22話 死神博士

体重を感じさせず波間を漂う五芒星。

水飛沫を上げて躍り出て、陸地へ着地と共に胴体と触手をくねらせる。

規則正しく模写複製リプリントされるかのように、同じ動きが後を絶たない。

(ざっと五十か)

蘇芳の見立てだと、まだ少ない方だ。

近い将来、この瀬戸内海は大型地震に襲われる可能性が高い。

そうなると、より多くの異形が津波に紛れ込んで人間達の領域に入り込むと予測されている。

過去に惑星を滅ぼされた原因も、多くは津波や噴火だ。

ゆえに、蘇芳は地球に派遣された際、この地に居を構えた。

防波堤こそが前線にして要なのだ。

(今のところ地震はまだ起きていない。津波に乗じて顔を出す輩を撃ち落とすくらいだが)

そんな輩のうち一体を捕獲し、研究用の標本サンプルとして手元に置いていたのだ。

古き異形は様々な種族に分かれるが、生息地にもよる。

今回ルシアが流した個体は念動力に優れており、陸地にいて仲間を呼び寄せることに長けていた。

だから代謝機能を抑制する液体で水槽を満たし、中に投じることでどれだけ生きられるか観察の途中だったのだ。

(まさか水槽を割るとはな)

エルダーも気になるが、蘇芳はルシアの取った行動にも目を見張っていた。

警報を鳴らすことは見抜いていたが、異形を逃すとは想定外だった。

そのうえ逃げた異形をここまで追って、ただひたすら出現する同族を斬り伏せていた。

(本業が人外殺しなら当然か)

瑠禰の捕獲も仕事のうちだろうが、それでも自分の役割はきっちり果たそうとしている。

職業意識が高いと見た。

『で、一部始終見ていましたとさ…ってか』

感心したように、耳元でウルは口笛を短く吹いた。

『むしろ、オレはお前さんの方に感心するね』

「俺こそお前に感心する。珍しく褒めるとはな」

『たまにはいいこと言うだろ?』

ここにモニターがあれば、胸をそらして得意げにする彼のアバターが浮かぶだろう。

蘇芳は腕時計の端末に目をやる。

まだ七時を過ぎたばかり。

満潮まで四時間以上ある。

それまでにケリをつけることにした。

くだんのはそろそろ体力が尽きそうに見えた。

(頃合いだろう)

エネルギーがあるうちは近づかないことにした。

異形を殲滅できたとしても、戦える余力の残っている彼女は危険だ。

たとえ刀や鎧がなくとも、生粋の暗殺者なのだ。

本業が科学者の蘇芳は自分の力を過信していない。

(帰り際に背中を掻かれては元も子もないからな)

蘇芳は右手をかざした。

黒い煤が散り、手首から甲を覆って鋭利な刃が赤熱する。

未だ大気に散る煤を払い、異星の異形殺しにして黒衣の科学者は歩み寄る。




金の前髪越しに飛ばされる視線。

湖水を浮かべた色に反して、穏やかではない。

「怪我はないか?」

据わっていた目が訝しげに大きく見開かれる。

「心配される謂れはないのですが」

「勘違いするな」

シャン、と殺人姫の手元が鳴る。

誤解を解くつもりはないが、あえて蘇芳は説明した。

「念動力に強い連中は五感が発達している。異形にとって、人の血は食欲をそそるからな。さらに仲間を招き寄せる原因に繋がる」

「残念ながら、このとおり無傷です。誰かさんと違って」

ならいい、と蘇芳は肩を竦めた。

夜間で、しかもフードのせいか、口元が緩む様を見られなかったようだ。

「台風の日ならライフルで仕留めたいところだ。暴風で銃声がかき消されるからな」

「暗器では要領が悪いですよ。人のことは言えませんが」

たしかに。

ルシアの両手からはそれぞれ銀の刃が飛び出している。

いずれも手術用のメス…正確に言うと蘇芳の解剖用だ。

勝手に持ち出したことは咎めない。

どうせ後で回収するつもりだ。

「そうなると、別の飛び道具が要る。そして、それを使うには条件がある」

長身痩躯を包んだコートが異形の群れに近づいていく。

「離れていろ」

「そうはいきません」

『いやいや、離れてた方がいいんだっての』

ウルも宥めるように忠告するが、人外殺しの姫君は頑として耳を貸さない。

両手のメスを構え、毅然とした顔で奇怪な群れを前にする。

「勝手にしてくれ。ただ、一つ言っておく…

わずかに首を傾けた姿勢で、ルシアは眉をひそめた。

「どういう…」

蘇芳は答えない。

代わりに、左手を右手の甲に添えた。

そして、





寸時、風が駆け抜けた。

何か…細長い物が通り過ぎる前に、ルシアは跳躍して躱した。

(今のは)

ルシアは背後を振り返る。

月から伸びる白い筋。

防波堤に光の道を伸ばしている。

その背後に散らばる異形。

その数はまた増えていた。

だが、様子が違う。

たしかに触手は宙を舞っていた。

しかし、

樽状の胴体。

一対の翼。

五芒星の頭。

いずれも大地から、そして、離れていた。

(肉片が…しかも、一度に?!)

バラバラに切断されていたのだ。

即座に視線を蘇芳に戻した。

相変わらず彼は地面に張り付いたかのように佇んでいる。

しかし、ルシアは見逃さなかった。

先程まであったはずの物がなかった。

未知の技術で具現化した右手の刃だ。

代わりに蘇芳は右手を後ろに引き、左手が何か細長い物を掴んでいた。

(糸…?)

「硬質ワイヤーだ」

察したように蘇芳は答えた。

あらかじめ錬成した刃の根本を変形させ、フックロープの要領で伸びるように作り変えたという。

『どうよ? 地球人じゃこんな芸当できねえだろ』

再びワイヤーが左手を離れた。

異形めがけて投じられる黒い刃。

縦横無尽に突き進む。

弧を描いたかと思えば上空へ。

垂直落下に続く横一閃。

真っ直ぐ穿つように進み、また弧を描いて宙に浮かぶ。

その間、空を舞い上がるのは全て異形の肉片だ。

大小問わず散り散りに浮き、アスファルトへと墜落する。

中にはすでに死んでいるはずが、さらに細切れに裂かれた個体もいる。

元が何という種族であったかなど、面影もないほど原形をとどめていない。

その凄惨な所業をルシアは目の当たりにした。

虐殺どころではない。

(解体ショーですね)

あの博士は異形を生き物と見なしていない。

行為自体は異形殺しだ。

しかしその姿勢はむしろ、

「まだ動くのか」

その個体は地を這いつくばっていたところだ。

胴体の下半分は斜めに根こそぎ持っていかれていた。

残った地べたを擦り付けながら、防波堤に寄り掛かろうとする。

海に入るのだろう。

増援のためか。

逃げ帰って警告するためかは定かではない。

「危ないな」

ガン、と刃は防波堤に突き刺さった。

死に損なった最後のエルダーも道連れにされた。

その様はまさに磔刑。



『ふう、これで一安心。海に戻ると再生しちまうからな』

「その前に仲間の死臭に引き寄せられる。今のうちに火葬しておくぞ」

火葬、と異星の男は言った。

そこに死者への哀悼などない。

骸の山を前にして、夏目蘇芳の右手が伸びた。

冷たく強固な刃の輪郭が歪む。

先端から刃渡りにかけてドロリと溶けると、指先から手の甲、掌、手首までが袖ごと包まれる。

新たに生じる煤を纏わり付かせ、肘から指先までが肥大化した。

無機質な肌。

赤く脈打つ血管。

機械とも生物とも見て取れる右腕は、異形の山に掌をかざした。

掌の中心が煌々と灯る。

赤熱した輝きはいったん縮み、

(これは)

激しく燃え上がった。

すでに死に絶えたはずの異星の生物。

轟音に紛れて苦悶の悲鳴が聞こえたように、地球の暗殺者は錯覚した。

(肉体の破壊)

過去にネーベルングの姫は聞いたことがある。

目に見えない物質を固体に。

すなわち、材料や道具なしに物体を具現化させる魔法が存在したという。

使い手はすでに死に絶えたが、技術は伝わっているらしい。

夏目蘇芳は科学者だ。

同時に、魔法の使い手である。

そして、その魔法には条件がある。

使い手が作った物全てに、壊す力が宿るという。

(創造と破壊)

実際、目の前でそれが行われている。

異形殺しの科学者は、あたかも瓦礫か廃棄物を処理する感覚で彼らの肉体を壊している。

哀悼どころか、憐憫も躊躇もない。

『まあだ終わんねえのかよ?』

欠伸を噛み殺すしながらぼやく声がのんびり木霊する。

「海水に浸っていたからな。そうでなくても、ぶちまけたばかりの内臓は燃えにくい。人間で実証済みだ」

ルシアもそのことなら知っている。

経験はないが。

明かりが小さくなるにつれ、業火に包まれていた肉の山は萎んだように縮んでいく。

灰に。

塵に。

煤に。




煤が宙に舞い上がる頃には、蘇芳の右手もまた縮んで元の人の肌の質感を取り戻していた。

『ほい、終了。お疲れさんな』

残る生命反応は一つ。

一人、佇む人外殺しの白い姫君。

ルシア=ネーベルングは沈黙を守る。

微動だにしない。

両手の指には力を込めている。

蘇芳は先程の戦闘を思い起こす。

技術面では彼女の方が上。

素早い身のこなしと気配の消し方。

体捌きはもちろん、素早い身のこなしも隙がない。

こちらの体格及び体力差を上回る。

しかも蘇芳の手の内は知られている。

具現化を使ったとしても、攻撃パターンはお見通しだろう。

最後の切り札たる機神マキナは使えない。なぜなら地球にはない技術が搭載されており、圧倒的な破壊力を持つからだ。特別な許可が下りない限り、地球人に対しての行使には制約がかかる。

だが、主導権は蘇芳にある。

なにしろ今の彼女は自身の装備品を失っている。

身を隠す鎧も、得意な得物も。

それに彼女は、

「言い忘れていたが…気づかなかったのか?」

蘇芳は右の袖をまくし上げた。

無傷の上腕が露わになる。

氷のように固く張り詰めた表情の中、瞳が僅かに揺れ動く。

「あのアンドロイドが治した。それも、手をかざしただけでな」

ルシアは応えない。

ただ、まぶたを震わせる。

「これが何を示唆するか。お前なら分かるだろう。地球最後の魔女の娘よ」

魔術の大家に生まれた者なら、嫌というほど見てきたわざ

知らないなどとは言わせない。

たとえ、

「魔術師でないにしても、治癒の術など一度くらい見たことがあろう」

「…あなたも見たことがある、と?」「どうだかな」

湖水の瞳を細める。

探るような目はフードの向こう側を透かして見抜こうとする。

あえて蘇芳は顔も露わにした。

「答えろ。瑠禰は何者だ?」

機構の産物。

学院アカデミーと科学力と夏目の技術がもたらした発明。

それくらいは知っている。

しかしそれは、あくまでもアンドロイドとしての瑠禰だ。

「ロボットやAIは人工物だ。魂のない存在にエレメントは操れない。魔術は不可能だ。だとしたら」

「だとしたら…後天的に備わった機能でしょう」

蘇芳の言葉を柔らかいアルトの声が包み込み、後を引き継ぐ。

「より正確には、瑠禰がそういう仕様になるよう造られたのでは? 後は学習によって身につけたとか」

「正解は後者だ。だが」



「アンバー・ベルンシュタインは遺言を残さなかったのですか?」





ひゅおっ、と銀が闇に亀裂を生じる。

その場から離れることなく、蘇芳は身を逸らして回避。

「彼女を知っているのか?」

呟きは闇に溶けた。

暗殺者の白装束は薄らいだ

『残念。逃したな』

ウルが間髪入れずに口火を切った。

『それに、ファフナーのウィルスを除去する方法も入手できなかったぞ』

「彼女は殺しが専門だ。ワクチンのことはおろか、ウィルスを作った張本人のことすら知らないだろう」

学院アカデミーのように商会カンパニーもまた研究機関を抱えているはず。

つまり、別の部門にいる人間を当たるほかない。

蘇芳は最初からルシアを長期間捕らえるつもりはなかった。

機構が地球側と交わした密約により、指令外で地球人に危害を加えることは禁じられているからだ。

たとえ相手が殺し屋であろうと、それは覆らない。

(仮に捕らえたとしても、『商会カンパニー』が機構に圧力をかけるだろう)

機構の人間が征服者の如く現地住民を蹂躙した、などと吹聴されては困る。

機構は地球での武力行使が可能だが、反面制約もかけられているのだ。

『んじゃ、とっとと帰ろうぜ。気を取り直して一杯呑もうや』

飲めないくせにテンションが盛り上がる人工知能。

おそらく、帰宅した時点ですでに酩酊状態のアバターが絡んでくるだろう。

「そうしたかったが、気分が乗らなくなった」

『あ? なんでだよ?』

答える代わりに、蘇芳はしゃがんでアスファルトに刺さった銀のメスを一本だけ引き抜いた。

「見ろ」

『あれまあ』

刺さっていたのは一本のみ。

残るはいまだ姫君の手元。



『物を壊す』物を生み出す異形殺し。

そんな彼にもジンクスがあった。

なにかと物を落とすか失くすかする。

借りパクという憂き目も然り。

(俺も他人のことは言えないか)

なにしろあの殺人姫の鎧と刀はいまだ手元にある。

狙いのアンドロイドも。

いずれまた相対するだろう。

だが気を取られてばかりいられない。

アンバー博士が魔女だったなら、瑠禰に教えた方法があるはず。

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