよ。

 と、思った時だった。


「ところで玲央はどうなさいますの?」

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