25話 課題と約束

「璃緒!」

肩から背中。

鉄筋コンクリートの硬さに思わず目をつむる。

それでも上体をすぐ起こし、横殴りに吹きつけてきた風の出所を見据えた。

密林で遭遇した狒々の異形を彷彿とさせた。

もっとも、目の前にいる襲撃者は全身に余分な贅肉をつけたかのように肥大化した姿だ。

そのわりに、

(間に合わな…)

掬い上げるようにして長い指が広がり伸びる。

横転、回避。

床を蹴り、起きた反動で跳躍。

背面飛び。

狒々の頭上へ両腕を揃えて構える。

被弾。

狒々は体を丸める。

横転、回避。

(まただ)

この異形は敵の動きを真似るという。

相手の攻撃を逆手にとって反撃するという。

だから、

(弾が)

老朽化した鉄筋コンクリートへと弾かれる。

耐えきれず、崩れ落ちる壁。

その中には、

(しまった)

壁を蹴って、開館を見下ろす。

一階から吹き抜けを通じて援護していた瑠禰。

建物の一部がその頭上めがけえ落下。

(姉さ…)




「先生!」

言いかけた璃緒の口が強張った。

先に、黒いフードが飛び出してきたからだ。

しまった、と足が固まったのはこれで二度目。

しかし後の祭りだった。

蘇芳が瓦礫の中から飛び出してきた時、腕の中では金の三つ編みが揺れていた。

最早、異形のは璃緒に目をくれない。

長い指を伸ばした先に、二人の人間の姿が遠目から視界に収まっていた。

手中に収めたも同然とばかり、赤い顔の中で口が裂けた。

蘇芳は瑠禰を下ろすと、正面から狒々と両手を掴み合う。

璃緒は息を呑んだ。

黒装束から伸びる両手は、炭素結合で同じ色に染まっている。

だが保護していようと、狒々の方が膂力で優っている。

へし折らんと長い指に関節が浮かび、爪が黒い手の甲に抉り込む。

蘇芳の眉がわずかに傾き、瞳がすっと細くなる。

ぐらりと上体から傾き仰向けに倒れ込んだ時、璃緒の足から力が抜けた。

だが、ぐええと喉から迸る声に正気を取り戻す。

わざと後ろに倒れ込み、顎めがけて革靴の踵がめり込んだのだ。

そのまま宙に投げ飛ばすことなく、狒々の頭は大地に不時着。

事切れる寸前、喉元に手首から伸びた刃が追い討ちをかけた。




引き抜いた刃から血を振り落とすように手首をスナップさせる。

たちまち返り血と共に黒い煤が散り、手甲剣の輪郭はぼやけて消えた。

「合格だ」

蘇芳は手を伸ばしで瑠禰が立ち上がるのを助けた。

「的確な判断だった。よく気が付いたな」

璃緒は声が出ない。

「ここにくる前から課題の意味を考えていました。あれは、いつ先生に助けを求めるべきか決めさせるためだったんですね。つまり…危険を察知し、認識する判断力の有無」

答える代わりに、蘇芳は螺旋階段で璃緒の方へ歩み寄る。

璃緒は床に座り込んでいた。

まともに顔を上げられない。

声もかけられない。

「アンドロイドは優秀だ」

蘇芳は璃緒を見下ろす。

「潜在能力と学習能力が高い。ゆえに、放っておけば人の手を借りずにあらゆる仕事を一人でこなせる。他のアンドロイドがいようといまいと」

ようやく、璃緒は顔を上げた。

蘇芳の表情は変わらない。

もっとも、この人間は滅多なことが起きない限り、顔に変化はないのだが。

「俺を呼ばずとも、姉と交互に先守交替できたはずだ。なのに、一人で対処しようとした」

課題の意味を理解していなかった。

それどころか、課題を無視していた。

「初めて会った日を覚えているか? あの時、お前は俺の言葉に腹を立てたはずだ」

当然だ。

ロボットに家族などいない。

瑠禰どころかファフナーとの関係を否定された。

あの時の自分が今の自分だったら、躊躇わず蘇芳を撃っていただろう。

「その家族を信じてやらずにどうする?」

階下に身を乗り出す。

そこには無傷の瑠禰が佇んでいる。

しかし、狒々に遭遇した時から表情は変わらない。

「僕は…」

黒い袖口から手が伸びてきた。

刃はなく、機械仕掛けの鎧に包まれていない。

「課題は不合格だが、せっかく来たばかりだ。このまま最奥部まで二人で行ってこい」

「…はい」

力強い手に引っ張られると足が浮きそうになるが、璃緒はそこで踏みとどまり、助けを借りながらも立ち上がる。

「璃緒、怪我はありませんか?」

上がってきた姉を、降りていって出迎えた。

「平気だよ。姉さん、このまま最後たで行けるよね?」

顔は穏やかだが、頷きには力が込められている。

璃緒に人だった頃の記憶はもうない。

だが、アンバー博士からもらった命はある。

その博士ももういない。

だが亡き後も、失くならないモノならある。

今は失われたモノも必ず取り戻す。

(決めたからな。一緒に帰るって)

璃緒は瑠禰の手を引いた。

「先に進もう」

「ええ、一緒に」





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



まだ石炭が動力源の時代だった。

黒いゴールドラッシュとも言うべき、大規模な採炭が惑星総出で行われ、機構にとって主要な資金ルートだった鉱業惑星も新エネルギー開発の余波に敵わなかった。

地球では未解明の暗黒物質ないし魔術師にとって力の源たる五大元素の一つ、エレメントの発見、運用、普及と、惑星メギの石炭枯渇が平行して進んだのは偶然の一致だろうか。

少なくとも炭鉱都市の閉鎖に伴って企業は撤退、労働者家族は家屋を引き払い、機構はこの星を私有地のまま放置せざるを得なかった。

そして今や原住生物と異形の巣窟というわけである。

だが、残された遺物は廃虚ばかりではない。



現に、

「わあ、まだ残ってる」

璃緒は倉庫に所狭しと並べられた直方体を仰ぎ見た。

今にも手を伸ばさんと爪先立つ様は、店先のアイスクリームを物欲しそうに見上げる子どもそのもの。

実際、目当ての対象は娯楽目的で用意された物ではない。

直方体の足元には、いずれも細長い鉄製のラインが伸び、その下には庭園の砂利に似た黒い石が形状様々に敷き詰められている。

そして同じ物が、一部の直方体にも積み上げられていた。

「これ、今でも動かせるんですか?」

「ああ、動力さえ修理すればな」

「ですが、一部のレールは途中で断たれています。走らせるには先に線路を修理した方がいいでしょう」

線路。

三人の周囲を取り囲むように並ぶ直方体は列車であり、そこは蒸気機関車の格納庫だったのだ。

最奥部に近い空洞に出ると、璃緒の嗅覚センサーは蒸気特有の焦げ臭いタール臭を感知した。

突き進むと、すぐに認識できた。

そして、璃緒に底知れぬ興奮と関心をもたらしたのだ。

「すごい…いっぱいある! アンバー博士の図鑑データベースにあったのと同じだ」

あるいは、璃緒が人間の子どもだった頃の記憶によるものか。

列車のタイヤと線路はたちまちアンドロイドの体を持つ少年の目と気を惹きつけてやまなかった。

「運転室に入ってもいいですか?」

「ああ、許可は取ってある。だが、どの装置にも触るなよ」

「私も一緒に行きます」

頷くと璃緒は手招きした。

「図鑑には仕組みも載ってたんだ。見せてあげるよ」

『聞いたかよ、今の。すっかり水先案内人だぜ』

先に飛び乗った璃緒は瑠禰の手を引いて乗るのを手伝う。

その間に蘇芳はレールに載っていない廃棄寸前の列車に足を運ぶ。

『お前も甘いとこあるよな。修行が足りねえガキ共のご機嫌とるなんざ』

「前から興味があった場所でな。あの二人はそのついでだ」

失礼しやした、とAIの相棒は笑う。

『ま、気分転換になるし、璃緒のモチベーションも上がるってもんだ。オレも文句は…』





ザリザリ。

ノイズ。

砂が地を掻くように。

蘇芳は片手を耳に当てた。

体内端末越しに連絡があったのだ。

「こちら夏目」

『おっ、繋がったか。こちら浦部。今いいか?』

浦部は蘇芳と同じコロニーの高等科出身である。

卒業後も同期で学院アカデミーに通い、今はIT企業でゲームの開発運営に携わる。

『お前の知る限り、コンピュータ科学の専門家エキスパートだったよな。ま、オレほどじゃねえが』

『その口ぶりはウルか。君も変わんないねえ…』

そりゃどうも、と蘇芳との付き合いがより長い相棒は呟く。

「何か分かったか?」

浦部の勤務先での役割は二つ。

一つはプログラミングによるシステム管理。

もう一つはハッキングによるウィルスの破壊。

ゆえに蘇芳は託した。

惑星スカイの警備システム、Type-Dの汚染除去。

そのためには未知のウィルスを解析してもらう必要があったのだ。

はたして。

『君の期待に応えられずにすまない。どの解読表コード・ブックにかけても、ウィルスを構成するプログラミング言語や数式が出てこなかった』

「そうか」

『メイド・イン・アースなら尚更だ。地球の技術ってのは知名度が低いからなあ。オレ達からすればご先祖様の故郷だが、古き異形の巣食う亜空間並みに未知の魔境だよ』

「補足はどうでもいい。要はお前でも無理だったということだ」

取り付く島もない非情な結論に、むくれたような反論が応じた。

『そう言うなよ。壁にぶち当たってハイ終わりって投げ出したわけじゃないぞ。こっちはオレなりに仮説を立てたんだからな』

「仮説、か」

そうそう、と相槌を打ってから学徒の旧友はいったん深呼吸する。

これから一気に大事なことを喋るための前準備だろう。

同時に、蘇芳が聞きたくなさそうな内容を耳に入れるための。

『ま、聞きてやれよ。頼んだのはお前だぜ』

ウルの援護射撃もあって、蘇芳は先を促した。

「では聞こう」

『ああ、お前さんも知ってのとおり、ウィルスもプログラムの一種だ。で、その構成要素には二通りのパターンがある。開発者の文化圏が多様でも、法則とも言うべき材料がある』

一つ、と目の前で指を立てるように説明していく。

『まずは、世間一般のコンピュータ科学では共通の知識とも言えるプログラミング言語だ。文字アルファーベータ数字ニューメラルの組み合わせだけで構成され、演算機コンピュータに指示するための命令コード…分かるよな?』

「ああ」

蘇芳にとって、いや、彼に限らず機構の住民にとっては最早メールを打つのと変わらない行為であって、技能と呼ぶには容易すぎる。

『しかし文字と数字だけがプログラミングの術じゃない。もう一つの手法は言葉や数式をタイプするんじゃなくて、極めて繊細かつ原始的な行為の産物…映像と音声だ』

映像と音声。

デジタル化が進んだ時代において、それすらも記号同然。

原理としてはプログラムを書くのに利用できないことはない。

『要するにだ、あのウィルスはな…書いた本人の見聞きした出来事に基づいて作られた可能性があるってことだ。記憶、あるいは潜在意識の底に眠る光景…って言ったら、アレだ。お前さんの苦手な脳科学やら心理学の世界の話になるんだが…言ってる意味分かるか?』

格納庫の中には三人しかいない。

双子のいる車両は賑やかだ。

瑠禰が聞き上手なのをいいことに、ひたすら璃緒が蘊蓄を披露している。

「蒸気機関の出力で一番の決め手は、どれだけ火室に大きな熱エネルギーを発生できるかってことなんだ。まだ初期の頃はたくさんの労働者に交代制で石炭を全力投球ならぬ投炭させてたらしいけど、それだと…」

『お〜い、聞いてるか?』

まだ璃緒の講義を聞いている方が楽だった。

脳科学だの心理学だのは専門外だが、理解の得手不得手が問題ではない。

個人の嗜好の問題である。

「やはりウィルスを作ったハッカーに聞く方が早いな」

『ま、お前のことだからそう思いつくわな』

苦笑いしながらも、浦部は冬眠状態のファフナーに意識下で接触してみることを勧めた。

『週末空いてるか? 直接落ち合おう。場所は学院でどうだ?』

「ああ、頼む」

通信は切れた。

『あいつらに言っておくか?』

運転室からボイラーへと顔を突き出しす二人の顔が蘇芳に意思決定させた。

「いや、よそう」

『解剖中の家族の姿なんざ見たいわけねえよな』

やっぱり甘いよ、と揶揄する声に消音ミュートをかけて打ち消した。



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