44話 歌姫の舞踏

数度の発砲。

それに対して宙に舞う。

着地より先、放たれる銀。

全てが銃口を塞ぎ、パワードアーマーの関節部分を穿つ。

『駄目です! 腕が…』

一刻の猶予もない。与えられない。

長柄の得物が銀の軌跡を残す。

軌跡が消えても、衛士達は地べたに倒れたままである。

「予想はしていたましたが…これは酷いですね」

敵のやられ様には興味ない。

むしろ、次々に湧いてくる光景にうんざりしていた。

「ホント…来て早々手厚い歓迎だよね」

慣れてきたのか、璃緒も同意する。

ルシアが取りこぼした標的めがけて空砲を撃った。

(機構の人間が着る服って、光学兵器を通さないようにできてるからなあ。かといって、実弾使ったらケガじゃすまないし)

倒れた兵士の間を爪先立ちしながら跨いで通り過ぎた。

その間にルシアは新手と対峙する。

「まともな転送先はなかったのですか?」

『これでも一番手薄な方だぜ。なんせが留守なんだからよお…』

言い訳がましくウルは反論した。

正確には大将ではなく、大佐である。

『どうしても、っつうから教えてやったってのに…ちったあ、感謝しろよ』

ザク、とルシアの手の中で肉に刃が刺さる感触が伝わる。

倒れ伏す兵士に、さりげなく呟く。

「傷は浅いですよ」

ナイフを抜くと、今度は銃を構えた衛兵達に向かっていく。

しかし、無駄死にする気はない。

通路の照明を通り過ぎる頃には、豊かな金髪から白銀のグリーブまで景色に溶け込んでいた。

戸惑う兵士達の隙間を滑る様にくぐり、背後に回ると数本のナイフを手足へ穿つ。

『このまま素通りした方が良くなかったか?』

「それは不可能です。鎧の効果は味方にまでかかりませんから」

あくまで『幻影ファントム歌姫ディーヴァ』はルシア専用である。

『そりゃ仕方ねえけどよ、もうちっと穏便っつうか…』

ふと、静かになった。

援軍が途絶えたようだ。

一筋縄ではいかないと察したのか。

新たな対抗手段を投じるに違いない。

ルシアは感覚を研ぎ澄ませた。

攻撃により効果が消えた『スペクトラム隠蔽ハイド』を、再度かけ直す。

幻影ファントム歌姫ディーバ』の効力の一つであり、魔女だった亡き母の忘形見だ。

姿を消したように、ルシア自身も気配を消す。

呼吸を変えるのだ。

目を閉じる。

深く、長く吸う。

軽く、短く吐く。

深く、長く。

軽く、短く。

視界をいったん闇に閉ざすことで、雑念を捨てる。執着も、焦燥も。

そうすることで、騎士甲冑に込められた術式の精度を高め、効果を永続させるのだ。

ちなみに、対象を攻撃すれば隠蔽は消えてしまう。

ゆえに、再び照明の下を通れば姿を消せる。

その過程を繰り返しながら、ルシアはこれまでも暗殺を成功させてきた。

その姿に璃緒は目を奪われる。

(すごい)

人の身でありながら、高度な技術で装備した機構の猛者達をいとも容易くいなしていく。

鎧の効力ばかりでない。

達観した状況判断。

躊躇しない決断力。

ナイフ捌きと体術だけが殺人姫ルシア=ネーベルングの持ち味ではないのだ。

(なのに)

凛とした佇まいといい、何の感情も示さない抑揚に欠けた面差しといい、間違いなく双子の生みの親にして、ルシアの実の母を彷彿とさせる。

「疲れてきませんか?」

不意に声をかけられた。

璃緒の肩が跳ね上がる。

「い、いえ」

「そうですか。せめて上層部がいるフロアに辿り着くまでの辛抱です。それまではこの状態が続きますよ」

「…ルシアさんは疲れないんですか?」

一瞬だけ目を丸くし、白銀の姫君は首を横に振った。

「まだ、ね。この事態がひと段落したらゆっくり過ごすつもりです。あなた達のかつての主人が住んでいた家が地球にあります。私にとってあそこだけが自分の家なの。母はもういないけれどね」

さあ、と騎士甲冑のドレスが翻る。

(母…か)

璃緒にはアンドロイドとして目覚める前の記憶は残っている。

すでに両親はなく、姉と二人で生きてきた。

しかしルシアはどうだろうか。

母親が消えたその日から、一人で過ごしてきたのだろうか。

父親は一緒ではなかったのか。

ひたすら異形を殺すことを学んできたのだろうか。

(寂しくなかったのかな)

『会議場まであと二つ上がるだけだ』

ウルに促され、気がついた璃緒はルシアの後を追った。

考えるのは終わってからだ。



『うわあ、いたよ…』

隠蔽をかけたまま駆け足を止め、青緑の瞳は正面を見据えた。

照明が天井に埋め込まれ、無機質な白い壁と鈍色のフローリング。

なんら装飾のない通路の向こうが塞がれている。岩かバリケードが敷き詰められたように、

(なんか、息苦しい)

分厚い壁に囲まれたような閉塞感。

璃緒は思わず、後ずさる。

実際息苦しいと感じるのは『彼』の威圧感のせいだった。

『彼』…侵入者に立ち塞がる、鎧めいた軍服コートの男である。

鋭利な刃物で切り落としたように短く刈り上げた白髪。

顔の切り傷はそのせいではあるまい。

まだ若いはずが、顔の皺のように深く刻まれ、年月と共に馴染んできたという貫禄がある。

胸の前で組まれた腕もまた、ある種の装甲に相応しい。

(まあ、神楽に取り次ぐにはあいつから…だしなあ)

思念回路にウルの声が流れてくる。

(ウル、あの人知ってるんだ?)

(ヤツは極月泰山。防衛作戦部十四旅団の一人だ。腕っ節も強いが、それ以前に)

「大佐の留守中」

ぶっつりとウルとの会話が途切れた。

軍服コートの男…極月は腕を下ろし、心臓を鷲掴みする野太い声で呟いた。

「どこぞの道場破りが来たかと思えば、未開の惑星の…それも小娘か」

ゆっくりと足を踏み出す。

ほぼ自然体の歩みだ。

「逆に言えば、辺境の小娘風情に神無月隊の大半は破れ去ったということか。それも大時代の装備と魔女の小細工程度、機械人形の小僧に…なあ?」

待て待て待て、と呪文のようなウルの音声が極月を含めた全員に聞こえるように叫ぶ。

『遠征終わったばっかだろ? 急すぎやしねか?』

「年末年始が近い。奴の事務処理を代行するため乗った」

律儀にウルの質問に答えてから、極月は逆に問い返す。

「聞くまでもないが…目的は分かっている。そして、達成させる義理もないこともな」

「今の発言からすると、あなたが上官との取り次ぎ役のようですね」

機構だの軍だの、ルシアにとっては別世界、もとい地球外の事情だ。

知ったことではない。

「内容と相手による」

「では…私は地球の宇宙開発団体の一つ、『ネーベルング商会』会長秘書のルシア=ネーベルングと申します。直ちに地球への攻撃を中止しなさい」

「理由は」

疑問符のない問いにも躊躇わない。

「あなた方が抹殺しようとしているのは、支配者級グレーター・クラスオールド異形・ワン…その眷属です。簡単には殺せません。それに、あの地には夏目蘇芳博士もいます。巻き添えになるでしょう」

ふうとため息をついてみせたが、極月の顔は緩むことはない。

「どうやら辺境の田舎貴族といったところか。狭い世界でやんごとなき生活を過ごしてきたと見える。上品に頼めば相手がなんでも言うことをきくと?」

「辺境の田舎貴族ですが、世間知らずの子供ではありません。その証拠に」




白い衣擦れを残し、銀の甲冑が宙へ飛び出した。

『お前は手を出すなよ』

手どころではない。

璃緒の足がフロアに縫い付けられた。

ウルのせいではない。

ぶつかり合う見えない物のせいだ。

突き出されたグリーブのすねは精悍な顔へと叩き込まれていた。

非金属へと金属が、それも圧力と瞬発力を伴った回し蹴りだ。

蹴られた方向へと首が捻じ曲がった男に、殺人姫は言い放つ。

「ご存知ではありませんか? ダンスと格闘技が紙一重という事実」

ジャンルは異なるが、いずれも「関節を切る」という共通点がある。

バレエダンスの場合、基本の動きは手足を曲げ伸ばしや跳躍だが、これらの動作は格闘技でいうところの蹴りや突きと姿勢と酷似している。

いずれも体幹と腕や脚がうまく繋がり、体のバランスをコントロールできてこその芸当である。

物心つく頃からルシアがダンスと日本の古武術を並行して学べた理由である。

目的は違えど根本は同じなのだ。

「貴族が嫌いなのか、地球人が嫌いなの知りませんが…少なくとも、私は貴方個人に嫌悪はありません。邪魔をするなら抹殺しますが」





「…なるほど」

ルシアの肩が強張った。

(手応えが、ない? いえ、この感触は)

ゆっくりと、蹴られた方向から顔が正面へと向けられる。その有り様に蹴りを当てた殺人姫は目を見張った。

銀のグリーブがヒットした先…顔の半分からごっそりと肉が消えていた。

否。

「やはり一筋縄ではいかんな」

金属の質感。

口を開くうちに、みるみるうちに顔が金属の…機械の皮膚に包まれていく。

顔ばかりか、首から下まで同じ色と材質の装甲に覆い隠されていく。

『何してる! 離』




蹴り足を掴まれた瞬間…白銀に保護されているはずが、握力に顔を歪めた。

「換装…完了」

機械仕掛けの仮面から響く、くぐもった低い声。

その呟きの直後、岩を積み重ねたような片腕が大きく振りかぶる。

幼女の人形を投げ捨てる勢いで、神を冠する兵士は白装束の襲撃者を壁に叩きつけた。





決壊する通路の壁。

回線や集積路や配線板など、基地の電子的な骨組みが剥き出しになる。

極月はその絡繰になど興味がない。

破損した箇所は作戦部の技術スタッフを呼び出して修理させればいい。

「俺にこの『体』…いや、『獣王ビーストマスター』を使わせるとはな。それだけの力があったということだ。光栄に思え」

一歩、足を踏み出すと極月泰山操る機神マキナ、ビーストマスターは転がってきた瓦礫の破片を踏み潰した。

君が蘇芳とどういう関係かは知らんが…奴に関わったのが運の尽きだ」

蘇芳をよく思わない理由の一つだ。

常に面倒事を押し付けられているようで、最後には全ては引っ掻き回して去って行く。

後処理は常に作戦部。

横槍を入れることも。

この少女の素性は知っている。

アンドロイドのことも。

だが結局、あの死神にとって都合のいいように動かされている。

胃からせり上がってくる物を抑えつけながら、淡々と呟く。

「仮に君達が駆けつけたところで結果は変わらない。すでに迎撃準備は終わった。決定は覆らない」

ビーストマスターは生命反応を捉えようと探知する。

サーモグラフィーには映らない。

邪魔な土煙を掻き消すべく、ファンを稼働させた。

同時に両足が宙を浮き、ホバリングが可能となる。

「地球人への武力行使はきんじられているが…侵入者なら別だ。ましてや」




ザク。

足の甲に鋭利な物が刺さった。

わずかに視線を下にずらす。

(ナイフ? あの女の…)

抜こうとした手か止められた。

それは足と共に、新たに投擲された刃により、縫い付けられたのだ。

しかも、

(糸…否、ワイヤーが)

サーモグラフィーでは識別しにくい一ミリ以下の鉄線。

その出所は、紺のジャケットを羽織った少年だった。

たしか袖口からは少女のように白く細い指が伸びていたはず。

今や手首は常人ならあり得ない角度で折れ曲がり、そこから生身の…金属片が密集した内部構造が剥き出しに。

(そうか、あれは)

「生物と無生物が見分けられないのですね」

頭上を仰ぎ見た。

擦り傷一つ、汗一つ、汚れもない。

北国の寒風を涼しげに受け流すように、白い甲冑ドレスは宙を舞う。

体重を感じさせない跳躍。

両の手にはそれぞれ僅かに反り返った片刃のカタナ

刹那。

丹田から呼吸と共に繰り出される短い気合い。

それに乗せて双刀は振り下ろされた。

ビーストマスターは舌打ちし、手甲セスタスに覆われた両腕を交差させた。

本来なら防いだ直後に蹴りを放つが、今や両脚は超自然の力で縫い付けられたように動かない。

(魔女か? 大気中のエレメント濃度に変化はない。単に武器や防具によるところか)

交差させた両腕を強く押しながら、両腕を左右に開く。

たちまちルシアの刃はバランスを崩した。

ビーストマスターは拳を地面へ突き立てた。

床の亀裂は足場を崩壊させ、ルシアの足元も揺らいだ。

そこからは拳と刃の攻防戦である。

頭を狙った右ストレートに対し、首を傾けて回避。

その隙間を縫うように切っ先が一閃ふるが、ナックルの甲が軌道をずらす。

弾いた刃と入れ違いのアッパー。

両脚が床を離れると同時に蹴りを放って相殺する。

そこで、両者は間合いを取った。

「いい腕だ。足もな」

「光栄です」

「こうして君とやり合っていると、つくづく奴を思い出す」

なんとなくではあるが、ルシアはこの機神マキナ使いが夏目蘇芳と旧知の間柄だと理解しかけていた。

「…いったい、蘇芳さんが何をしたというんですか? あの人は仲間を助けたいだけです」

ルシアは刀を下ろし、顔の見えない機械の仮面を見据えた。

「あなたの上官もそれを望んでいるのですか?」

一瞬だけ、間があった。

そこから、呟くような応答。

「ああ、望まないだろうな」

どうやら、極月という男の上官もまた蘇芳と見知った間柄なのだろう。

「ゆえに、俺が判断を下す。あいつを悩ます前に俺がケリをつける。ハメを外した馬鹿の不始末をな」

ハメを外した、と聞いてルシアはため息が自然と出てしまう。

夏目蘇芳は身内の間でも問題児なのだろう、と。

「君がなぜそこまで奴のために動くかは知らない。君は俺や奴のように荒事を生業とするようだが、根っからの悪人ではなさそうだ。だから忠告する。奴に関わるな」

すっ、と獣の王を模したように重厚な仮面の前で拳が構えられた。

「星間治安維持機構防衛作戦本部第四機神師団所属、冬月に連なる者、極月泰山。惑星連盟評議会の名の下に、侵入者を拘束」

両脚が助走をつけるため前後に開かれた。

ルシアも備えるべく、双刀の剣先を上に向けた。

「ないし、抹殺…」





『する必要はないよ』

ザッ、とノイズに混じって若い男の声が聞こえた。

この場の空気を乱す、実に飄々と間延びした口ぶりである。

ルシアには聞き慣れない声だが、ビーストマスターの仮面越しに唸る様で納得した。

「神楽、今どこにいる?」

『脳内LANを使ってないだろ? 無線が使える範囲内って言えば分かるんじゃないのか?』

ビーストマスターの頭が周囲を忙しなく巡るたび、今にも壁に穴が開きそうなほど通路が狭く感じられた。

「そちらに戻ったのか。会議はどうした?」

『終わった。今のやり取りで突入許可が出た。機神マキナは使えないが、それでも構わないかな?』

敵の無線越しに話しかけられる気がして、ルシアは得物を下ろした。

『早く帰還するように。そちらとお嬢さ…じゃなかった。お姫様と従者も同行を求める』

「従者って、僕は夏目先生…」

ぼそりと呟く声は、対峙する唸り声に掻き消された。

表情なき機械仕掛けの兵士からは、驚きと怒りの入り混じった唸り声が木霊していたが、ルシアにとって、最早どうでもよかった。

『極月少佐。君が連れてきてくれないなら、彼の相棒に戦艦のナビを任せるが』

『おうよ』

唸り声が咆哮に近いものに変わったと思ったら、短く途絶えた。

諦めたのだろう。

ルシアは無線の声の主に言い残した。

「ありがとうございます」

『礼には及ばない。行動方針が同じだから協力してもらうためだよ』

だが、物事は進展しようとしている。

璃緒と目が合うと頷き、二人は重厚な鎧の兵士に案内されて通路を進んだ。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



蘇芳は足元に倒れる見張りを数人跨いだ。

懐のIDカードを胸元に収めると、ホルスターの拳銃を二丁失敬する。

(ゼロから作るより手っ取り早い)

握り締めた飛び道具は煤と火の粉を散らして融解。

そのまま、歪曲、変形し、蘇芳の指先から手首包み込む。

そこから精錬、冷却の全工程を経過。

手の甲を覆う防具が現れた。

全ての指の関節には打撃用の突起が威嚇するように剥き出しだ。

試すように蘇芳は手を握り、開く。

反動で手甲は揺れ、手首の表から両刃、裏からハンドガンが飛び出した。

「まだ駄目だ。テストの必要が」




なくなった。

曲がり角から規則的に床を挟ましめる音は軍隊の行進さながら。

もう一度出来立ての得物を見つめる。

そこには慈愛にも似た穏やかな笑みが浮かんでいた。

だからといって、使うべき対象に慈悲はないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る