第三章 お嬢様とお坊ちゃま

第23話 伊集院先輩

 あっという間に文化祭の日はやってきた。

 玲央さんは朝から慌ただしく支度をしながら、妙なことを言いだした。


「今日は生徒会の準備があるので桜子さくらこの家の人間が迎えに来ます。菫さんはあとからゆっくり登校なさってください」

「はい? ? どなたですか?」


 玲央さんはハッとしたように準備をする手を止めてあたしを見た。


「生徒会副会長の伊集院さんです。彼女の家で少々準備がありまして」

「ああ、伊集院先輩、桜子さんって言うんですか」


 似合う名前だ。確かにそんな感じ。しかし、あの玲央さんがまさかの呼び捨てとは。文化祭でまで婚約者とイチャイチャするとは、なんだか玲央さんを見る目が変わってしまいそう。

 なんて思ってる間に呼び鈴の音がして、玲央さんが慌てて返事をする。


「じゃ、先に行きますので菫さんはごゆっくり」


 ごゆっくりもしていられないんだけど……という間もなく、彼はとっとと出て行ってしまった。まだ七時です、一体何の準備があるんですか。

 カーテンの隙間からこっそり覗くと、黒塗りの高級車の後部座席のドアを開けて玲央さんを迎える白手袋の運転手が見えた。朝から凄い世界を垣間見てしまった。


***


 教室に入ると、吉本君に「柚木さん、待ってたよ!」とすごい勢いで引っ張り込まれた。何事かと思ったら、パーテーションで区切ってタイルカーペットを敷いた小部屋の中から、ちょうどチャイナドレスの明日香とカンフースーツの葵が出てきたところだった。


「うわぁ、どうしたのそれ。明日香も葵も凄い似合ってる!」


 あたしが感嘆の声を上げると、明日香がクルッと回ってポーズを決めた。


「吉本君がサンプルを先に撮ろうって。これを教室の前の廊下に貼り出して、お客さんの呼び込みに使おうってさ。葵のカンフーは似合い過ぎだけど、私のチャイナはイマイチかな?」

「イケてるイケてる。お二人さん、写真撮るから早く来て」


 写真部の子に引っ張られて、明日香と葵は簡易スタジオの方へ向かう。

 で、当の吉本君はと言えば、上半身裸で白いサルエルパンツ。丈の短いベストを羽織りながらこっちを振り返った。


「俺と柚木さんはアラビアンコスチュームだから。俺が王子で柚木さんが姫ね。早く着替えて」

「ちょっ……アラビアンは無理! 露出度高すぎる! あたしには難易度が高すぎる!」

「えーっ? じゃあ、アラビアンどうしよう」


 ってなことで、急遽ナイスバディの見本みたいな凛々子を連れてきたわけで。勿論吉本君とセットという事で凛々子が断るわけもなく、簡単に釣れちゃったのだ。

 さすがにイケメン吉本君とセックスアピール抜群の凛々子は、モデルにはうってつけの人材、目立つ目立つ。


 アラビアンの撮影が終わってパソコン部の子がデータを取り込んでいると、教室の入り口が何やら騒がしくなった。何だろうかとそちらに視線を移して、そのままあたしは固まってしまった。


「吉本君、お待たせしてすみません」


 玲央さん! しかも伊集院先輩と一緒! しかも二人して和装! しかも美しい!(伊集院先輩が)


「あ、先輩。すいません無理なお願いしちゃって。手代木先輩と伊集院先輩の写真があったら、もうそれだけでみんな集まって来るんで」

「集まるでしょうか」

「てゆーか先輩、周りの視線感じ取ってくださいよ、みんな釘付けですから」


 確かに。あたしを含め、そこにいる全員の視線が一点に集中している。明日香に至っては、『眼福にございます』って目を潤ませながら拝んでるし。

 っていうかいつの間にこんなこと頼んでたんだろう、吉本君。


「我々はこれから仕事がありますので、サクッと五分で終わらせましょう」

「はい、お願いします」


 黒い着物に縞々グレーの袴をきりっと着こなした玲央さんが、一回り大きく見える。着慣れている感じで、びっくりするほど素敵。

 そして伊集院先輩。なんなのこの美しさ。嫉妬とかできるレベルじゃない。ただただ、その美しさに溜息を漏らすことしかできない。

 桜色の地に牡丹や菊の花をあしらった、古風で繊細なデザインの振袖。そこに深緑の帯をふくら雀っていうのかな、そんな感じに結んでる。帯は結ぶって言わないんだろうか、締める? ああ、もっとちゃんとお母さんに聞いておけばよかった。


 そうか、これの為だったんだ。朝早くから伊集院先輩のところで、二人纏めて着付けして貰ってたんだ。

 凛々子が霞んで見えるって、どういうことですか、伊集院先輩!


「アップにした方がよろしかったかしら?」


 唐突に伊集院先輩が口を開いた。誰も何も言わない。お互い顔を見合わせて口をパクパクさせるしかない。

 だって、んだもん!

 そこへ当然の如く玲央さんが返事をする。


「写真ですからね、アップの方がいいでしょうけど……上げられますか?」

「ええ。後ろは撮らないでしょう? そこのあなた、その持ってる鉛筆貸してくださらない?」


 鉛筆? あ、あたしですか、これですか!


「はいっ、どうぞ」

「どうもありがとう」


 何するんだろうかとみんなが見守る中、伊集院先輩は長い黒髪をクルッとねじり上げ、あろうことか鉛筆をかんざし代わりに髪に挿したのだ。


「これでいいわ。カメラマンさん、鉛筆は写さないでくださいね」


 そんな涼し気な笑顔で言う台詞なの? 伊集院先輩、見た目にそぐわずワイルドな人かもしれない!

 

 そこから二人は本当に五分で撮影を終わらせ、帰り際、伊集院先輩は笑顔でこう言った。


「鉛筆、どうもありがとう。あとで手代木君と一緒にコスプレしに来るから、わたしたちに合いそうなものを選んでおいてくださらない?」

「あ、あたしがですか?」

「ええ、あなたにお任せするわ。よろしくね。それと、執行部でもちょっとした企画をやっているの。良かったらいらしてね」

「は、はい、ありがとうございます」


 二人は王子オーラと姫オーラを漂わせながら教室を出て行った。あたしはただ、ポカーンと口を開けて見送った。

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