第2話 管理人

 リビングに二つ並んだお骨の箱。なんて言うんだろうこれ。骨壺っていうのとは違うような、なんか四角い木の箱に綺麗な袋が被せてあるような。

 その前には二人の写真。ほんの数日前までは、一緒にバカな話して笑ったりしてた。

 

 もういないんだ。お父さんもお母さんも。あたしは一人ぼっちなんだ。


「菫さんのお母さんには、僕の祖母がお世話になったんです」


 いきなり声を掛けられた。ああ、そうだ。あたし、今日この人を連れて来ちゃったんだ。よく考えたら、この人明日学校あるのに。あ、明日は土曜日か。


「グループホームなんて、正直、いい印象は無かったんです。でも祖母がよく言ってました。柚木ゆずきさんは何でもよく気づいてくれるって。僕が行くといつも『ゆずちゃんがね』って柚木さんの話ばかりするんです。菫さんのお母さんに看取っていただいて、祖母も満足だったと思います」

「ありがとうございます。母の仕事のこと、よくわかってなかったから、そうやって教えて貰うと嬉しいです」


 考えてみたら、あたし、呆れるほどお母さんの仕事のこと知らない。興味もなかったし、知ろうともしなかった。


「失礼ですが、お父さんは何の仕事をされてたんですか?」

「長距離トラックの運転手です。あたしが小学生の時に会社をリストラされて、それでいろんな仕事を転々として。その時に借金作っちゃったのかもしれません」


 そうだ、そういえばあたし、この人の名前聞いてない。さっき叔母さんに名乗ってたけど、ぼんやりしてて聞いてなかった。


「あの。ごめんなさい。名前、教えて貰っていいですか。さっき混乱しててちゃんと聞いてなくて」


 彼はハッとしたように制服の胸ポケットから手帳を出して、そこに自分の名前を書くと、そのページを破って私に手渡してくれた。


手代木てしろぎ玲央れおです。すみません、今日は名刺を持っていなくて。このマンションの管理人をしています。ここの他にもいくつかのマンションを持っていたんですけど、学業と両立するのがなかなか難しくて、少しずつ手放して行って。今はここと僕の住んでいるマンション、二つだけになってしまいました。あの……とても聞きにくいんですけど」

「はい」

「菫さんの住んでいるこのマンションのことですけど」


 どうしよう、やっぱり家賃のことだ。


「ごめんなさい、ちょっとだけ待って貰えますか」

「いやそれが……実は、ここも別の不動産屋に売り渡すことになってまして、僕がここの管理人でいられるのは今月いっぱいなんです。柚木さんにはお伝えしてあったんですけど、菫さんは聞いてないですよね?」


 え? ちょっと待って?


「あの、それって、待てないってことですか?」

「僕が管理している間ならいくらでも待てたんですけど、管理が別の会社に渡ってしまうので」

「あの、手代木さんのお父さんになんとか頼めませんか?」

「いえ、僕の父は二年前に他界してます」


 ???


「え? じゃあ、今は誰がこのマンションの管理をしてるんですか」

「ですから僕が」


 え? え? え?


「あなたが? 玲央さんがですか?」

「そうです」

「ちょっと待って、学校に行きながら、賃貸マンションの経営してるんですか?」

「そうです。さっきもそう言いましたけど。学業との両立が困難になったから手放してるんです。僕が現在住んでいるところは思い出の場所なので、手放す気はありませんが」


 ちょっと待って、混乱してきた。落ち着こう。


「つまりあれですか、玲央さんのお父さんがマンション経営をしてて、それで二年前に亡くなって、それを玲央さんが引き継いでて、学校が忙しくてマンションをどんどん手放して、残り二つになってて、ここが来月から別の管理会社のものになるってことですか」

「そうです」


 彼はきちんと背筋を伸ばして座ったまま、あたしが淹れたお茶を静かに一口飲んだ。


「ですから、あなたは来月からの家賃について、今すぐどうにかしないといけない」


 どうしよう。絶望的だ。銀行にどれくらいお金あるんだろう? 保険いつ下りるんだろう? っていうか、どこの銀行に口座があるんだろう?


「何から手を付けたらいいかわからないって顔ですね」

「はい。あの、何から手を付けるかの前に、何をやったらいいのかわかりません。お金も必要だし、いろんな手続きも何をしたらいいのかわからないし、叔母さんには絶対頼りたくないし、市役所とか行ったらいいんですか?」


 自分で言ってて情けない。あたしは何から何まで親に頼って生きて来たんだ。一人じゃなんにもできないんだ。


「そうですね、死亡届の提出とか、ああ、これは死亡診断書が必要になります。火葬の時に必要だった書類です。これで住民票から名前が抹消されます。それと未成年後見人の設置、これが無いと各種契約が一人でできないほか、保険金が受け取れない場合があります。あとは保険に入られていれば保険会社への連絡。契約内容によっては保険金が下りる場合があります。ご両親の所得税の確定申告に、預金の名義変更、カード会社の解約手続き。それと財産の整理です。財産には借金などの負債も含まれます。預金や有価証券があればそれもです。固定資産はお持ちじゃないですね?」


 どうしよう。全部宇宙語だ。


「コテーシサンって何ですか? ユーカショーケンとか、全然意味わからないんですけど」

「固定資産は流動しない資産、つまり土地や建物です。有価証券はお金に換算できる証券類、株などです」

「ごめんなさい。全然わかんないです」

「つまり……何もかもわからないという事ですね」

「はい」


 あたし、こんなんで叔母さんにも頼らずに生きていけるんだろうか。もう明日からの生活の見通しが全く立たないよ。なんで一緒に死んでしまわなかったんだろう。一緒に死ねたら楽だったのに。

 そう思った瞬間、難しい顔をしていた彼が不意に顔を上げた。


「僕から提案があります」

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