第56話 証人と承認
「なっ……え……あ、ちょっ……ああああああ」
「落ち着いて」
桜子さんが手を握ってくれるけど、何の足しにもなってません!
学校の窓という窓から悲鳴が上がって、上を下への大騒ぎになってます!
「さ、さ、さ、さ、桜子さん! あたし、どうしたらいいですか!」
「菫さんはどうしたいの?」
『今は家政婦かもしれません。でもあなたには僕の妻として幸せになって欲しい。僕のこれからの未来に於いて、常に僕の隣に並んでいる人であって欲しい』
これは、教室に戻れる気がしない。廊下が既にきゃーきゃーと女子の声に埋め尽くされている。ヤバい。あたし、死ぬ。っていうか殺される。
『手代木の家のことをご心配なさっているのであれば、それは全くの杞憂です。あなたが結婚するのは手代木家ではなくて僕、手代木玲央です。手代木の嫁ではなくて、僕の妻になるんです』
「ねえ、菫さん。早くはっきりしないと、玲央のことだから昼休みいっぱい使って、ずーっとマイクで校内放送するわよ。あと十五分、この調子であなたに呼びかけ続けると思うわ。彼、何時間でもプレゼンできる人だから」
「えーっ、そんなぁ」
『手代木家も菫さんを嫁にと歓迎しています。身内に反対する要素は一つもありません。あなたのことは僕が一生かけて守ります。必ず幸せにします。僕と結婚してくれるなら、ここに来て、僕の手を取ってください、お願いします、菫さん』
「菫さん、どうなさいますの? 玲央はあなたに本気を見せたわ。次はあなたの番ですわよ」
「そうですけど……」
「玲央のこと好きなんでしょう?」
「はい」
『菫さん、聞いていますか。僕はこの先ずっとあなたと一緒に生きていきたい』
そこにタコの声が割り込んだ。
『手代木君、やめなさい。生徒会長が何をやっているんだ』
『僕は今、生徒会長として話しているわけじゃない。手代木玲央という個人が話をしてるんです。邪魔なさらないでください』
「行きましょ。田子先生に邪魔されていいの?」
桜子さんがあたしの手を引っ張った。あたしはなすがままに引きずられて生徒会室を出た。
廊下をすれ違う人たちの顔が見られない。恥ずかしすぎて顔が上げられない。
階段を下りて行くときにも、ずっと玲央さんの声が聞こえている。
「菫さん、勝負ですわ!」
桜子さんが人工芝の中庭にあたしを引っ張る。玲央さんが割り込んできたタコに何か言われているけど、あたしたちに気付いたのか、こっちをじっと見てる。
そこへ桜子さんの凛と張った声が響いた。
「田子先生、あなたはお呼びではなくってよ。わたしと一緒に校舎に戻るべきですわ」
「伊集院さんまで何を言い出すんだね。君は副会長だろう」
「今のわたしはただの伊集院桜子ですわ」
「伊集院さん、君ね――」
「人の恋路を邪魔するやつは馬に蹴られて死んじまえ」
はい? 桜子さん、今なんと?
「……って言葉をご存知ないんですの? 見苦しくてよ。戸籍上問題が発生しないようにすればいいと仰ったのは田子先生ではありませんこと?」
桜子さんと田子先生のやり取りを完全に無視して、玲央さんがあたしの方に手を出した。
『菫さん、来てくださったんですね。もう一度言います。菫さん、あなたが好きだ。結婚してください』
目の前にいるのに、どうしてマイク使うんですかー!
玲央さんの手が目の前に差し出される。
この手を取ったら、あたしはプロポーズを受けたことになる。いいんだろうか。手代木家に、あたしなんかが入っても。
「菫さん、僕の隣を歩いてください」
マイクをおろした肉声が届き、玲央さんの瞳があたしを真っ直ぐに射貫く。
あたしは恐る恐る自分の手を彼のそれに重ねた。
「はい、よろしくおねがいします」
窓という窓から歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。キャーとかウォーとかの叫びに交じって拍手が沸き起こった。みんな祝福してくれてるんだ。
玲央さんは満足げに口の端を上げると、突然あたしの手をグイッと引っ張った。何事かと思う前に、あたしの体はすっぽりと玲央さんの細い腕の中に収納されてしまった。
っていうか、ここ、中庭なんですけど! みんな見てるんですけど!
『全校生徒及び教職員の皆さん、ありがとうございます。たった今、僕、手代木玲央の求婚を柚木菫さんが受領してくださり、皆さんはこの場に立ち会いました。この求婚の証人となることに賛同していただける方は挙手をお願いします』
え、え、え、そういうことですか! それが目的だったんですか!
あたしの思考を置いてけぼりにしたまま、校舎の窓から生徒たちが拍手を送ってくれる。よく見ると、職員室の窓に張り付いている先生たちも拍手してくれてる。その中には校長先生の姿も。
『ありがとうございます。ご協力感謝いたします。ご本人の意思を確認いたしましたので、近いうちに籍を入れます。これによって法律的に何ら問題のない状態を作ることができますので、柚木さんの登校を認めてくださいますね、田子先生?』
途端に学校中の視線がタコに集まった。
「どういう事? 田子先生、スミレの登校を認めないって言ってたの?」
「柚木さんはお父さんとお母さんが亡くなったのに、学校から追い出そうとしてたって事か?」
「それ、ちょっと酷くない?」
ざわついて来たのを見かねて、校長先生が中庭に出て来た。校長先生は玲央さんからマイクを受け取ると、校舎に向けて笑顔を作った。
『みなさん、本日は大変お日柄もよろしく――』
ここでそれですか! みんなのピリピリした空気が一瞬で吹っ飛んだ。
『絶好のプロポーズ日和となりましたね』
タコがポカンと口を開けたまま放心している後ろで、生徒たちの大拍手が起こる。
『この件はね、私が証人になりましたからね、手代木君。柚木さんも良かったね。ちゃんと三年生まできっちり勉学に励んで、我が校から卒業してくださいね。ハイ、この件に関して異議のある人は、手代木君や柚木さんではなくて、私に直接言ってくださいね。私が承認しましたから、責任は私にありますからね』
拍手とどよめきが再び起こった。校長先生カッコいい! 見た目はしょぼくれてるけど、こういう時すごく頼りになる。
と、そこへ桜子さんが唐突に割り込んだ。
『校長先生、マイクをお借りしますわ。三年三組、伊集院桜子、手代木君と柚木さんの友人として皆さんにご忠告申し上げますわ』
え、今度は何?
『今の一連の流れを動画に撮っていた方は、速やかに削除することをお勧めしますわ。もしもこれがネットに出回るようなことがあれば、伊集院のエージェントをフル稼働してその犯人を突き止め、社会的に抹殺することになりましてよ。学校や国内はおろか、先進国に住むことができなくなることを、先にご忠告致しますわ。それがお嫌なら、今すぐこの場でデータを削除する事ですわね。よろしくて? 伊集院は『やる』と言ったらやりますの。はい、校長先生、マイクお返ししますわ』
『それではみなさん、もうすぐ午後の授業が始まりますよ。気持ちを切り替えて行きましょう』
桜子さんが怖すぎる宣言をして、校長先生が何事もなかったかのように綺麗にまとめ、放送部が「俺まだ飯食ってねえ」とか喚きながら大急ぎで機材を片付けていく。
呆然としていたあたしは、玲央さんの声で我に返った。
「さあ、行きましょう。午後の授業が始まります」
「あ、はい」
とは言ったものの。午後の授業がアタマに入るとは到底思えなかった。
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