43話 白銀の追跡者
見渡す限りが薄墨のかかった雪原。
柔らかい月明かりが金色の道を作る。
光の筋を辿る純白の甲冑ドレスは闇を切り裂くほどに眩しい。
銀色に鈍く輝くグリーブは、薄らと足跡を残していく。
それが止まった先に、氷柱の櫓がそびえ立つ。
『ここか』
刀を腰に差し、ナイフを両の手に構えて歩き出す。
地球の魔女が産んだ殺人姫。
しかし、ルシア=ネーベルングは今一人ではなかった。
「璃緒。ついて来れますか?」
斜め後ろを駆けて近づく小柄な少年。
雪原に染まったように青い影が浮かび上がる銀の髪。
ルシアの瞳が森林を映した湖水なら、彼の双眸は深海を封じ込めた蒼玉か。
「平気…です」
目を合わせないのは、彼女が敵側の刺客だったからではない。
眼前に
『気を引き締めて行こうぜ』
惑星ビルゲン。
ウルが選んだ経由地だ。
そこは雪と氷の大地で覆われ、スバール星系に実在する。
今もその名残として、眷属の化石が多数眠っているらしい。
ちなみにその末裔は今も健在だとか。
『代わりにいるのは下級の
「いずれにしても、遭遇したなら迎え撃つまでです」
その手に銀を握りしめ、ルシアは堂々と入城した。
「これから会う相手に比べれば、まだ序の口です」
ネーベルングの始祖。
かの巨人はスバール星系を棲処としていた。
星から無尽蔵にエネルギーを吸い上げた結果、故郷の資源は枯渇。
これを模倣したのが、人類もとい星間機構の惑星間転移装置である。
そしてそのプロトタイプは今や、知性ある異形の眷属が築いた氷の要塞に放置されていた。
この要塞はかつて惑星ビルゲンの民だった蛇人間達の根城である。
当然の如く、蛇の頭を持った二足歩行型の知的生命体は向かってきた。
手には鈍器や石弓を携え、中には魔術の使い手もいる。
加えて、個体数も多い。
ゆえに、手厚く迎える住民達めがけ、ルシアは躊躇わずにナイフを次々と投擲した。
『すげえな、そのナイフ。二、三本投げたように見せかけて、実際はそれ以上投げてたんだろ?』
「数に頼るか、最初の一本に頼るか。師は状況に応じて選べと教えました」
結果、敵の数だけ投げられた刃は命中した。
甲冑ドレスは颯爽と通り過ぎていく。
骸を踏まないように璃緒は隙間を爪先立ってついて行く。
両手には白い手袋が嵌められている。
全ての指には拳鍔のような飾りが備わり、第三関節には穴が空いていた。
『そいつは蘇芳が駆け出しの頃使ってたヤツな』
これまでの戦闘訓練では体捌きの他に銃やナイフの使い方を教わった。
特に璃緒は射撃の精度が高い。
ゆえき、敏捷性と持久力を生かした中距離格闘向きの装備を与えたのだ。
『ま、実際はルシアがほとんど片付けてくれるだろうよ。お前は瑠禰を確保できるまでエネルギーを温存しとけ』
余程のことがない限りは動くな、という忠告である。
渋々ながら璃緒は首を縦に振った。
実際ルシアには助けがほとんどいらなかった。
実際、手足が肥大化したような警備兵の顔面を串刺しにしたばかりだ。
「今のはただ一本にのみ急所を狙って飛ばしました。より強敵であれば、急所にのみ複数叩きつけます」
『慢心するな。そして、遠慮するな…ってか』
「そういうことです」
何事もなかったように、ルシアは第一階層の最後の部屋を抜けて上に続く階段を上がった。
璃緒はナイフの当たった箇所をじっくり観察してから後を追いかけた。
『おっ、ラッキーだな』
敵が一体しかいない部屋があった。
それも、相手はいかなる装備も持ち合わせていない無防備状態だ。
しかし、ルシアの目は厳しい。
「杖を持っている…おそらく魔術を行使するでしょう」
ああそうきたか、と璃緒は身構える。
ここに魔術を使える者はいない。
術式を防御できるのは、同じ魔術師である瑠禰だけだ。
『おいおい、魔術ときたらAIのオレはお手上げだぜ』
「ええ、そのとおりです」
その前に仕留めなくてはならない。
旧支配者の眷属がどれほどの力を持つ存在か…ルシアはすでに身をもって知っている。
この櫓には身を隠すのに適した障害物がないのだ。
だが、ルシアは別だ。
彼女はあえて蛇人間に近づいた。
ゆったりとしたローブを羽織った呪術師は、侵入者に気がつく。たちまち瞳孔は縦に開かれ、両の手が宙に掲げられた。
『来るぞ!』
しかし、ルシアは応えない。
それどころか、姿が消えていた。
たちまち蛇人間は術の行使を中断。 どこへ消えたのか辺りを見回す。
青い氷の柱をつなぎ合わせた、太古の昔から続く
そこを闊歩する侵入者などいていいはずがない。
だが、
「遅いですね」
首筋が後ろから削がれた。
膝から倒れゆく蛇の祭司は見開いた目から視線を頭上へと注ぐ。
月明かりを背に、白銀の装束を纏った娘が再び目の前に現れていた。
事切れて煤へと散っていく様に興味なく、ルシアは次の階層へと上がって行った。
『やるねえ』
「転移装置のフロアは次ですね」
獲物を穿つ刃を抜くと、穢れを払うのうに振るった。
「前から気になってたんだけど…ルシアさんのアレ、甲冑の力?」
指差した先は胸を覆う白銀のプレートメイル。
特にこれといった装飾は施されておらず、簡素な作りだった。
だから丁寧に磨かれたそれは、氷の城塞に差し込む月明かりを受けて眩しい。
「『
『血の拘束…蘇芳が言ってたヤツか』
「科学者なのに詳しいんですね」
面白そうに薄紅色の唇が結ばれる。
『あいつの場合、魔法を授けた魔女からの受けおりだ。実際、あいつ自身は魔術が使えないからな』
「えっ、そうなんですか?」
途端、璃緒の声が跳ね上がる。
蘇芳は身を守る術を教えてくれた。
しかし、魔術に関しては全くといっていいほど聞いたことがなかった。
『ああ。もともと奴自身、あの魔法を欲しくて手に入れたわけじゃねえ。ま、棚からぼた餅的なアレよ』
「そっか。先生は本業が科学者だからなあ。魔術なんてオカルトの類は苦手だよなあ」
魔術の存在を知らない通りすがりの地球人が話すのを聞いたことがある。
彼らの一部はそんな物を迷信だと信じて疑わず、魔術師や魔法使い、魔女さえ否定していた。
魔術など科学的に説明がつく手品の類だそうだった。
「先生だって地球に生まれてたら、魔術なんか光の屈折か目の錯覚だなんて言って証明しようとしてたかもなあ」
ああそれは言えてると肯定したうえで、しかし、
『けど魔術そのものを嫌ってるわけじゃねえぜ。必要な時は原理や仕組みについて調べるし、地球の内外にも魔術師の知り合いはいる。機構の反逆者や
「なるほど。下手をすれば母も抹殺対象だったわけですね。あなた達のマスターからすれば」
壁越しに射抜く視線。
隣の部屋を覗き込むそれは、研ぎ澄まされた氷柱に等しい。
「敵の数が増えてきました。この先は狙撃がメインです。頼みましたよ」
はい、と重なって答える声は先細りしていた。
空から落ちる金の光。
降り注がれた大地に、全てが雪に包まれていると教えていた。
砦は氷河に浮かぶ青い氷塊さながら。雪原にそびえ立つはずが、生き物の気配が消えていくにつれ、正気を失ったように今にも崩れそう。
「硝子細工、といったところでしょうね」
『実際はそんなキレイなもんじゃねえぞ。見ろ』
砦の最上階。
下界を見下ろせるように鎮座しているそれは、蛇人間にあらず。
たしかに二本足ではある。
しかし、浮かぶ月を背に隠しそうなほど体躯は鈍重。
加えて、組んだ腕にもたれるような頭は豊かな角を飾り、その下から放たれる眼光は見る者を…物すらも時から縛りつけそうに冷たい。
「あなた達の言うところの異形…
『もうちょい下のランクだ。落とし子の中では格上だがな。「聖なる蛇」とも呼ばれてる。「オサダゴワ」と呼ばれてるが、真名かどうかは謎だ』
「ヘビっていうか、むしろヒキガエルだよ」
璃緒の声は遠くから反響した。
彼は大広間に通じる扉の裏にピッタリと身を寄せていた。
ボクサーのように両拳を構えたまま。
反動に備えて踵は床が踏みしめる。
『合図があるまで構えてろ』
待機とは言わなかった。
攻撃の一歩手前の状態というわけだ。
「分かった」
「では私から」
すっと鈍重な肢体が腰を上げた。
容姿とは裏腹に機敏な動き。
ルシアは片手のみ日本刀に持ち替えていた。
全力でいく。
それが届く前にルシアはその身を『隠蔽』した。
(まずは尻尾)
背後に回ってからの斬撃。
体液と共に敵の部位を飛ばした。
「ギェ…」
オサダゴワはその全身を大きく振り乱し、振り向きざまに両手を伸ばしてきた。
(次は)
膨れた右手をかわし、バックステップから続けて左手に飛び乗ると、ルシアは膝まで一気に駆け上がり、その肩を袈裟懸けに切り裂いた。
「ゲ…ゲギェェェッ!」
蛇人間の長は左肩と尻尾が生えていた箇所を押さえた。
(次は同時に)
すでに両の手には同じ物が握られていた。
『なんだよ、まだ刀持ってたんじゃ…!』
グワラと顎が外れ、口蓋が剥き出しになる。
あるはずの牙は見えない。
これまで喰らった血肉に染まったか。
虚無の穴からは異臭が漂う。
酸を帯びた息に対し、ルシアは顔を押さえた。
つかさず鰓の生えた指が広がり、乳のように白く柔らかい肉に伸びる。
途中まで。
『よっ、ナイスフォロー!』
電子音を帯びた熱と光が乱舞する。
オサダゴワの目に、鼻に、鰓に、細かい箇所を的確に狙う。
『どれも外界から空気や光を取り入れるしな。穴のあるとこ皆これ急所な』
「それに実弾と違って光学兵器は皮膚のかたい異形に効く。あと、寒い所に住むなら熱にだって苦手だ」
だから、と蒼玉の瞳が頷く。
『花火の後は肝試しってか。今ならクールビューティな別嬪さんが相手…』
「静かにしてください」
ウルが黙りこくった今、声を上げるのは蛇の大将のみ。
月と星だけが優しく照らす雪原の夜空。
その下で輝く刃に慈悲はない。
地上の闇を異形の両腕もろとも切り捨てた。
最後の足掻きか。
蛇の頭は斜めに避け、大技を繰り出す。
騎士甲冑の暗殺者を丸呑みにせんと。肩から身を乗り出して上体をぶつけてきた。
水面から飛び込む怪魚に近い有様。
ルシアの姿は氷の飛沫と共に飲まれた。
切断された首筋から酸のように熱い体液を撒き散らしながら、
崩れ落ちていくオサダゴワ。
その光景をバックに、ルシアは刀を鞘に収めた。
「これが転送装置…?」
大広間にある玉座の裏だった。
機構の装置は青い水面が波打つように揺れていた。
こちらはそこが淀んだように濁って見える。
『見た目はともかく原理は変わらねえ。ハッキング完了すれば使えるはずだぜ。なんせ「
「では教えてください。転移装置のハッキングに必要なパスワード…それともプログラミングが必要なのですか?」
ルシアは情報技術の専門家ではない。装置の入力画面を開くと、空間ウィンドウが浮かび上がる。
画面の右下に触れてみると、見覚えのあるウィンドウが表示された。
「できた…」
『よしよし。そっからは、オレの領分だ。さ〜て、と』
たちまち数字やアルファベット、漢字やひらがな、カタカナの羅列が文字化けのように流れる。
(意味がわからないせいか、追いつけない)
『できた…と。今からお前達を『
んんっ、と怪訝そうな声がノイズ混じりに耳をつんざく。
『あ…ああ、あいつなら今…何っ?! つうか、知ってんならなんで…はあ?! ンな時に使えねえな、アンタって人間は…ああ、けど情報助かる…先にこっちが』
「なんの話ですか?」
通信が切れた後も、ウルは連絡してきた相手に悪態をついていた。
『防衛作戦部の戦艦だ。連中は地球に部隊を派遣するつもりはないそうだ。代わりにプラズマ粒子砲の照準をお前達の転送先にセットしたとさ』
プラズマ粒子砲。
暗黒物質たるエレメントを高密度に加速させることで生じるエネルギーを一直線に放射するのだ。
璃緒のガングローブとはスケールがまるで違うビーム兵器である。
それを、
「転送先にって…先生と姉さんがいる所じゃないか?!」
『まあ、威力を縮めりゃ国一つ消す程度に収まるが…』
「同じことだろ?! ふざけるなよ!! 巨人どころじゃない…先生と…姉さんが…」
「ではプランBをお願いします。私をその戦艦に飛ばしてください」
第二の衝撃だった。
「私がその戦艦に乗り込みます。蘇芳さんは機構の人間です。仲間を見殺しにするはずがないでしょう」
『その仲間がいると知ったうえでの行動方針だ。必要によっては仲間が死んでも構わない。ネーベルングの刺客が殺されてもお前が何も言わなかったのと同じで…』
「生憎、私は機構の人間ではありません。だから彼らの道理も知りません」
さあ、と姿なき存在に向かって転移装置を指差してみせた。
「先に戦艦へ転送しなさい」
璃緒は何も言わない。
言うまでもないことだった。
『まるで誰かさんと同じ理屈を言いやがる』
やれやれと物理肉体があれば空を仰ぐように唸ったことだろう。
『どいつもこいつも…AI使い荒すぎじゃねえか!!』
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