10話 地球の玄関口

あとは、と少女の面影を残した目がキョロキョロと周囲を見回す。

「兄さん、先に着いたはずなのに…あ、待って」

紫苑の片耳に手が添えられ、意識が彼女にしか聞こえない声に向けられた。

「体内端末チップです。機構の人間はこうして連絡を取り合います」

今更だが、瑠禰の説明に納得する。

つるりと殻を剥いた茹で卵のように滑らかな顔の上、眉間に皺を寄せて困惑した表情が浮かんでいる。

「報告って、出発前にできなかったの? たしかに、早い方がいろいろ覚えてもらえていいけど…え? ちょっと、こんなタイミングで…」

どうやら蘇芳は呼び出されたらしい。

そのうえ、紫苑にも用事ができたと見えた。

はあと肩を落としてから紫苑は双子に向き直った。

「ごめんなさい、兄さん職場に行ったみたい。私にも声がかかって…だから、悪いけど二人ともベンチで待っててくれるかな?」

紫苑が指さした先はターミナルの出口だった。

「三十分くらいしたら戻るから。それまで建物から出ないでね」

「了解です」

「分かりました」

しかたなく待つことにした。

「それにしても、ホントにここ地球かな? なんかまだ実感湧かないっていうか…」

「ですが、大気の成分と気温、方角からすると地球の北半球で間違いありません」

瑠禰の言う通り、周辺の環境を探知してみると答えは同じだった。

北半球にある島国で、今はちょうど秋深しの頃だという。

「じゃあ、空に浮かんでる白い塊ってやっぱり…」

「形状からこの国の人々は『鰯雲いわしぐも』と呼んでいるそうです」

イワシ、と聞いたが何のことか璃緒にはさっぱりだ。

(地球のデータならあるけど、アンバー博士が見せてくれたのは宇宙から見た惑星だしなあ…スカイの千兆倍以上ってどんだけの広さだよ…少なくとも、今いるニホンって島国がスカイの二億倍っていうぐらいだから他は…)



「失礼します」

声のする方を見上げると、三人の男女が双子の前に並び立つのが分かった。

若い男女の間で壮年の男性が柔らかい笑みを浮かべていた。

「入港したアンドロイドですね?」

「そう…ですけど」

璃緒は瑠禰と顔を見合わせるが、瑠禰も首を傾げるような表情だ。

(どう見てもここの職員っぽい。紫苑さんみたいな制服着てるし)

二人の疑心暗鬼に気付かないのか、管理局員と称する年配の男性は丁寧な物腰で対応する。

「よく地球にお越しいただきました。私共は入港管理局員です。実は無事到着された皆様には、再検査を受けていただく規定になっておりまして」

再検査、と璃緒は聞き返した。

一緒に聞いている瑠禰も首を傾げる。

「紫苑さんからはそんな話を聞いていないのですが…」

「なにぶん本日は地球圏で休日にあたる日ですので、ゲートの利用者が平常より増えております。そのうえ地球は最も居住希望者の中で人気があり、密航者が一般人に紛れ込む可能性が高いのです」

璃緒は思い出す。

ターミナルに向かいながら紫苑は説明してくれた。

人工の山林や海で囲まれたコロニーとは違い、地球は原生の自然が今なお維持されている数少ない惑星の一つだ。

加えて、角度に応じて色が変わる貴石のように多彩な異文化が魅了する。

コロニーに限らず異星の民の多くは地球に憧れ、旅行や移住先を希望するらしい。



(そういえば、アンバー博士言ってたっけ。機構を作った人達の先祖は地球からやって来たって…)

琥珀の女性科学者と辺境の星で過ごした日を思い出す。

映像記録でしか見たことのない地球。

白状すると、璃緒は興味があった。

生命維持装置なしで人間が住める星。

惑星スカイにはない青空と白い雲、塩辛い水が広がる大海原、溶岩が流れ落ちる火山は心臓さながら…

『気に入ってくれたのね』

映像を見せてくれたアンバー博士。

ニコニコしながら青と白の大理石柄の球体を見つめていた

今にも泣きそうに。

(感動してたのかな?)

そのアンバー博士も最早いない。

代わりに不本意ながらマスターになった男はそばにいない。

(自分だけさっさと行くし…そんなに僕らと一緒が嫌だったのかなあ)



「静かですね」

鈴を転がすような声。

布団から起こされるように、璃緒はハッと気づいた。

いつのまにかガラス張りの広いフロアは消えていた。

一同は照明が天井を明るくする薄暗い廊下を歩いていた。

改装リフォームが先延ばしされているのか、ぼやけた塗料がシミのように汚れて見える。

ときおり聞こえるガスか水の音のせいで、見えないはずの配管の位置が手に取るように正確に分かってしまう。

床をそれぞれの影法師が這うように伸びており、今にも手がこちらへ届いて来そうだ。

「…しかも、今は年末前。取り締まり強化月間にもなっております」

璃緒が考え事をしている最中、いつのまにか瑠禰共々二人の管理局員の後ろを歩いている。

もう一人は最後尾に。

「したがって、手荷物のないアンドロイドも対象に含まれていますので、どうかぜひご協力を…」

「私達以外に再検査を受ける方はいらっしゃらないのですか?」

瑠禰の声がようやく遮り、喋り続けていた管理局員は小さな溜め息と共に肩を落とした。

「なにぶん、入港者が多いもので…お二人には別室で再検査を受けていただきます」







「ここで」

璃緒の肩が跳ね上がった。

先頭を歩く声が背後から。

振り返った先、同じ顔が浮かぶ。

首から下は女性職員。

張り付いた顔だけが、

「君から」

伸びてきた手を振り解いた。

すぐに瑠禰の手を引いて姿勢を低くし、覆いかぶさろうとする若い男の体からも離れた。

即座にUターン。

最奥の扉を目指した。

真っ直ぐ歩いてきたから分かる。

「あいつら、一体…」

「分かりません。ですが心当たりは」




途端。

(なんだ)

ない。

感覚が。

革靴が床を蹴る感覚が消えていた。

代わりに双子は宙を舞った。

(しまっ…姉さ)

激痛。

肩。

背中。

顔面。

固くしなやかな何かがうねる。

それは空気を切り、無言で璃緒を殴りつけ、打ち据えた。

背後、いや正面、今度は頭上から声。

しかし瑠禰に答える暇もなく、璃緒の体は床に横たわった。

(いつの、まに)

床が消えたのか。

違う。

足が床から離れたのか。

そうだ、床から伸びたのだ。

姉の姿がもがきながら三人の男女に挟まれ、遠ざかっていく。

(ああ、まただ)

また、璃緒は伏せたまま。

大好きな人が去っていくところを見る以外にない。











『心配いらねえ、電子頭脳は無事だ』

「そう。よかった…って思うしかないわね」

ウルの診断に、紫苑は小さく溜め息をついて胸を撫で下ろした。

「破壊されなかっただけマシよ」

『おかげで休みがパァになっちまったヤツがいるけどよ』

薄暗く細長い、荷物搬入用通路。

忙しなく行き交う危機管理課の鎮圧チームと入港管理局の捜査官達。

屈強な体躯が災いし、ぶつかるのを避けるため壁にピッタリと背中をすり寄せてからまた小走り。

長身痩躯の若い男は、なぜか彼らとぶつかることもない。

そしてその装束は、紫苑と同じく入港して間もなく変化していた。

引きずりそうなほどに長い黒衣。

フードには目を模したような、赤い紋章エンブレム

彼はゆったりと紫苑に歩み寄る。

「居場所の見当ならつく」

紫苑は口を尖らせた。

「二人のIPアドレスを逆探知するだけなら向こうにも気づかれるわ。まさかこの子達の体にGPSを付けたっていうの?」

「星間ネットワークより地球の衛星の方が範囲が狭い」

星間機構のインターネット回線と違って地球…すなわち異星の衛星を利用するにはそれなりの設備とコストが要される。

言ってみれば、海外の電話回線を使って動画や音楽を利用するようなもの。

『緊急事態ならハッキングも許されるだろ? アニキを責めるなや』

「ハッキングしたヒトが言うセリフなの?」

二人のやり取りのそばで、蘇芳は途中まで逆探知できたルートを端末マップで辿る。

市街地から海岸線沿いに。

交通機関は地球の普通乗用車。

臨海地区のうち、人の往来がほとんどなく、それでいて燃料ガソリンを調達しやすい場所。

加えて今日は休日。

ゆえに、

石油化学工業地域コンビナートか)

璃緒を担ぐと、蘇芳は立ち上がった。

「紫苑、いったん自宅まで送れ。足になる物が必要だ」

「やっぱりそうなるのよね」

管理局員に言伝してから、紫苑は兄の後を追った。

『おやあ、迎えに行くのかよ。いい機会だ、手放しちまえ』

耳元でキイキイと相方は茶化した。

『お前、ロボット苦手だろ?』

「お前もな」

つれないねえと笑う声に蘇芳は構うことなく、蘇芳は通用口から外に出ようとドアノブに手をかけた。

「待っ…て」

蘇芳の腕から掠れる声。

バラバラに乱れた銀の前髪越しに薄らと青い目がまだ開く。

「僕も…」

「駄目だ」

即座に拒否する。

「僕の…せい、で」

「それは違う」

焦点が定まらないまま、瞳は大きく拡大される。

「瑠禰が帰ったら修理だ。それまで寝ていろ」

折れそうなほど細い首根っこに手を当てる。

主電源が切れ、虹彩の失われた両目はまぶたで隠された。

『今のうちに記憶メモリーをセーブ、と…まあいいから任せとけや。こいつなりに責任感じてるんだぜ』

それは、と紫苑は言い淀んだ。

「兄さんだけのせいじゃないわ。私があの子達のそばを…」

「どちらにしても同じだ」

蘇芳は紫苑が待機させていた自動走行車のドアを開けて足で大きく隙間を広げた。

「必ず連れて帰る」

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