26話 野外調査
目的地まで自宅から四十分以上の時間を要した。
潮風の香る沿岸地域を離れ、高層ビルの並ぶ市街地を越え、戸建てや集合住宅が林立する郊外を通り過ぎていくと、次第に緑が増えていく。
田畑は左右に広がり、山の輪郭が大きくなり、螺旋状の坂道を登りきったところでエンジンは止まった。
「ほら、着いたぞ。機材を運ぶのを手伝え」
蘇芳は運転席に被せた黒いフードを羽織ると、後部座席にあるアタッシュケースのような物を掴んだ。
同じ物を璃緒にも持たせる。
なぜか。
璃緒は蘇芳と契約したアンドロイドだからだ。
瑠禰が家事を担当する一方、こうして璃緒は研究の手伝いを任されることになった。
機械いじりが得意ということは、他にも細かい作業ができるということだ。
実際、璃緒は不満ではなかった。
「中に何があるんですか?」
元来、手と体を動かすことが好きな方だった。
そのため、サンプル集めや計測などに連れて行かれる頻度が増えると、蘇芳のつれない態度を受け流せるほど次第に慣れていった。
それに、半世紀前に作られたとはいえ、やはり中身は子どもなのだろう。
地球への好奇心が惹きつけていた。
「土壌検査キットだ。同じ物が一式ある」
「全く同じ物?」
「そうだ。でないと対象実験にならないからな」
調査ポイントは複数ある。
ポイントごとに足を止め、ストップウォッチに温度計を取り付けたような装置を地面に突き刺した。
璃緒は二つを見比べ、その間に蘇芳はまた別の器具(注射器のような形)を取り出して地面に刺したり、ペットボトルからミネラルウォーターを注いだ紙コップに土を入れて試験紙を当てたりと他の方法で測定していた。
初めて連れて行かれた頃、璃緒には何の目的でこんな作業をするのかさっぱり分からなかった。
だから聞いてみた。
土壌に含まれる成分の割合。
そして、酸性の度合いとや含まれる水分の量だという。
液晶画面の数値がゼロから上昇してはいったん止まり、またゼロに戻っては増加していく。
「気になるか?」
唐突な質問だった。
今まで検査中に口をきいたことのない博士だった。
「はい」
「そうか」
視線を木々の間からのぞく空に移しながら、
「数値で何か分かるんですか?」
蘇芳はタブレットを指差した。
複数の折れ線グラフはいずれも横ばい、もしくは右肩上がりかその逆。縦の横の項目を見ると、アルファベットと数字が並んでいるのが分かる。
アンドロイドの璃緒にはこれが地球で統一されている化学記号だということが理解できた。
機構でいうところの化学表記だ。
「これがどうかしたんですか?」
「たいてい土壌に含まれる成分の割合は多い順にケイ素、アルミニウム、鉄、カルシウム、カリウム、ナトリウム、マグネシウムだ。しかし…」
画面に触れると、三つのグラフだけが残った。
「ナトリウム、カルシウム、マグネシウム。この三つの数値が高い」
人間だった頃、璃緒は学校教育をろくに受けていなかった。
しかし、意識がオートマターの電子頭脳に組み込まれた際、基礎的な科学知識は全て情報として習得済みだった。
ゆえに、蘇芳が言いたいことが分かってしまう。
「これじゃまるで沿岸部の地質だ。けど、ここって山間部ですよね?」
「そうだ」
つまり、どういうことなのか。
答えず、蘇芳は測定を続けた。
「ここが終わったら奥に行くぞ。ポイントはまだある」
ガードレールを越えた斜面、湧き水のあふれる岩肌、キャンプ場、雨で増水した川岸など測定する場所は数箇所あった。
それらを調査するにつれて奥へ入っていき、ついには石でできた階段状の坂道へ辿り着いた。
「最後はこの奥だ」
機械の体であるにもかかわらず、璃緒は胸を撫で下ろした。
連日から続いていた『訓練』のせいだろうか。
地球と変わらない環境下の惑星で、ひたすら蘇芳に叩き込まれる体の動き。
生身の人間とは思えないほど機敏かつ豪腕。
瑠禰より腕に覚えがあるはずの璃緒はほとんど防ぎきれず、避けるのが精一杯だった。
しかも回避すら禁じられたため、手も足も出なかった。
足元に尖った石が幾つも落ちていることに気がつく。
(みんな似たような形してる。そっくりそのまま複製したみたいに)
ついつい目線を下に落としていると、蘇芳の背中に頭が直撃した。
「
尻餅をついた璃緒の手を引いて蘇芳は起こすのを手伝った。
「その…珍しい石だなって思って」
「ああ、それか。この辺りは昔の採掘場でな、過去に城の石垣造りで使われたらしい」
「城? あの港の近くにある水城のことですか?」
正確には海城だ。
かつて海上交易の要として海に囲まれて建造されたという。
「数百年前に建てられた城の材料が今でも残ってるんですね」
「正確にいうと、使われた材料と同じ素材だ。他にも石を取り寄せた場所は各地にあるが、県内だとここが有名だ。他にもこの近くには、同じ石切場から採れた石で建てられた城があるらしい。天守閣や櫓は復元された物で、石垣しか残っていないがな。時間があれば帰りにそこを通るか」
では長居は無用だ、と蘇芳は促した。
二人は川に沿って板でできた道を登って行く。
辿り着いた先は鬱蒼と木が生え茂り、石を積んでできた小山のような塊から清水が湧き出る…源泉だった。
近くには木でできた小さな祠が建ててある。
これまでと同じ作業が始まる。
璃緒は蘇芳と向かい合う形で土壌の調査キットを支えている。
蘇芳は酸性濃度や水分量などの数値をタブレットに記録していく。
「璃緒。さっきの疑問、もう答えが分かったか?」
「土に含まれてた成分ですか? 僕にはさっぱり」
「そうか。では、かわりに直接関係のない話をするか」
測定器にばかり目を向けるが、蘇芳の声は不思議なほど耳にするする入り込んでいく。
「異形はあらゆる惑星を根城にしてきた。中にはその星を搾取しまくって、飽きたとばかりに手放して去っていった者もいる。中には疲れて眠りについた者もいる。その星に現地住民がいようといまいとお構いなしに」
「…」
璃緒は測定値を確認した。
結果は他のポイントと同じ…いや、三つの成分だけそれ以上だ。
「外的特徴がそうであるように、基本的に奴らは海底かその付近にあたる沿岸地域、あるいは日が当たらず水分の多い地底深くを根城にしてきた。特に地底はいい。海底と直結しているし、地上にも近いからな」
璃緒は初めて機材から目を離した。
祠のそばには地図が描かれた看板がある。
アウトドア目的で訪れる客向けに立てられたものだ。
二人が今いる現在地点は看板の中心よりやや上。
双六や迷路でいうところのゴールだ。イラストには祠と源泉らしき湧き水が描かれている。
そして、
「石切場跡地…洞穴ですか?」
「ああ。もう入り口は閉鎖されている。採掘はもうやっていないが、今でも当時の石垣造りに使えそうな石はごろごろ出てくる」
黒いフードを纏った異星の科学者は立ち上がった。
全ての調査項目は埋まり、当初の目的は達成したのだ。
「出てくるのは石だけじゃない。もとより、連中が出てくるのは宇宙だけとは限らないってことだ」
立ち上がろうとした璃緒だが、蘇芳は手だけで制した。
「いいからここにいろ。丸腰は足手まといだ」
「けど、博士の言うことが本当なら、もうこの辺にいるんじゃ…」
璃緒は丸腰だ。
いかに体が頑丈だろうと大勢に囲まれればどうしようもない。
不安を見透かしたのか、蘇芳は首を否定的に振った。
「なぜ俺が午前中を狙ってここに来たと思う?」
あ、と開きかけた口のまま璃緒は無言で納得した。
まだ正午にもなっていない。
ゆえに、彼らもやたら外出したがらない。
せいぜい出入り口に近くて日が当たりにくい場所で群がる程度だ。
ゆえに、蘇芳は今からそこを叩く。
「どうしても不安なら計測器はそのままにして車に戻れ」
そう言って鍵を手渡された。
「瑠禰から聞いている。運転はたいした腕らしいな」
背中越しに異星人殺しの男は手を振って歩いて行く。
「運転って…」
璃緒は思わず溜め息をついた。
しかしそれは困惑を意味していない。
地球の車はまだ運転したことがない少年にとって、興味をそそられる格好の対象なのだ。
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