第3話 仕事の斡旋
「僕から提案があります」
何、突然。
「全てを総合して考えたんですが、このままでは菫さんは高校を辞めて働きに出るか、風俗で体を売るか、どちらかしかありません」
……は? 風俗? 体を売る?
「援助交際は相手を見つけるまでが大変ですし、そういう関係になってからでは関係を切るのは容易ではない。そう考えると、学業を維持しながらそれなりのお金を稼ぐには風俗しかありません。そうでなければ学校を辞めて働く。それでも生活はギリギリです」
「あの、冗談ですよね?」
「いいえ、大真面目です。それでも児童福祉法や売春防止法などに抵触しますし、それ以前にあなたの貧相な体格では大金を貢いでくれる客が取れるとは思えません」
なんかさりげなく酷いこと言われた気がする。だけど、彼はいたって真面目に話してるみたいだから、ここはちゃんと聞こう。
「そこで提案なんですが、僕の斡旋する仕事をしませんか?」
「は? 手代木さんが斡旋ですか?」
「菫さん、家事はできますか?」
「あ、はい。母が夜勤とかシフトによって家に居たり居なかったりしたから、あたしが家事全部やってました。炊事、洗濯、掃除、電球の取り換えから障子の張り替えまでなんでもできます」
「それは良かった。家政婦を探していたんです」
「家政婦?」
「給料はさほど出せませんが、その代わり住み込みになるので、住居にかかる費用と食費に関しては一部負担程度で済みます。土日休みの週休二日、勉強時間も取れます。それ以外に休みが欲しいときはその都度雇い主に申請すること。休みに関してはかなり融通できます。おまけで学費も全て雇い主持ちという事で如何ですか? 修学旅行などの学校行事にかかる費用も全額込みで」
え? そんな美味しい話、あるの?
自然と体が前のめりになって来る。きっと目もギラギラしてることだろう。
「学費を雇い主が払ってくれるんですか?」
「はい」
「学校にかかる費用も全部?」
「はい」
待て、話がうますぎる。何か犯罪に巻き込まれたりしない?
「あの……手代木さんの斡旋ですよね?」
「はい」
「犯罪とかじゃないですよね?」
「は?」
「いや、あの、あまりにもあたしにとって都合のいい話なので。うまい話には裏があるって、お母さん、いつも言ってたから」
「菫さん」
え、いきなり手代木さんが体ごとこっち向いた。きちんと眼鏡をかけ直して。どうしよう、失礼なこと言っちゃったかな。
「僕は柚木さんには大切な祖母の面倒を見ていただいた事、本当に感謝しているんです。その柚木さんが一人娘を残してこの世を去られたこと、どんなにか心残りだと思います。僕は柚木さんへの恩返しがしたいのです。菫さんがちゃんと高校をご卒業されるまで、僕が仕事の面倒を見てあげたいと思うのはいけないことでしょうか」
「あ、いえ、その。ありがとうございます。その、ただ、雇い主さんがどこのどんな人かわからないんで、心配って言うか」
「僕です」
……?
「は?」
「雇い主は僕です」
「あの、意味がよくわからないんですけど」
「僕の家で、家政婦として住み込みで働いていただきたいんです。そうすれば家賃の件も、引っ越しの件も、水道光熱費と食費も、学業の継続も、全て片付きます。もし必要であれば、先程説明した役所への届け出や保険会社との連絡、葬儀屋への支払いに香典返し、その他諸々の事務作業は、僕の方で一手にお引き受けします、雇い主として」
あたしの思考がついて行かない。
「つまり、それは、あたしが手代木さんのおうちに、住み込みで家政婦として雇われるという事ですか?」
「そうです。それが嫌なら風俗で働くか、学校を辞める。僕はどちらでも構いません」
冗談じゃないです!
「手代木さんが構わなくてもあたしは構います! 彼氏もいた試しが無いのに、いきなり風俗とか考えられません。学校も辞めたくないです。お願いします、雇ってください、ちゃんと頑張って働きます、お願いします」
あたしが膝に額をぶつけるくらいのすごい勢いで頭を下げたら、頭の上で彼の淡々とした声が聞こえた。
「仮契約成立です。本契約は後日という事でまた契約書にサインしていただくことになります。それでは今後の日程について早速調整しましょうか」
えええ? ちょっと、なんか……この人怖い。急にビジネスライクになった。詐欺師とかじゃないですよね?
でも、この話に乗っておかなければ住む家も無いし、お金もない、届け出とか全然わからない。叔母さんに頼るのは絶対死んでも嫌だし、かといってこの人に任せて大丈夫なんだろうか。
だけど、本契約を交わすまではきっとキャンセルだってできる筈だ。クーリングオフだっけ、あんなのだってあるはずだ。危険を感じたら逃げよう。それで大丈夫。多分。そもそも同じ学校の生徒じゃないか、いざとなったら学校の先生に相談しよう。
なんてあたしが思ってることに気づくわけもなく、彼は片手に生徒手帳を持って、もう片方の手で何かメモしながら話を続ける。
「忌引きによる欠席は七日間認められていますから、菫さんの場合はあと四日間。それまでに全てを終わらせないと授業に影響が出ます。スケジュールを立てて動きましょう。先ほど提案しましたように、葬儀屋への支払い、香典返しの準備、四十九日法要の連絡、役所への届け出、保険会社との連絡と相談は僕の方で全部やりますので、菫さんはすぐに引っ越しの準備にかかってください」
「あ、はい」
って返事したけど、考える間もなくどんどん話は進み、彼の手元のメモには次々に決定事項が書き込まれていく。
「ご両親の形見などもあってなかなか片付けられないと思いますが、今月はあと二日で終わります。その次の日まで居座ると、来月分の家賃が発生してしまい、管理会社の方から請求が来ることになります。柚木家の賃貸契約は今月末までとして僕の方で決済しておきますので、必ずそれまでに引き払えるようにしてください、そうしないと僕にはどうにもできなくなります」
それは困る。来月分の家賃なんて払えない。銀行にどれだけのお金があるのかさえあたしは知らない。
ここは手代木さんに任せるほか無いけど、それにしても流されまくってる。ほんと大丈夫なんだろうか。
「では僕は今から早速事務手続きの下準備に取り掛かりますから、菫さんは引っ越しの……あ」
え、今度は何? テキパキと指示を出していた彼の声が、急に張りを無くした。
「すみません。今日は葬儀もあったことですし、お疲れでしたね。もうお休みになってください、僕はここで事務作業をしていますから。帰った方が良ければ帰りますが」
「あ、待って」
あたしはつい、半分腰を浮かした彼の手を掴んでしまった。
「あの、ここに居てください。寂しくてどうにかなっちゃうから」
やだ、あたし何言ってんだろう。この人信じていいのか、まだわかんないのに。
彼もずり下がった眼鏡の奥で、びっくりしたように目を見開いちゃって、あたしの事マジマジ見てるし。やだもう。
結局、手代木さんにはリビングに居て貰うことにして、あたしは寝ることにした。
あたしはもう失うものなんかない。この手代木さんっていう人が悪い人で、詐欺とか泥棒とかで、うちのもの勝手に持って行こうとしてたんだとしても、それはそれでいい。あたしにとっては今更何を失っても痛くない。
あたしは本当に、この赤の他人をリビングに一人残して、自分のベッドに潜った。
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