第五章 手代木家の陰謀
第44話 見つかった
あれから桜子さんと話すことが増えた。彼女はすっかり大地君に惹かれてしまったようだ。それはそうだろう、あの玲央さんをして「一生付き合っていたい」と言わせるのだから。
桜子さんより身長にして十センチ以上小さいし、学年も彼の方が二つ下だ。それでもあれだけ魅力的な人だ、桜子さんも一撃KOだったらしい。
羨ましいけど、こっちはそれどころじゃない。あと995万円稼がなきゃならないんだから。どうやって稼いだらいいんですかー。
一人でブツブツと考えながら花壇のパンジーに水をやっていると、思いがけない声が響いた。
「あれ? 柚木さんじゃない?」
えっ。この声は!
絶対にこの場所で聞きたくない声、まさかと思いつつ振り返ると……やっぱり。
跨っていた自転車から降りて、こちらに向かって歩いてきたのは吉本君だった。これはどう見ても、あたしがここに住んでいますっていう構図だよね。誤魔化しようが無いよね。
「柚木さんここに住んでたの? 手代木さんちの家政婦じゃなかったっけ?」
「ああ、うん、そうなんだけど」
まで言ったときに運悪く玲央さんが家から出てきてしまった。
「菫さん、週末の予定ですが……あ、吉本君」
「あれ? 手代木先輩?」
最悪だ。どう考えてもこれでバレた。玲央さん普段着だし。彼はこの状況をどう乗り切る気だろう。
「え、なんで手代木先輩? もしかして柚木さん、手代木さんの家の方じゃなくて、手代木先輩の家で家政婦やってるって事?」
「あ……ええと」
「そうですよ。僕が菫さんを雇っています」
うわー言っちゃった。ダイレクトに、包み隠さず、そのまんま。しかも『柚木さん』じゃなくて『菫さん』って言っちゃってますよ。
吉本君、あたしと玲央さんを交互に指さしながら、口をパクパクさせてる。ま、そりゃそうだゃよね。あたしでもそうなる。
「だって手代木先輩、一人暮らしだって」
「いいえ、今は菫さんと二人で生活していますよ。毎日菫さんの手料理をいただいて、菫さんが作ってくださったお弁当を学校に持って行ってますが、何か?」
玲央さんが当たり前のように、いや寧ろ、挑戦的にその事実を突きつけてる。
「え。二人で、ですか?」
「そうです。寝室も一緒ですよ、狭い家ですから。ああ、そういえば菫さん、吉本君と一緒に初詣に行けなくて残念そうでしたので、僕が代わりに大晦日に二年参りにお連れしておきましたよ」
なんだその爽やかすぎて恐怖さえ感じる笑顔は! 寝室のことまで言う必要ないじゃないですか。
「ああ、お邪魔してすみません、菫さんとお話し中でしたね。僕の用事は部屋に戻ってからでも構いませんから、どうぞお話を続けてください。僕は引っ込みますので」
部屋に戻ろうとする玲央さんに、吉本君は慌てて声をかけた。
「いや、いいんですよ。俺ちょっと通りがかっただけなんで。俺の方こそ邪魔しちゃってすいません。柚木さんもごめんね、また新学期にね」
「あ、うん」
吉本君は再び自転車に跨ると、逃げるように行ってしまった。取り残されたあたしがポカンと突っ立っていると、空になったジョウロをあたしの手から回収した玲央さんが耳元で囁いた。
「戻りましょうか、僕たちの部屋へ」
「あのー、玲央さん?」
「はい、何ですか?」
部屋に戻っても何も言ってくれないもんだから、あたしの方から聞かなきゃならないじゃないか。もう、なんで普通に数学なんか勉強してんのよ。週末の予定がどうとか言ってたのに。
「さっきの用事って何ですか?」
「は? さっきの用事?」
「今わざわざ外まで呼びに来てくれたじゃないですか」
一瞬何のことかわからないという顔をした玲央さん、「ああ」と思いだしたようにとんでもないことを言い放った。
「用事なんかあるわけないじゃないですか」
「え?」
「吉本君の声が聞こえたので邪魔しに行っただけですよ」
「邪魔?」
「吉本君とお喋りしたかったのですか?」
キラリと眼鏡のフレームが光った。なんで急にそんな顔をするの?
「そういうわけじゃないですけど」
「あの場で僕と一緒に住んでいることをあなたが話さなくてはならなくなったら、三学期に入ってから吉本君と気まずくなるのではないかと思って僕から説明したんですが。余計なお世話でしたでしょうか?」
「えっ? そういう理由ですか?」
「では他にどういう理由が?」
「いえ、そういう理由しかないですよね、はい」
あたし、どれだけ自意識過剰なの? いくらなんでも玲央さんが吉本君にヤキモチ妬いてくれたりするわけないじゃない。
「まあ、少々危機感もありましたが」
「そうですよね。あたしに任せておいたら、吉本君に何を喋っちゃうかわかりませんもんね」
「そういう危機感では……まあ、いいでしょう。とにかく菫さんは雇い主との契約で何も言えないという事にしておいて、誰に何を聞かれても一切喋らないでください。僕の方で捌きますから」
ああ、凄く頼りになる。このまま玲央さんにおんぶにだっこで甘えておこう。
とその時思ったあたしは、翌週、自分のバカさ加減に絶句することになるのだ。
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