第39話 大晦日

 あれから特に何事も無く一週間が過ぎた。

 やっぱりあれは夢だったのかなぁ? 酔っぱらってたし。とにかくこれからは洋酒のたっぷり入ったケーキには気を付けよう。


 仕事の方も順調に捗り、前川さんの取って来てくれた注文分、全部仕上げて年内に納品することができた。

 結局あれから追加注文もあって、全部で18件の注文になったもんだから、いきなり9万円の臨時収入。そこからミシンを買う時に借りた3万を玲央さんに即返金して、実質6万の収入。あ、でも最初の2万もミシンに使ったから実質4万か。そこに小林さんのベビーウェア1万で5万。

 よし、あと995万円! 少しだけ見通しが明るくなってきた。


 そして今日。大晦日。あの玲央さんが珍しく勉強をしている。日商簿記一級や株価の変動なんかじゃない、物理だ。彼が学校の勉強なんかしているのを見るのは滅多にないから、とってもとっても新鮮。こんな姿を見ると『高校生なんだ』って再確認できる。普段が高校生っぽくないからな、この人。

 でもあたしがそれを玲央さんに告げると、笑いながら反撃されてしまった。


「大晦日にいそいそとおせち料理を作る菫さんも、高校生らしくはありませんね。お休みなんですからのんびりしたら如何ですか。宿題も出ているでしょう?」


 違うんです玲央さん、確かに休んでゴロゴロしたいけど、それ以上におせち料理が食べたいんです。自分が食べたいから勝手に作ってるんです。あたしは紅白なますと結び蒟蒻とお煮しめ食べないと、年が越せない体なんです。

 ところが玲央さんから思いがけない提案が出された。


「二年参り、行きませんか?」


***


 柚木家に二年参りという風習は無かった。そう言えば初詣もろくに行ってないかもしれない。我が家は家族がすれ違いがちで、なかなか同じ時間を共有することができなかったから。

 でもあたしはそれを不満に感じたことはなかった。正月というのはお家で面白くもない正月番組を眺めたり冬休みの宿題をするくらいで、他は特に普段と変わらなかったからだ。

 他のお家は、お父さんがお正月休みでお家にいるようだったけど、長距離トラックの運転手には盆も正月も関係ないし、病院関係も普段通り。うちはお金が無かったから、お母さんはなるべく時給のいい深夜帯でシフト組んでたし、もう何から何まで通常運転だった。


 だから、今こうして真夜中に玲央さんと二人で神社を歩いているのが、とても不思議な感覚だった。


「二年参りって初めてです。こんな深夜に出かけること無かったから」

「そうでしたか。夜に出かけるのは怖いですか?」

「ううん、怖くはないです。新鮮です。思ったより人がいる」

「普段はもっと閑散としてるんですが、この近辺の人たちがいっぺんに来ているからでしょうね。あ、もうすぐ日付が変わりますね」


 周りでカウントダウンが始まった。その場にいる人たちが一斉に唱和し始める。

 15、14、13、12、11……

 あたしたちもそれに参加する。

 10、9、8、7、6……

 お爺ちゃんや子供の声も混じって、だんだん盛り上がっていく。

 5、4、3、2、1……

 あちこちから「おめでとうございます」の声が飛び交う。あたしと玲央さんもお互いに挨拶した。


「玲央さん、今年もよろしくお願いします」

「こちらこそ、家のことをよろしくお願いします」


 そこへ知らないおばさんが満面の笑顔で割り込んできた。


「あけましておめでとう。あなたたちにとっていい年になりますように」

「ありがとうございます。あなたにも幸運が訪れますように」


 え、玲央さん、サラッと返した。しかもプリンススマイルで。なんなんだこの柔軟な対応。


「この辺りの人たちは、みんなでカウントダウンをして、その場に居合わせた人たちみんなに挨拶するんですよ。毎年恒例なんです。新しい年を迎えて良い縁に恵まれるようにという事らしいです」

「ああ、なるほど、そういう事ですか」


 それからあたしたちは何十人もの人たちと挨拶を交わし、どこかのお爺ちゃんに呼び止められた。


「あんたたち、すぐそこで甘酒をふるまってるから、飲んで行きなさい。温まるよ」


 そんな魅力的な誘いに乗らないわけがない。実を言うと、スカートで来ていたもんだからすっかり冷えてしまっていたのだ。

 そんなあたしにとって、甘酒という言葉はこの上なく魅惑的に響いた。


「菫さん、寒くないですか?」


 そう言ってあたしを覗き込む玲央さんの眼鏡が、甘酒の湯気で曇ってる。こんな時の玲央さんって、なんだか子供みたいで可愛い。


「寒いですけど、甘酒が温かいです。この甘酒、今まで飲んだことのあるものと違いますね。なんか特別に美味しいんですけど。寒いからかなぁ」


 なんて言ってたら、どこかのおっちゃんが笑いながら会話に参加してきた。


「お姉ちゃん、通だねぇ。今日の甘酒はその辺の安物と違うんだよ。造り酒屋が持ってきたやつだ。普通の甘酒と違ってちょいとばかりアルコール分が高いんで妊婦さんと子供さんにはあっちの方でアルコール分が殆ど無いやつをふるまってるんだがねぇ」

「そうなんですかぁ。流石に造り酒屋さんの甘酒は美味しいですね~」


 なんだか楽しくなってきた。体もポカポカしてきたし、甘酒もおいしい。おっちゃんも優しい。


「今年がおじさんにとっていい年になりますように!」

「お~、ありがとね~」

「僕たちはこれで失礼します、ありがとうございました」


 何故か玲央さんがあたしを引っ張る。どうしたんだろう?


「菫さん? 大丈夫ですか?」

「何がですかぁ? 大丈夫ですよぉ」

「酔ってますね」

「酔ってなんかいませんよぉ」


 こんなに普通じゃないですか。ちゃんと歩いてるし、眠くないし。


「楽しいですねっ、お墓参り。あ、違った、お礼参り!」

「二年参りですよ。それより菫さん、まっすぐ歩いてません。自覚ないんですか?」

「歩いてるじゃないですかぁ。人を酔っ払いみたいに言わないでくださいよぉ」

「ああもう、仕方のない人ですね」


 いきなり抱き寄せられた。こんな公衆の面前で何すんの。


「ちょっと玲央さん、どうしたんですかぁ」

「どうしたんですかじゃありません。菫さんがとんでもない方向に向かって行っちゃうからです。いいですか、あなたは今酔っぱらってます。自覚がないだけです。一人で歩行できないようですので、僕がこのまま家までお連れします。おとなしくついて来てください」

「嫌ですぅ。一人で歩けますよぉ。恥ずかしいじゃないですかぁ」


 玲央さんはあたしの抗議を完全に無視して、ますます強くあたしを引き寄せた。

 仕方なくあたしは彼に肩を抱かれたまま、家まで黙って歩いた。


 酔ってなんかいないのに! もう!

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