21話 百鬼夜行
ドアを蹴破る必要はなくなった。
紫苑の言うとおり、大袈裟な装備で蘇芳は自身の職場にして城に踏み込む。
水槽は砕け散り、床は水浸し。
作業台のパイプ椅子は背中がひしゃげ、棚から実験器具が散乱していた。
泥棒に入られた家そのものである。
しかし、廊下や他の部屋は荒らされた様子がないので現実味に欠けた。
なにより、当の本人は腹を立てるどころかむしろ、
「運が悪かったな」
肩をすくめて、同情の意を表した。
ようやく覚醒し、脱出方法を見出したかと思えば
異形殺しが本業である以上、見過ごすわけにはいかなかったにちがいない。
瑠禰を拉致しようとしたが、人に害為す存在を放っておかないのだ。
「損な性分だな」
『おうよ。おかげ様でラボがすっかりこのザマだぜ』
唾を吐き出しそうな勢いでウルは悪態をついた。
『今ならまだ間に合うぞ』
ああと頷くと、ドア越しに室内の状況を見守る双子に声をかけた。
「仕事だ。部屋の片付けを頼む」
「了解です」
「紫苑。念のため、支部に報告しろ。鎮圧チームに招集がかかるようにな」
「また一人で先に行くのね」
「俺の不始末だからな」
「無茶しないでね」
「無理な頼みだ」
ルシアを逃したが、それ以前に研究のため捕獲した異形が解き放たれた。
原因はルシアだが、ラボの責任者は自分である。
そこにこだわる兄は一人の科学者だ。
弁解の機会を求めない。
責任を転嫁しない。
ある意味、蘇芳もまた損な性分だ。
(もちろん、兄さんだけが悪いわけじゃないわ。その点もちゃんといつておくつもり)
紫苑は指に力を込めて手首の端末から自身の職場に連絡を入れた。
この時間帯なら、管理職員は一人でもいるはず。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
灯のない防波堤。
その下は潮が満ち、消波ブロックに遮られて水面は穏やかだ。
穏やかだったのだ。
陸地から迫り寄る多脚の異形が、防波堤との距離を次第に縮めていく。
その後を疾駆する白装束の娘、ルシア=ネーベルング。
人外殺しの殺人姫だ。
(やはり海に還るつもりですね)
装束に溶け込みそうなほどぼんやり浮かんだ白皙の肌。
金の糸を束ねたような髪。
しかし目から放つ視線に容赦はない。
その手に持つ銀の得物にも。
(でも、逃がさない)
逃したのは自分だ。
それ以前に、あのアンドロイドを確保できなかった自分の不始末だ。
海に飛び込む前に、アレを仕留めなくては。
あるいは、水中に逃げるより先に呼ぶだろう。
水底に棲む、かの同胞に。
(アレが…エルダーが殺るなら
エルダー。
エルダー・シングともいう、
彼らは言語を用いず同族同士で思念を伝達し合う。
ゆえに、離れていようと、水中にいようと連絡は伝わるのだ。
かの同胞は逃げてきた仲間を迎えに姿を現す。
餌となる人間の居場所を求めて。
ついに津波に対する最後の砦ともいうべき障壁へと二者は辿り着く。
アスファルトを這う五本の脚は波打つように移動することをやめた。
ルシアも足を止めた。
気絶している間にブーツを脱がされたらしい。
ストッキング越しにアスファルトから痛みが伝わるが、気にならなかった。
(始まる)
樽状の胴体から五枚の翼が広がる。
五芒星を描くような頭部から伸びる球根の髭に似た触手が一斉に大地と並行に広がる。
予備動作だ。
これから思念を飛ばすのだろう。
(させない)
構えたのは銀のナイフではない。
だが、日頃からあの科学者が生物を切り刻むのに使うのだろう。
それにルシアの投擲なら手術用のメスさえも鋭利な凶器になる。
目をすがめて切っ先の照準を五芒星の頭に定める。
(今だ)
楕円の胴体が身を捩る。
五芒星を乗せた首が反転し、背中越しに追跡者を見る姿勢になる。
鳴き声はない。
代わりに聞こえる声があった。
(ルシア)
柔らかいアルトに包まれた声。
白樺の林。
緑から差し込む日差し。
籐の籠を覗き込む鹿。
優しく撫でるあの人の指。
「…で?」
五芒星から伸びる触手が強張る。
「残念ですね。その夢なら見たばかりなの」
銀に光る手元は高く掲げられた。
湖水の瞳も今や寒々とした銀色に。
「さようなら」
手から飛び出した銀の一閃。
それは五芒星の中心を穿つ。
これだけでは終わらない。
ジグザグに疾走し、続けざまに触手、翼、脚部の付け根に投擲。
斜め上空から。
背後に。
三点着地後に下方から。
串刺しというよりむしろ、針山か。
エルダーは固まったように動かない。
痛みに悶えるわけでもなく、痙攣すらしない。
観念したのか、とよぎった考えをルシアは振り払った。
(そんなはずは)
代わりにエルダーはその身を緩慢な流れで横たえた。
倒れた先は彼らの故郷ではない、アスファルトに覆われた人の地だ。
「…」
人外殺しの姫は踵から着地しながらそっと歩み寄った。
深々と突き立てられたメスの柄を爪先で軽く蹴る。
(反応なし)
今度は触手の根本から伸びるメスに手をかけ、勢いよく引っ張る。
黒に近い体液を滴らせながら、メスは投げた主の手元に戻る。
対するエルダーは、
(生命活動停止、か)
本当に死んだのだろう。
片っ端からメスを抜く。
完全に生命活動は停止したようだ。
(それなら結構。あとはこの人外をどう処分するか)
たいていは
生け捕りにできなかった場合でも、ラボに輸送してくれる。
(しかし、腕の携帯端末も奪われている。ネットが使える環境を探すしか)
ビシャ。
頭上から水飛沫。
口の中に塩の辛味が伝わる。
顔を上げた先、潮の水面は激しく揺れていた。
ルシアは直ちに死骸から離れた。
代わりにそこに立つ姿に目を見開く。
樽状の胴体から広がる翼。
五芒星の頭から伸びる触手。
それも一体だけではない。
飛沫を飛ばし、アスファルトを潮に満たしながら、次々に現れる。
(…遅かった)
死骸は最早事切れている。
しかし交信はすでに終えていたのだ。
同族の遺体を囲む形でエルダー達は地上に姿を現した。
その数、二十ほど。
(いいえ、これはまだ)
物の数ではない。
ルシアは自分の装備を確認する。
研究室から持ち出したメスのみ。
その全てを両手で握りしめた。
指の間から伸びる銀の刃。
暗器というより、獣の鉤爪に近い。
(そうだ)
獣。
それ以外の喩えはない。
相手は異形。
それも、この星のモノではない。
人と相対する以上の感覚で臨まなくてはならない。
すなわち、
「全て…狩り尽くす」
銀の軌跡が闇を斬る。
白い殺人姫の手に包まれ、彼女の跳躍に合わせて弧を描いた。
着地とほぼ同時。
ルシアの四方を囲む位置にいた樽状の胴体。
五芒星と触手、翼と上体、多脚の生えた下半身が宙を舞った。
つかさず、片手をついて肩を丸め、アスファルトを転がりながらルシアは群れへと身を投じる。
足元から胴体へと、翼、五芒星の頭が切り刻まれる。
(まだ…)
こと切れたエルダーの胴体を蹴り飛ばすと、その後ろの同族達が巻き込まれて崩れ落ちる。
その隙も逃さない。
再び跳躍。
真上から群れのうちの一体に飛び乗り、その頭頂を串刺しにした。
他のエルダー達もこれに対して黙っていられない。
頭や胴体から触手を伸ばし、人間の狩人を捕食せんと狙う。
そのうちの一本にルシアはあえて捕まった。
引き寄せられる際、助走をつけて地を蹴り、銀の刃を大きく振り下ろした。
彼女を捕らえたエルダーは振り払うこともままならない。
頭頂から胴体まで縦に切り裂くと、ルシアは触手を引きちぎった。
すぐそばにいた個体は慄くが、すぐに頭部に複数の穴が空く。
刃を抜くと、さらにその両脇にいた同族が挟み撃ちにせんと触手を伸ばす。
それすらメスで切り飛ばし、肩や肘で無防備な胴体を捌き、刃で弧を描き、振り払い、振り下ろし、刺し貫いた。
また跳躍。
空を掴まんとするかの如く、一斉に伸びる触手。
その全てを銀で切り飛ばし、拘束を振り切るべく、きりもみしながら落下。
一体の頭に飛び乗り、また頭を穿つ。
背後から抱きつく別個体から腕を広げて身を捻り、逃れたところを振り向きざまに斬殺し、
(キリがない)
今のところダメージは負っていない。
確実に仕留めている。
だが、戦意を奪うには威力が足りないのだ。
元々、異星の異形どもは人間を食糧用の家畜としか捉えていない。
ゆえに、今のルシアは彼らにとって『必死に抗う、活気のいい餌』でしかないのだろう。
そのせいか。
一応攻撃はするが、ルシアをすぐには殺そうとしない。
殺られる代わりに、次々と仲間を海から招き寄せる。
その様は、彼女の父がかつて見せた日本画に酷似している。
まさしく、『百鬼夜行』か。
(いつもなら)
ルシアは唇をきつく噛み締めたまま歯噛みする。
刀があれば。
あるいは甲冑が。
一族の女児一子相伝に受け継がれる騎士甲冑、魔女の力が編み込まれ、その娘たる自身が受け継いだ鎧。
血の力を引き出すことで活かせる抜刀剣術の威力と絶対性。
そのどれもがが今の自分にはない。
ルシアはその事実に歯噛みした。
所詮、今の自分では人間を殺せる程度の力しか持ち合わせていない。
(どこで間違えたの?)
アンドロイドの捕獲に失敗した時か。
夏目蘇芳をそのままにして彼女を追えばよかったのか。
研究室の水槽を破壊するより先に、中の異形を見つける方が先だったのか。
いくら分析しても、あらゆる要素が導き出される。
どちらにせよ、原因はルシアだ。
(否定はしない)
そして、後悔もしない。
ゆえに、対策を練る。
(いったん退く? しかし、その間に異形が増え続けてしまう。このままでは、いずれ街に…)
『おう、おう。お困りかい、ネエちゃん』
ゲラゲラ笑う男の声に振り返る。
声の主はいない。
代わりに、見覚えのありすぎる男が佇んでいる。
街灯がなければ闇に溶けてしまいそうな暗い色のコート。
フードを目深に被っているが、顔の輪郭は嫌でも網膜に刻まれている。
「…あなた。声を変えられるんですか?」
「相棒だ」
鬱陶しそうに夏目蘇芳は呟いた。
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