第19話 どなたとお出かけですか

 夜。

 玲央さんは相変わらずパソコンに向かって何か折れ線グラフとにらめっこしてる。株だろうか、FXってやつかもしれないけど、あたしにはその区別がつかない。


 こうして後ろ姿を見ていると、学校で遭遇した『手代木先輩』が別人なんじゃないかと思ってしまう。心の裡を見せないような冷たい瞳と、真一文字に固く結ばれた口元。

 よく考えたらお葬式の日だってそうだった筈だ。誰にも心を開かず、誰の心にも入らず、有刺鉄線を張って電気流して、他人の侵入を拒否してた。


 ――してた。過去形だ。いつからこの人の雰囲気が変わったんだろう。

 お魚の煮つけ? いやもう少し前だったはずだ。

 最初に笑顔を見たのは、小嶋さんが来た時、引っ越しの日だ。あの日は小嶋さんに笑顔を向けたけど、あたしには笑顔を見せなかった。


 あ、そうか、あたしが最初に笑った日。古文の勉強を見て貰った日か。あの頃からだ、彼の雰囲気が柔らかくなったのは。

 それって、あたしが壁を作っていたってことになるのかな。あたしが無意識に彼の侵入を拒否してたのかな。


 なんとなくドタバタしていて明日のことを話すのを忘れてた。仕事中だけど、今話しかけてもいいんだろうか。


「あの……玲央さん、今いいですか?」

「はい、どうぞ」


 彼はいつものように飄々とした様子でテーブルの方に向きを変えると、コーヒーを口にした。


「あの、クラスの出し物の事で」

「コスプレ写真館でしたね」

「はい、それで、その、明日なんですけど」

「買い出しですか。家のことは気にせず行って来てください。今まで僕は一人暮らしでしたから、全く問題ありません。何時にどこで待ち合わせですか?」


 もう言う前から全部読まれちゃってる。


「えっと、十時に駅の改札で」

「わかりました。昼食は適当に何か食べておきます。夜も遅くなるようでしたら連絡をくれればいいですから。もし荷物が多ければ駅まで迎えに行きますから、必要なら連絡ください」

「いえ、そこまでは。そんなに玲央さんに甘えられませんから」


 あたしが慌てて顔の前で両手を振ると、彼は不思議そうに首を傾げた。


「土日はお休みの契約ですよ。家政婦じゃなくて単なる同居人です。遠慮しなくていいですよ」

「玲央さんのお仕事の邪魔はしたくないんです。お仕事してる時の玲央さんが……」

「?」


 あれ? あたし今、何を言おうとした?


「僕がなんですか?」

「あ、いえ、あれ? 自分でも何を言おうとしたのかよくわかんなくなっちゃいました。すいません。あの、とにかく明日はちゃんとお掃除してお洗濯してから出かけるから大丈夫です。じゃ、あたし寝ます。おやすみなさい」


 逃げるように襖の向こうに消えようとしたら、玲央さんが振り返った。


「菫さん」

「はい?」


 彼の視線がなんか……なんだろう、なんかいつもと違う気がする。


「どなたとお出かけですか?」

「文化委員の吉本君です」

「ああ、吉本君か」

「知ってるんですか?」

「ええ、まあ。そうですか、吉本君ですか、彼なら任せて安心ですね。お引き留めしてすみません、おやすみなさい」

「あ、はい、おやすみなさい」


 吉本君も有名人だったのかな。あたし、本当にどこ見て一学期過ごしてたんだろう。


***


 翌朝、あたしはいつも通りの時刻に起きたんだけど。玲央さんはあたしより先に起きてた。いつ寝てるんだろう、この人。

 とにかく、朝ご飯作って、お掃除して、お洗濯して、お風呂洗って、玲央さんのお昼ご飯作って、玲央さんに少し寝るように釘を刺して家を出た。


 家を出るときに玲央さんにかけられた「行ってらっしゃい」っていう言葉が嬉しすぎて、駅までずっとニヤニヤが収まらなくて大変だった。

 こんな些細な挨拶でここまで気分が変わるなんて、考えたことも無かった。やっぱり挨拶できる相手が家にいるって凄く貴重かもしれない。


 吉本君の乗った電車はすぐに来て、あたしたちはそのまま大型手芸店のある駅までお喋りしながら移動した。


 私服の吉本君も、玲央さんの時と同様、別人のように見えた。

 玲央さんはあの日、黒いポロシャツとジーンズだった。休日でも襟付きの服を好むのは玲央さんらしいと言えば玲央さんらしい。

 吉本君は地味な色のTシャツにカーゴパンツという出で立ちで、背中に小ぶりのリュックを背負っていた。地味なのになんだかオシャレに見えた。


 吉本君の第一声は「あれ、柚木さん、ちょっと意外」だった。どういう意味か測りかねていると、顔を寄せてきた彼が耳元で囁いた。


「今日の柚木さん、可愛くてちょっとヤバい」

「えっ?」

「ほら、いつも学校では髪の毛二つに結んでるじゃん? こうやって下ろしてるの、すげえ可愛いんだけど」


 って言いながら、彼はあたしの髪を軽く掬った。あたしはそれだけで心臓が破裂しそうになってしまった。絶対顔赤くなってる。死ぬほど恥ずかしい。こういう時どうすべきか、あたしにはわからない。

 あたしなんて暗いし、地味だし、影薄いし、存在感無いし、吉本君とは対極にいるような人間なのに。

 とにかく話題変えよう! それがいい、そうしよう!


「吉本君さ、クラブの方は出し物無いの?」

「ああ、ロボ部は例の部長の作ったロボットのデモがあるくらいだから、俺らは当日何もしなくていいんだ。会場になる工作室のセッティングを、前日にサクッとやって終わり。ロボットのデモは俺達でもできるんだけど、流石に解説は作った本人でないとできないから、その時だけ先輩を呼び出すんだ」


 電車が駅に停車して人が大勢乗ってきた。吉本君に肩を引き寄せられて、またドキドキしてしまう。だけど彼は全然なんとも思ってないみたい。あたしに免疫が無さ過ぎるのか。

 そういえば、小学校低学年以来、男子にこんなに近づくの初めてだ。っていうか、男子を意識することが無いからか。


「あ、あの、先輩って、一学期で引退した部長さん?」

「そ。ま、先輩もクラスの方と委員の方とで忙しいと思うけど、こればっかりは本人以外には無理だから」

「先輩も文化委員なんだ」

「ううん、違うよ。生徒会執行部」


 じゃあきっと玲央さんのお友達だ。ロボ部なら理系だろうし。

 え? 生徒会執行部? 1組は玲央さんで3組は伊集院先輩だ。理系ならあとは2組の先輩しかいないよね。だけど、そんな本格的なロボットを特進クラスじゃない人が作ったの?


「ねえ、ロボ部の元部長って……」

「生徒会長の手代木先輩だよ」

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