27話 魔窟への誘い

ロープをかい潜り、蘇芳は洞窟に足を踏み入れた。壁に触れると、岩肌が水分を含んでいることが伝わる。ためしに触れた指を舐めてみる。

塩分独特の苦味。

それに舌触り。

『今まさに絶賛活動中か』

ウルがようやく連絡を入れてきた。

機神マキナ調整メンテナンスが終わったところだろう。

『連中にとって一番活動しやすい季節が終わる。前回追い払ったから、冬籠りの支度はまだ終わってないはずだぜ。下山するなら、当分雨が降らずに暖かい今日がうってつけってとこか』

「そうだな」

ならば、話が早い。

蘇芳は手袋を嵌め、フードを目深に被った。





冷気を伴う壁面に沿うように岩肌を手でつたい、意識して踵から着地するように歩みを進める。

やがて潮風を受けたような香りが充満していく。壁面に触れた手袋には水滴がつき始めていた。

そして、

(いたか)

あえてフードを目深に被る。そうすることで、映し出される生態反応。

成人並みの体長をもつ人影が四つ、五つ、あるいはそれ以上。

一箇所に固まることなくうろうろと徘徊する。

手持ち無沙汰ではない。何かを待つよう挙動だ。

衣服らしき布で少なくとも下半身を覆っており、剥き出しの皮膚は輪郭からしてかさぶたのような質感に覆われている。

実際それは蛇の鱗である。

「手ぶらではないな」

『ああ、棍棒か槍、それに石弓みたいなのが見える』

蘇芳は蛇人間の視界に入らないように数歩後退、しゃがんで身をひそめながら右手を広げた。

ノイズが走り、現れたのは長柄。

杖にあらず。

先端に曲がった筒が口を開き、手をかける突起が二箇所備わっている。

いわゆる長銃アサルトライフルだ。

まずは一匹ずつ仕留める。

残りがかぞえるほどしかいなくなったら、あるいは。

『ケツまくって逃げ出したら、だろ? そんときゃ景気よくデカいのを頼むぜ』

無言で愛用の飛び道具を肩にかけた。

ブラック創造主スミス』が錬成できる物体は刃物だけではない。

素材と構造さえ理解していれば、銃火器やバイクさえ具現化できるのだ。

もちろん本物そっくりに動かせる。

結合次第では半永久的に、原本さえあれば消滅することなく維持し続けることも可能だ。

(まずは)

一番手前は狙わない。

つまり、






ダンッ

どさり、と臓物の入った皮の袋が落ちだ。

隣にいた固体は戦慄した。

どうした。何が起き、



ダンッ

また崩れ落ちる音。

少し離れた場所からだ。

まだ終わらない。

耳の奥から唸るように響く轟音。

それに続いて鼻腔を突く焦げた臭いが漂い、地面を同族の体が次々に埋め尽くしていく。

思わず後退りしたため、先に逝った仲間の体にけつまずきそうになる。

そこへ轟音に負けない音量で、人間の耳では不明瞭な言葉が激を飛ばした。いったん戻って態勢を立て直せ、と。

その頭にも容赦のない一撃が貫通。

白目と舌を出したリーダーの姿に、生き残った者達は意を決した。

極めて原始的な意思にして、根源的な欲求。

すなわち命の確保だ。




『あらまあ、撤退しちまったよ。最後に逃げた奴なんて、明らかに中指立ててたぜ。実に学習能力がお高いこと。いったいどこで覚えたやら…状況報告終了』

文字通り尻尾を巻いて逃げていく蛇人間達の様子を、ウルが実況中継する。

洞窟を出る直前、蘇芳は手の中のライフルを宙にかざした。

たちまち先端から煤が散り、跡形もなく蒸発した。

「帰るか」

ここにもう用はない。

異形の骸が散らばる魔窟から早々に引き上げることにした。




璃緒と合流した後、木々の隙間に陽光が差す坂道を降りていく。

ちょうど一番日が高い時間帯に差し掛かっていた。

だからいったん帰宅して昼食を取る。

ステーションワゴンは山間部を抜け、市街地に最も近い郊外に入った。

民家に混じって小売店が点在する。

そのうち小料理屋の隣に並ぶリカーショップの前で車を停めた。

「中で待ってろ」

ちょうど切らしたところだったのだ。

外観は擦れたように冴えないが、商品の種類は豊富なのだ。

店同様に年季の入った店主と相談し、口に合う日本酒を一升瓶選んだ。

ワインも勧められたが、来月の楽しみにする。

第三木曜日は蘇芳の誕生日に近い。

自分へのプレゼントとしてその日まで我慢するつもりだ。

会計を済ませて車に戻ろうとした矢先、ポケットの着信音に呼ばれた。

実際はポケットに突っ込んだ右手首からだ。

相手の名前が視界に入ると、車に戻る前に電話に出た。

「神楽、久しぶりだな」

旧友の声を聞くと、嬉しそうな返事が応えた。

『その声から察するに、君も元気そうで何よりだ』

神無月神楽。

星間機構防衛作戦部で第四師団の副師団長を務める青年だ。

歳は一つ上だが、蘇芳にとって学生時代の同期で…そうでなくてもという切っても切れない縁がある。

「元気か、と聞かれれば答えにくい。少なくとも問題はない」

『それは君にとっての良好って意味だよ。かく言う私もね』

どうやらあちらも一息ついたところらしい。

「ラナイの遠征は上手くいったようだな」

機構の敵対勢力が逃げ落ちた先であり、ゲリラと化したグループが先住民族を盾に根城としている惑星だった。

無事住民の身柄は確保できたと聞いたが、どうやら奇襲作戦は成功したか。

『ああ、議会の調停部が直接現地入りしたおかげで片付いたよ。こうして予定より早く本部に帰ってこれたというわけさ』

議会は最高機関だ。

そこから司法、立法、行政に大きく分かれるが、機構の存続がかかっている一大事には介入する権限を行使する。

今回の遠征で調停部を派遣したのも、いずれラナイを機構の統治下に置くためだ。中立を維持してきた先住民族も、ゲリラを追い出す力と引き換えならばやむを得ないだろう。

調停。

むしろ牽制だろう。

『そういうわけで、今夜は任務遂行を祝して同窓会を開こうと思うんだ。ぜひ君にも来て欲しい」

聞けば、すでに蘇芳を除いたメンバーに声をかけていたらしい。

神楽らしい根回しである。

いっそ軍を辞めて商売人に転職した方がいいのではと蘇芳は時々思う。

『打ち上げの場所なんだが…以前第八ブロックで紹介してくれた店があるだろう。できればまたそこに行きたいんだ。みんなに話したら連れてけと言わんばかりの勢いだったから』

『みんな』の中には同じ旅団にいる部下兼幼馴染もいる。

おおかた、皐月源治あたりが主犯格だろう。

しかも来ないかと勧誘しつつ、店を案内しろと言う。

ようは幹事を務めろというわけだ。

「先に予約する必要がある。何人来る予定だ?」

いつものメンツなら人数は把握できているが、確認のため聞いておく。

「言っておくが、まだ十一月に入ったばかりだ。例の酒はまだ出ないぞ」

『分かってるよ。無理に持ってくる必要はない。アテをつまみながら一、二杯飲めればそれで満足さ』

捕捉すると、そのバーは定期的に生演奏を鑑賞でき、ダーツの的も設置され、ボードゲームも貸し出しできる。

初めて連れて行った時神楽はいたく気に入っていた。

だから蘇芳はコロニー内では二番目に行きつけの店として贔屓にしている。

「喜べ。席が今の予約でピッタリ埋まったそうだ」

予約サイトから確認した。

待ち合わせ場所は第八ターミナルに、時刻は六時に決めておく。

『感謝するよ。今夜店に着いたらラナイの土産を渡すから』

「あちらの高山地帯にしか咲かない稀少植物か?」

『あれは星間法で禁止されてるだろう。そうじゃなくて、あちらの豆で挽いたコーヒーだよ。君、アルコールの次に好きだろう』

ラナイは地球の赤道地帯に似た気候が特徴だ。

水と空気も相まって、生態系も共通しており、農作物も例外ではない。

コーヒーなら朝飲める。

白湯と並んで蘇芳が毎朝欠かさない日課だ。

「楽しみにしている」

『同じく』

通信が切れると、車に戻るべく酒の会計を済ませようとレジへ足を






先約がいた。

「奇遇ですね」

軽く頭を下げてきた。

簡単にへし折れそうなほど細い首筋に合わせて揺れる、金のショートボブ。

白皙の肌に浮かぶ瞳は湖水を湛えたように冴え、細めてこちらを見つめる。

薄らと氷を張ったように。

ルシア=ネーベルング。

ショートジャケットにワンピースという出で立ちは最初に臨海地区で会った時と同じだ。

しかし服の内側は保証できない。

「買い物ですか?」

手の中の一升瓶に視線を注ぐ。

杯に注がれる時を待ち構えるかのように、心なしか爪先立っている。

「そうだ」

「私もです」

そう言って彼女が見せたのは一本の紙パック。

蘇芳も飲んだことのある日本酒だ。

「好きなんです。安いけれど、淡白で後味がすっきりするから」

紙パック以外の所持品は小ぶりなショルダーバッグのみ。

足元はヒールのないショートブーツ。

動きやすい軽装であることに変わりはない。

「次、どうぞ」

先に会計を済ませた後のようだ。

レジに立つ店長にも促されるが、念のために蘇芳は店内の出入り口を確認した。

車を止めてある路肩だけでなく、向かいの通りも。

「誤解しないでください」

肩をすくめ、ルシアは眉根を少し下げた。どこか呆れているように。

「あくまで買い物に来ただけです」

「俺でなくても誰かに用はあるだろう」

蘇芳と同じ方向をわずかに見ただけで、青緑の双眸はわずかに尖らせた。

「片割れに興味はありません。それに最早あなたと戦う意味も」

今度は蘇芳が眉根を寄せた。

「…用件を聞こう」



精算を終え、二人は店の外へ出た。

助手席では璃緒が携帯型端末スマートホンを覗き込んでひたすら画面をタップしていた。話題のソーシャルゲームに夢中なのだろう。

「何をしに来た?」

「先程お友達と約束をしたそうですね?」

盗み聞きが無礼だとは言わなかった。

そもそも彼女はアサシンだ。

光学迷彩の鎧がなくても、気配を消すことなど容易い。

「まさかお前も連れて行けなどと言うまい」

「いえ、行きたがっているのは私の父の方です」

ルシアの父親。

となると、蘇芳は誰のことか察した。

「『商会カンパニー』の会長自らお目見えか」

「あなたのことを話したら、父は大変興味を持ちました。だから、直に会って話したいそうです」

「それは光栄だが、俺にも付き合いがある」

ええと頷きながらも、その表情は嬉しそうだ。

「あまりお時間は取らせないそうです。これは博士にとっても都合のいい話だとか」

「その口ぶりからするに、あのアンドロイドを諦めてもいいというわけか」

もちろん蘇芳は本気にしなかった。

タダで瑠禰を諦めるはずがない。

向こうもビジネスだ。

何かしらの交換条件を持ち掛けてくるだろう。

「詳しい話は知らされていません。今夜直接本人から詳細を聞く方が分かりやすいかと」

「手短に済ませろと伝えろ」

一礼すると、ドレスのように裾を翻して魔術師の姫君は背を向けた。

蘇芳も自分の車に戻ろうと歩きかけたところで、背後からの声が呼び止めた。

「私は誘ってくださらないのですか?」

「なぜそうする必要がある?」

逆に聞き返すと、あからさまに不満そうな目つきが睨んでくる。

「約束したではありませんか? 車を直していただいたお礼です」

本気にしていたのか。

殺しに来た相手に対して食事を平然と誘う神経に面食らう。

(いや、この手の類は珍しくないか)

呆れて目を細めながら、蘇芳はとぼけたように返す。

「来たければ好きにしろ。お前の相手をしてやる暇はない」

「残念」

「先日持ち逃げした俺のメスを返してもらえれば話は別だ」

「せっかくですが、昼間は持ち歩かないことにしているので手ぶらなんです。それに、個人的に気に入ってますから」

残念、と先程と同じセリフを呟きながらも機嫌よさそうにすたすたと背を向けて去っていった。

「…言いたいことでも?」

『ありゃ、バレてたか』

息をひそめて声を出さずにいた相棒。

堰を切ったように茶化し始める。

『相変わらず女に縁があるな』

「褒め言葉なら別のシチュエーションに言え」

『あ〜暑い、暑い。今年の秋は最低気温も高』

ミュートをかけるとウルの声は途絶えた。

いつのまにかスマホから視線を外し、助手席越しに伺う少年と目が合う。

「待たせたか」

首を横に振ると、またゲームを再開。

一部始終見られていたか。

なるべく顔を合わせないように、蘇芳は運転に集中した。



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