第42話 グッジョブ!
玲央さんの視線で唐突に自分のミッションを思い出したあたしは、とっさに話を大地君に振ってしまった。
「ね、あの、大地君は何か楽器やってるの? さっきなにか暗号みたいなこと言ってたけど」
「軽ーくピアノやってるよー」
「あ、じゃあ、桜子さんと一緒に何かやってよ。大地君のピアノも聴いてみたいな」
玲央さんが目で「グッジョブ!」って言ってる。
「ドビュッシーの『ヴァイオリンとピアノの為のソナタ』なんか如何ですか?」
「あれは演奏会用って感じではないかしら」
「そだねー」
あたしだけ話について行けてません。
「ではモンティの『チャルダッシュ』などは? 初めて合わせる二人にはちょっと難しいですかね」
「あら、玲央より気が合うかもしれなくてよ。ね、大地さん?」
「あー。あれなら簡単だからサクッと弾けるかなー。やってみるー?」
何かサクッと弾ける曲らしい。それをサクッと提案できる玲央さん、グッジョブ!
羽織を脱ぐ大地君の背後にスッと回って、さりげなく手を貸す桜子さん、グッジョブ!
いったいどこに隠し持っていたのか、「こちらをお使いになってくださいましね」と
そこからの大地君は痺れるほど素敵だった。襷の端をさっと口に咥え、あっという間に袖が落ちてこないように襷がけにしてしまったのだ。こんなの時代劇でしか見たことないのに、この人、当たり前のようにサクッとやっちゃう。
そして手慣れた様子でピアノの屋根を開け、椅子の高さを調整するとさっさと座り、「えーと、d-mollだったよねー。あんまり覚えてないから、テキトーに作曲しながら弾いてくんで、細かいことは気にしないでねー」なんてメチャクチャな事を言っている。でもそれがあまりにも自然で似合っていて、とにかくカッコいい! これは、ひょっとすると桜子さんもクラッと来るかもしれない。
二人の演奏は唐突に始まった。まさに予告なしだ。いきなり弾き始めた大地君、こんなに小さい手なのに凄いダイナミックだ。まさに大地って感じ。
あたしと玲央さんは仲良くソファに並んで演奏を聴いていたんだけど、もう見てるそばから彼らの息が合っていくのがひしひしと伝わってくる。桜子さんが幸せそうに大地君に視線を送ると、彼もにっこり笑って頷いて見せたりしてる。とはいっても、彼はいつでもニコニコしてるんだけどね。
これはいろいろ危険だ。あたしまで大地君にクラッと来そう……って思った瞬間、あたしの手を玲央さんが握ってきた! 驚いて玲央さんをチラッと盗み見ると、彼が二人に聴こえないような小声で言った。
「浮気は許しませんよ」
「はい?」
うわぁ、読まれてる。
「大地君は桜子とくっついていただくんですからね」
「大丈夫です。ミッションは遂行します」
二人の演奏はどんどんテンポアップしていき、速さの限界にチャレンジしているような感じになってきた。なんなのこの曲は。
「この曲は舞曲なんですが、途中からどんどん速くなっていくのが特徴なんです。嫌が応にも盛り上がりますし、これを演奏するとなると相当息を合わせないと無理なんです。必然的に集中力が求められますし、演奏中は相手のことしか目に入らなくなります」
「まさか、それで選んだんですか、この曲」
「当たり前じゃないですか」
あの一瞬でここまで計算したのかこの人は。安定の手代木玲央クオリティだ。いきなり振られてすぐに演奏できちゃうこの人たちも凄いけど。しかも振袖で! しかも袴で!
あたしなんにも演奏できないし、曲名聞いてもチンプンカンプン。この曲も玲央さんが弾いた曲も初めて聴いた。こんなことでこの家の家政婦やってられるのかな。なんか自信なくなってきた。
二人の演奏が終わり、「ああ、楽しかった。大地さんのピアノ、とっても弾きやすいの。何をやってもついて来てくれるから気持ちよく弾けたわ。お上手なのね」なんて楽しそうな桜子さんを見て、玲央さんは満足そうだ。
これはなかなかにいい雰囲気だぞ、と思ったその時、不意に桜子さんに声をかけられた。
「あら菫さん、ちょっと帯が乱れてらっしゃるわ。わたしたち少し着物を直してきますね。悪いけどお二人でお話でもなさってて。行きましょ、菫さん」
「へ? あ、はい」
「志乃さん、よろしく」
「かしこまりました。では坊ちゃま方、少々失礼いたします」
ってなんだか志乃さんまでついて来て、さっき着付けて貰った部屋に連れて行かれた。さながらNASAに連行される宇宙人だ。
部屋に入るなり、桜子さんがあたしの手を取ってソファに座らせると、隣りに腰掛けてにっこりと笑った。
「ごめんなさいね、嘘なのよ、さっきの。あなたと二人で話したかったの」
えええ? 嘘?
「なっ、なんですか、話って」
「単刀直入に聞くわね。玲央と何を企んでいるの?」
「企んでなんか……」
「ねえ、菫さん」
桜子さんがあたしの方に顔を寄せてくる。うわあ、ほんとに綺麗だ。お人形さんみたい。
「わたし、まだあなたのことはよく知らないけれど、玲央のことは何でも知ってるのよ。彼、何か企んでる時ってすぐにバレてしまうの。そういう顔をしているから。ね、志乃さん?」
いきなり話を振られた志乃さん、余裕の貫禄でクスクス笑いながら、ここでも驚いた顔も見せずにお茶を淹れている。
「そうでございますねぇ。坊ちゃまは正直な方ですから、何かを企んでも、誤魔化しても、隠し事をしても、全部顔に出てしまわれますからねぇ」
「ええっ、そうなんですか? あたし全然わからないんですけど」
あたしたちの前にティーカップが置かれ、爽やかなジャスミンの香りが広がる。
「大方想像はついておりますが……桜子お嬢様を二階堂家の御嫡男であられる大地坊ちゃまにお引き合わせになるためでございましょう。玲央坊ちゃまはお勉強もおできになりますし商才もおありですが、どうにもこうにもご自分の周りのことには鈍いようでございましてねぇ」
えええ?
ってことは、志乃さんは玲央さんに協力を要請されていたわけではなくて、玲央さんの様子から感じ取っていたって事ですか?
「わかっているの、玲央がわたしと大地さんを近づけようとしていること。でもね、それって全く意味の無い事なのよ。お爺様たちを納得させようとしているようだけれど、ね、志乃さん」
「大旦那様はとっくに桜子お嬢様と玲央坊ちゃまのことは諦めておいでなんですよ」
はいぃぃぃぃい?
そこに桜子さんのとどめの一言が炸裂した。
「玲央だけが気付いていないのよ。その玲央に菫さん、あなた振り回されてるの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます