第38話 ショーケン

 紅茶を淹れていると、後ろで玲央さんが「あ、そういえば」と言って寝室から何かを持って来た。


「これは?」

「菫さんにクリスマスプレゼントです」

「えっ、あたしにですか? 家政婦ですよ?」


 あたしが慌てると、彼は平然と言い放った。


「いいじゃないですか、家政婦でも。僕がプレゼントしたいんですから」


 なんだかよくわからないけど、平べったくて長い木の箱だ。何が入っているのか気になって仕方ない。あたしは手早く紅茶を淹れて、その箱に向き合った。


「開けていいですか?」

「どうぞ」


 恐る恐る箱に手をかける。この手触りは桐の箱かな。蓋を開けると、白い紙に包んだ平べったいものが入ってる。

 そーっと紙をめくって、あたしは仰天した。


「玲央さんっ! これ、着物じゃないですかっ!」

「ええ、正月の会合に着るものが無いと困りますので、正月用に振袖を一つ持っていた方がいいかと思いまして」


 お正月用に振袖ですと? お金持ちの皆さんは、正月ってだけで振袖着るの? 庶民は正月だって普段着ですよ。出かけなければジャージだし、出かけるとしても普段着です、よそいきの服すら着ません!


「桜子も二階堂君も和服で来ると思いますので、菫さんだけ和服でないとなると、雇い主としてどうかと」

「だけどこれって、ポリエステルの安物じゃないですよね」

「ええ、もちろん正絹ですよ」

「ショーケン?」

「あ、いえ、有価証券とかの証券じゃなくて、絹百パーセントの方の正絹です」


 絹百パーセントのやつを『ショーケン』っていうのか、覚えておこう。


「あたし、和服着れないんですけど」

「志乃さんが着付けてくれますから大丈夫です」


 志乃さんって言うのは、手代木家のお手伝いさんのことだ。あの人なんでもできるスーパーウーマンなんだ……。


「あの、今ちょっと合わせてみたいんですけど、あたし着物の畳み方わからないから、広げたらアウトな感じです」

「それは良かった。実は僕もお正月のお楽しみにとっておきたかったんです。お披露目が楽しみですよ。さあ、紅茶が冷めないうちにケーキ食べましょうか」


 玲央さんは満足気に畳紙たとうしを桐の箱に片付けた。


***


 目が覚めた。あたしはいつの間に寝たんだっけ? あっれ、全然思い出せない。

 ふと隣を見ると、ちゃんと玲央さんがお布団に潜って寝てる。えーと。寝る前って何してたっけ?


 そうだ、玲央さんがすっごい素敵な振袖をプレゼントしてくれて、それで試着したかったけど畳めないから我慢して片付けて、あ、そうだ、ケーキを食べようって言ったんだ。

 それで、マゼランだかキャラバンだかそんな名前のケーキを食べて、そのケーキが凄く美味しくて、ラム酒だっけ、なんかお酒がいっぱい入ってて、気持ちよくなって……そうだ、あたし洋酒のケーキで酔っ払ったんだ。

 それでなんか楽しくなって、いっぱいお喋りして、何喋ったか覚えてないけど凄い楽しくて、急に眠くなって……その後どうしたっけ?

 でも、きっと寝たんだろうなぁ。布団敷いた記憶無いから、もしかしたら玲央さんが敷いてくれたのかもしれない。


 まあ、おかげではっきりしたこともある。あたしがとてもお酒に弱いという事と、お酒を飲むと楽しくなっていっぱいお喋りしたくなるという事だ。泣いたり怒ったりするタイプでなくて良かった。

 このまま寝たら虫歯になっちゃう。歯磨きしよう。お風呂も入ろう。ああ、パジャマにも着替えなきゃ。大体今何時なんだろう?

 布団をめくって起き上がると、玲央さんが隣でモゾモゾと動いた。


「菫さん、起きたんですか?」

「あ、ごめんなさい、起こしちゃった」


 玲央さんも布団の上で起き上がった。暗闇の中で彼があたしを覗き込んでいるのがわかる。


「大丈夫ですか? サバランで酔われたようですが」

「なんか寝ちゃったみたいで。ごめんなさい。歯磨きしてないからしてきます。お風呂も入ってないし。お部屋も片付けてないし」

「足元、気を付けてください」

「ひゃあ!」


 立ち上がろうとしたら、なんか足に力が入らなくて……よろけたところを咄嗟に玲央さんが受け止めてくれた。


「大丈夫ですか」

「はい、ごめんなさい」


 って……すっごいしっかり抱きしめられてるんですけど。気のせいですか?

 っていうか、あの、放して貰っていいんですけど。


「あの……もう大丈夫ですから」


 玲央さん、聞いてないの? 返事もしないし、ずっと玲央さんの腕の力が緩まないんですけど。


「あの……玲央さん?」


 その時急に蘇ってきたんだ、あの玲央さんが熱を出した日のこと。

 どうしよう、玲央さんの体温が伝わって来る。あったかくて安心するのに、反比例するように心臓はドキドキと飛び跳ねてる。


 そっと彼の顔を見上げてみた。

 あたしを抱きしめている張本人なのに、何故か玲央さんは顔をそむけたまま、あたしの方を見ようとしない。だけどその横顔が、驚くほど綺麗。この人、こんなに綺麗な人だったんだ。

 茹で卵のような頬、トンボ玉みたいな瞳、暗がりの中でも仄かに色づくサクランボ色の唇。全部が全部、うっとりするほど綺麗。

 あたし今、きっと凄い場違いなこと考えてる。あたしおかしいのかな。まだ酔ってるのかな。


 ふと、玲央さんがあたしの方を見た。至近距離で目が合った。うわぁ、どうしよう……と思った瞬間、玲央さんは手を離した。


「お風呂と歯磨きがまだでしたね。もうぬるくなってますから沸かし直してください。リビングの片づけは朝でいいでしょう」


 え、玲央さん、今の何だったんですか。 


「では、僕は寝ます。おやすみなさい」

「あ、はい。おやすみなさい」


 あたしは大暴れしたままの心臓を抱えて、お風呂で再び悩むことになってしまった。

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