第46話 校長室
「同棲ではありません、同居です。正確に言うなら住み込みです」
「いや同じ事でしょう? 二人だけで住んでるんだよね、君たち」
「そうですよ。ですが僕と彼女の間で締結した雇用契約に基づいての住居契約ですから、同棲という言葉で代用されては困ります。日本語は正しく使ってください」
「でもねぇ、高校生の男女が一つ屋根の下でしょう?」
「兄妹なら普通の事ですが?」
「だってねぇ、君たちは兄妹ではないでしょう?」
「兄妹ではありませんが雇用主と被雇用者です」
「そうは言っても血が繋がってないからねぇ」
さっきからずっとこの調子で堂々巡り。イライラが溜まって来た様子の生活指導部の先生と、じっと黙って聞いている校長先生を前に、玲央さんは一歩も引く気がないらしい。
あたしは何も言えずに、ただ黙って見てるだけ。ここに来る前に「あなたは一言も話さないでください」って言われたからだけど、そんなこと言われなくたって何も話せないよ。
「血が繋がっていればOKで繋がっていなければNGということですか。その理由をご説明願います」
「いやほら、血の繋がった兄妹ならね、生まれたときから一緒にいるわけだしね」
「柚木さんの親御さんが手代木家に住み込みで使用人として働いていて、彼女が生まれたときからずっと僕の家に住んでいたらそれはOKという事ですか?」
「いやそうじゃなくてさ、他人だから」
「ではさっきの『生まれたときから一緒』というのはなんですか? 思い付きでご発言されましたか?」
生活指導の先生がしどろもどろになってる。適当に玲央さんを丸め込もうとするから返り討ちに遭うんだ。
「僕が納得できる説明をしてくだされば、僕の方でも考え直しましょう。ですが、僕を納得させられない限り、先生方が何を仰ろうと柚木さんは僕の家の家政婦です。そういう契約で住んでいただいていますから」
生活指導の先生は髪の毛の寂しくなった顔をタコのように真っ赤にしながらも、なんとか冷静に話を進めようとしている。玲央さんが表情一つ変えずに淡々と話すもんだから、ますますボルテージが上がっていくんだろう。
「ご用件がお済みでしたら僕たちは教室に戻りますが」
「手代木君」
それまで地蔵のように黙っていた校長先生が静かに口を開いた。
「柚木さんの後見人は手代木君のお爺様だったね」
「そうです」
「つまり、君は自分の立場を理解しているという事だね?」
「勿論です。彼女には手代木の家を紹介することもできましたが、僕自身が家政婦を必要としていたので、僕の部屋の方にお願いしただけです。僕自身、両親を亡くして祖父を法定代理人としていますから、祖父にとっては僕も柚木さんも同じ孫のようなもの、言ってみれば血の繋がらない兄妹です。それに彼女にとっても祖父のところにいるよりは僕のところにいる方がいいと思いますよ。授業でしっかりと生徒の理解まで導くことのできない教師よりは、僕の方がきちんと教えてあげられると思いますから。一石二鳥だと思いませんか」
これって地味にタコに喧嘩売ってるよね。
校長先生があたしの方に視線を移してくる。「どうなの?」って目で聞いてる。
「あたし、手代木先輩の家でお世話になるようになってから、苦手だった理系科目が二十点以上アップしてます。仕事の合間に勉強してると教えてくれるんです」
「柚木さんが断りにくいような要求はされていないね?」
「はい。無理なことは無理って言いますし、嫌なことは断ります。でも、まだ嫌な事とか無理な事、頼まれたこと無いです。どっちかって言うと、あたしのできないことをみんなフォローして貰ってます」
「そう。良かったね」
ああ、校長先生はわかってくれるんだ。と思った矢先に生活指導の先生が横から割り込んでくる。ますますタコになってる。
「校長先生! 我が校で同棲を許すおつもりですか?」
「男女交際に現を抜かす生徒も多い中で、彼らはただ一緒に住んでいるというだけで学生の本文たる勉学を疎かにしている様子はないですから」
「ですが生徒会長自ら後輩の女子生徒と同棲など、我が校の伝統の汚点となりますぞ!」
やっぱりそれが言いたかったんだ。あたしが心の中で握りこぶしを作っていると、玲央さんが涼しい顔で切り返す。
「では、先生が僕の代わりに柚木さんの生活拠点を確保してくださるんですか?」
「君には聞いていないんですよ、手代木君。今は校長先生に伺ってるんだ、ちょっと黙っていなさい」
一気に捲し立てると、タコは再び校長先生の方を向いた。
「いいですか校長、二人が不純異性交遊みたいなことになってからでは遅いんですよ」
はあ? 結局そこなんですね! 最初っからそれが言いたかったんじゃないですか、このタコは。これが黙っていてくださいと言われて黙っていられるかっていうんです!
「先生ちょっとそれって失礼じゃないですか? 手代木先輩はそんな人じゃありません。『あなたに性的興味はありません』って一番最初に言われましたから……まぁ、そっちの方が失礼だけど。でも先生、そんなふうに考えていたなら、最初っからそう言えばいいじゃないですか。血のつながりがどうのとか、生まれたときから一緒に住んでるとどうのとか、全然関係ないじゃないですか。結局そこの話がしたかったんですよね、それを尤もらしい言葉を並べて、手代木先輩を丸め込もうとしましたよね。先輩をバカにしてるんですか? こんな侮辱って無いですよ。幸いあたしは魅力ないですから、全く手なんか出されてません! 失礼にもほどがあります」
「柚木さん」
はっ……しまった。玲央さんが冷たーい目でこっちを見てる。うぅ、ごめんなさい。でもね、でもね、悔しかったんだもん。喋り出したら止まらなかったんだもん。
あたしがしょぼーんとして俯いたら、今度は玲央さんが眼鏡のフレームをキュッと押し上げ、タコの方に向き直った。
「そういう事ですか?」
「あーいや、ほら、戸籍上ね、血が繋がっていないとね、法的な問題もあるし」
「法的にどんな問題があると?」
「ほら、いろいろねえ」
明らかにタコがオドオドしている。やっぱり根拠も何もないんじゃないですか。それなのに……。
「そうですか」
え? 玲央さん納得しちゃったの? まさかね。
「では法的に問題の無い状態になればいいという事ですね?」
「ああ、まあ、そうだけど。でもねぇ、お爺さんが柚木さんと養子縁組でもしない限り、戸籍の方は弄れないからね」
玲央さんが挑戦的にフンと笑った。なんだこれ、妙に怖いんですけど。
「では戸籍上問題が生じなければ柚木さんを僕の家に住まわせることは可能であるという事ですね?」
「でもそれ、できないでしょう」
「質問に答えていただけますか。戸籍上問題が生じなければ柚木さんを僕の家に住まわせることは可能であるという事ですね?」
タコは首を捻りながらも渋々頷いた。
「まあ、そうですね」
「あ、先生」
突如、何かに気づいたように校長先生が割り込んだ。が、遅かった。玲央さんはニヤリと笑うと、もう一度眼鏡のフレームを上げ直した。
「言質を取りました。校長先生もお聞きになられましたね。ではこれから徐々に手続きを進めて行きたいと思います」
「何を……する気かな?」
タコが恐る恐る玲央さんに聞く背後で、校長先生が頭を抱えている。校長先生は玲央さんの考えていることに気づいたんだ。あたしはまだわかんないけど。
「一つしかないじゃないですか。婚姻の準備です」
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