第20話 カレー

 買い物はなかなかに手間取った。何人かの女子がダウンロードしてきてくれた衣装のフリー型紙からどれを作るか決めて、大体の色と必要な布地の長さ、必要パーツなんかを調べてから出ては来たんだけど。

 90センチ幅と120センチ幅では必要な長さが変わってしまうことに、まさかここへ来てから気づくとは。不覚なり。

 午前中だけではどうにもならなくて、一旦作戦会議をしようという事でハンバーガー屋さんに退避した。


「ごめんね、布地の幅まで考えてなかった」

「俺の方こそごめん。全部柚木さんに任せっきりだったからね」

「でも吉本君が型紙の画像をスマホに入れといてくれたおかげで助かったよ。お昼からはこれ見ながら行けるね」


 彼が型紙のデータをちゃんとスマホに入れておいてくれたのだ。それを見ながら90センチ幅と120センチ幅の場合の長さを両方計算し直すことができたので、午後からはスムーズに買い物が進みそうだ。


「ねえ、柚木さんさ」

「ん?」

「余計なことならごめん」


 ちょっと言いにくそうに一旦言葉を切った彼は、一度視線を外してからもう一度あたしの顔を覗き込んだ。


「今の生活、大丈夫? その……住み込みで家政婦って言ったよね。そこのお家の人、良くしてくれてる? 何か不自由してない?」

「うん。大丈夫。親切にしてくれるよ」

「変なことさせられたりしてない? セクハラとかパワハラとか、されてない?」


 やっぱりみんなそこ心配してくれるんだ。


「大丈夫。そういう人じゃないから。凄く真面目な人なの。もうあたしの事なんか目に入らないくらい、ずーっと仕事してるような人。いつもあたしの方が先に寝ちゃうの。だから心配要らないよ。ありがとう」

「そっか。それならいいんだ。何か困ったことがあったらいつでも言って。俺じゃあんまり力になれないかもしれないけど。ほら、女子の友達もいっぱいいるとは思うけどさ、女子じゃどうにもできないことってあるかもしれないし、そういう時はいつでも頼っていいから」

「うん。ありがとう」


 吉本君、仕事ができるだけじゃなくて他人の痛みのわかる人だった。イケメンでこれなんだから、それはモテるわけだ。明日香が言うのもわかる気がする。


「さて、ポテト食べ終わったら行きますか」

「うん、そうだね。布も買わなきゃならないし、あ、そうだズボンのゴム書いてなかった」

「うおっ、やべえ、忘れるとこだった。メモメモ!」


 あたしたちは再び手芸屋さんに向かった。


***


 大荷物を持って家に帰りつくと、いつものように玲央さんが「おかえりなさい」と出迎えてくれた。これだけで幸せ指数がグンと跳ね上がる。

 けど。何か家の様子が違う。何が違うのかわからないまま玄関に上がると、玲央さんが申し訳なさそうにしつつも、何故かあたしが部屋に入るのを軽く妨害してる。


「あの、菫さん、すみません、怒らないでください。僕がちゃんと責任持って片づけますから」

「はい? 何かしたんですか?」

「その……」


 玲央さんが珍しくモゴモゴと歯切れが悪い。胸元でウロウロと落ち着かない玲央さんの手に、絆創膏が貼ってあるのが見えた。血が滲んでいる。


「手、どうしたんですか?」

「それが、その、カレーを作ったんです」

「え?」

「あの……いつも菫さんにご飯を作っていただいているので、今日は菫さんもオフの日ですし、偶には僕がご飯を作ろうと思いまして、その……」

「玲央さんが? カレー作ったんですか?」


 彼はますます小さくなって申し訳なさそうに上目遣いにあたしを見た。


「すみません、菫さんがお家から持ってきた大切なお鍋を焦がしてしまって。それで、まだ後片付けもしてないんです。キッチンが凄い事になってるんで、ちょっとそのままにしておいてください。ちゃんと片づけますから」

「玲央さん、お料理する人でしたっけ?」

「いえ、初めて作りました。ルウの箱に書いてある通りにやったんですが、どうもうまく行かなくて……菫さんに食べて貰いたくて頑張ったんですが」


 あたしに? あたしの為に作ってくれたの? 自分のご飯もろくに作ったことのない玲央さんが?


「あの……あたし、今すっごくお腹減ってて。カレー食べていいですか?」

「焦げてますけど」

「うん、それ、食べたいです。ちょっと手を洗って来ます」


 あたしが手を洗って戻ってくると、ちゃんとお皿にご飯とカレーがよそってあった。玲央さんが準備してくれたんだ。

 こんなふうにして貰ったのは何年ぶりだろうか。小さい頃にお母さんがまだご飯を作ってくれていたころ、こうやって子供用の小さなカレー皿によそってくれた。そうか、あれはまだ幼稚園か小学校の低学年か。カレー皿にクマさんとウサギさんの絵が描いてあったんだ。


「いただきます」


 玲央さんが絆創膏の貼ってある手で、お茶を運んできてくれる。きっとニンジンの皮むきか何かでやったんだ。あたしは皮むきも包丁でやっつけちゃうから、ピーラーなんて持ってないし。

 キッチンにはジャガイモの皮やらなんやらと、包丁だのまな板だのがスッチャカメッチャカになっているのが見える。


 相当苦労したんだろう。これを作るのに何時間かけたんだろうか。あの一分一秒も惜しんで仕事をする玲央さんが。あたしは目頭が熱くなるのをなんとか堪えた。


 見るからにサイズの違うニンジン。

 ちょっと生っぽくて、ガリッて歯ごたえのあるジャガイモ。

 溶け残ったルウが偶にあって、辛いというかしょっぱいというか。

 そして黒く焦げた苦いタマネギ。

 どれもこれも、玲央さんの優しさに満ちていた。


「美味しいです。こんな美味しいカレー、食べたこと無いです。あり……が……」


 あたしの涙腺は一気に決壊した。

 もうなんだかわけがわからないまま、大声で泣いた。

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