41話 故郷の宙

何もなかった。

何もないと感じた。

(違う)

そう思える理由は一つ。

まぶたを閉じているからだろう。

外の世界から切り離されて、彼は一人そこで眠っていた。

そこ、というのがどこは分からない。

しかしどんな場所かはにあった。

(覚えてる。それに、知ってる)

産まれた場所でない。

生まれた場所である。

産んだ者は最早いない。

生んだ者の縁者がいる。

眠ったまま、彼は悟っていた。

彼を覚えている者は最早いない。

彼を知っている者ならばいよう。

(だけど)

外界にいる者達が誰かなのか、彼は知らない。

どう生きていようが知らない。

彼が知る者はただ一人。

彼を知る者はただ一人。

(姉さん)

姉だけのはずだった。

共に産まれ、生み出された者。

しかし二人きりではなかった。

双子をもう一度産み落とした者。

主であり母であった女性は双子に翼のある家族を与えてくれた。

主亡き後も穏やかに暮らせた。

(だけど長くなかった)

機械に身を包んだ異星の人間により、全てが壊れた。

彼は死神だった。

そして新たな主だった。

(散々だったなあ)

それでも毎日は続いていった。

不満はあった。

だが、不幸ではなかった。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


蘇芳がルシアと惑星スカイへ向かった翌日のこと。

連絡はない。

「連絡はない…って」

璃緒はハッキング後の昏睡状態から目覚めていた。

飛び起きた時、声をかけてきたのはウルだった。

「っていうか、ここ学院アカデミーじゃないか?! なんで? いつのまに…」

『寝てる間に転送してやったんだ』

しれっと答えるウルは悪びれもなく捕捉した。

『お前の私物も含めて。待って行けるだけな』

「ごめんなさいね、勝手なことして」

紫苑も一緒だった。

彼女の場合、異星人居住管理課からのお達しがあったという。

「緊急事態なの。とにかく地球を離れるよう言われて」

「それと先生達が戻って来ないこととどう関係が…」

混乱する璃緒のため、ウルは一から説明した。

ファフナーに乗って惑星スカイに帰還した瑠禰と蘇芳は無事に会えた。

瑠禰の魔術はファフナーの電子頭脳に仕掛けられたウィルスを除去できたものの、肉体を蝕むプログラムに刺激を加えられた。

その肉体こそ、機械の部品で制御されていた古き異形であり、

『生体兵器に組み込まれた機械部分が、まさかの転移装置だったってわけだ。あのコンピュータウィルスに二重の機能があったとは、さすがの蘇芳も気づかなかったわけだ。ネーベルングの技術っつったって、要は旧支配者のテクノロジーだからな』

転移装置がないはずの惑星スカイから高密度の粒子エレメントが確認された。

光速航行の宇宙艇が離着陸した痕跡がないため、間違いなく誰かが転移したはずだ。

「それから連絡がつかないんですか? 先生も、姉さんも」

指の関節から骨が浮き彫りになる。

ベッドで俯いていた璃緒は布団をはねのけた。

「待って、璃緒。今、コロニーの住民は待機要請が出ているの」

「僕はここの人間じゃない。アンドロイドだし、夏目先生と地球にいたんだ。それ以前に、スカイが僕の故郷だ。僕と姉さんとファフナーの」

みんな勝手すぎる。

散々連れ回しておいて。

璃緒の脳裏を走馬灯のように見てきた光景が浮かんでは通り過ぎていく。

(無理矢理スカイから連れ出しといて、機構に来たかと思えば今度は地球。姉さんは消えたのに僕は探しに行かせてもらえない。でもって今は…また機構?)

人間とほぼ変わらない手を見つめた。

握ったり開いたりと動く掌。

見た目は子どもの大きさだ。

だが、

「僕にだってできる」

「璃緒」

「僕だって先生から戦い方を教わった。姉さんみたいに魔術は使えないし、先生みたいに体は大きくない。けど、腕っ節なら人間の大人と変わらないんだ」



「おうおう、でもって言うことまで大言壮語ときたものだ」

振り向くと、白塗りの壁には亀裂が入っていた。

そこ現れた二人の男性は、背丈の異なる白衣姿…秋葉原白夜と七瀬薫だ。

「やはりな。主人が主人なら使用人もどっこいか」

メタルフレームの眼鏡から覗くねちっこい視線が絡みつく。

璃緒は目を逸らさなかった。

逸らしたところで視線はしつこく璃緒を捉えて離さないだろう。

「アンバー博士はお前の主人を過大評価し過ぎていたということだ。おかげでネーベルングのオカルティストに目をつけられ、貴重なオートマターを一機奪われ…今度はどうだ? 奴まで連中の手の中だ」

返す言葉もない。

ただ、人を見下す汚い白衣の中年男を穴が空くほど睨みつけるだけだ。

「そういう言い方ってないと思います」

璃緒の肩に手を置いて落ち着かせようとしながら、紫苑は反論した。

一方的に言われたままの璃緒を見かねて、なにより家族を目の前で侮辱されて黙っていられない。

「ほう、成る程。たしかに私は言い過ぎかもしれん。だがな、元はといえば、君のお兄さんがアンバー博士のアンドロイドをいつまでも手元に置いておいたからだと思うが。不自然だと思わなんだか? 地球の魔術師が良からぬことを企んでいると知ったうえで。なぜか?」

たった一瞬だけ間を置き…あるいは、躊躇してから紫苑は答える。

「それは…誰も巻き込みたくなかったから、です。兄さんは昔からそういう人だってこと…自分だけでなんとかしようとする所があるって、アンバー博士が仰っていました。学院長だって」

ははあ、と声を上げて秋葉原は嬉々と言いくるめる。

「そう、自分一人で。それが奴の汚点だ。こういうことは軍にでも任せておけばいいものを。魔術師じゃあるまいし、魔法が一つ使えるぐらいで…ちょっとばかし腕に覚えがあるからといっていい気になったのが自業自得ではないのかね?」

紫苑は口をつぐんだ。

秋葉原の言うことはあながち間違っていないからだ。

(秋葉原博士の言いたいことは分かる。だって兄さんは…本当にトラブルに巻き込まれてばかりだから)

機構の科学者。

外宇宙調査団。

学院アカデミーの称号持ち。

失われた魔法の所有者。

機械仕掛けの神を操る異形殺し。

酷い時は、蘇芳自らがトラブルを引き起こし、周囲を巻き込むのだ。

「呆れた男だ」

苛々したような物言いの一方で、顔は愉悦に歪んでいる。

反論しない紫苑を秋葉原はけなしながらどこか楽しそうに見つめる。

言葉に詰まる紫苑に代わって、璃緒が前に進みでようとする。

しかし紫苑の手は相変わらず肩に置かれたままだ。

だから、ウルが精一杯の抵抗を示す。

『ロボットは人を傷つけられない、か。ウマイこと利用してやがるな、クソ偏屈ジジイ』

カッカッカと肩を震わせ、さも愉快そうに笑うロボット工学科の学部長にして学院アカデミーの権威。

「なんとでも言え、奴が捕まろうがくたばろうが、私にはなんの関係もないからなあ」

「そうとも言い切れないでしょう、秋葉原学部長」

付き従うように入ってきた七瀬が割り込んだ。

「アンバー博士が亡くなった後、あなたは惑星鉱石学科の学部長を兼任しています。つまり、蘇芳は秋葉原学部長の部下にあたります。部下の窮地を上司が見過ごすのですか?」

璃緒は七瀬を見た。

穏やかに笑みを浮かべる青年研究員は軽く頷いてみせた。

少なくとも、蘇芳には味方がいる。

「そうだ。そもそも奴は直属の部下ではない。学院アカデミーに籠るのが嫌だからと調査団に入ったのだぞ。危険を承知でな。それこそ私があいつを助けるのは虫が良すぎだろうが」



『それは困りましたね』

今度は室内にいないはずの声の主が口火を切る。

ウル以外に姿を持たない声だけの主。

秋葉原博士の秘書AI、カレルである。

『現在、地球の北半球にある大陸から高密度のエレメントが溢れ出ています。間違いなくこれは旧支配者グレーター級…防衛作戦部が戦艦で出撃準備しています』

「…それが、どうしたという?」

肝心な時にと言わんばかりに、秋葉原は宙を睨んだ。

『夏目博士が言っていたネーベルングの巨人復活すれば、大規模な戦争になります。そうなる前に、不完全な状態にとどめをさせるのは夏目博士の機神マキナだけです。だから学院長はあなたを寄越したのです』

「あ、こらっ! 余計なことを…」




(秋葉原学科長)

声が浮かび上がる。

暗闇からぼんやりと輪郭が浮き彫りになるように。

(頭から…声?)

璃緒は辺りを見回した。

通信用の空間タッチパネルなど表示されていない。

体内端末にもログは残っていない。

だが、幾星霜の時を感じさせる声は室内を包み込む。




学院アカデミーの意義を忘れてはならん)

知恵と知識の揺籃。

その支配者は全てのだ。




たちまち、剣呑な目つきが紫苑や璃緒から消えていた。

どこか縋るような眼差しに変わっているではないか。

「じゃあ…秋葉原博士、兄さんを助けてくださるんですね」

パクパクと声もなく小刻みに開閉する口は、水を失った魚さながら。

「それこそ僕らがここに来た本当の理由だよ。秋葉原博士も素直になればいいのにね」

秋葉原はメタルフレームから射抜く視線をなげかけるが、肝心の七瀬はどこ吹く風と視線をずらしている。

「ちなみに、惑星鉱石学科には秋葉原学部長も知らない研究データや採集物が幾つも保存されています。これらを閲覧するには鍵が必要で、蘇芳がいないと永遠に目を通さなくなります」

そのセリフが決定打となった。

「だから、学院長があなたに要請したんでしょう。必ず蘇芳をここに帰還させよ、と」

『なら、協力者ってことでカウントしていいんだな』

「ありがとうございます、七瀬さん」

紫苑は胸を撫で下ろした。

「僕があいつをほったらかしにするとでも? 無理矢理にでも帰らせるようにするさ。危険もほどほどにって釘を刺して」

「お願いします。必ず兄さんを連れ戻す手助けをしてください」

ぐぬぬ、と歯軋りする秋葉原を尻目にウルからも提案があった。

『頭脳と小道具に関しちゃ、ロボット工学科のお二方に任せる。あとは実働部隊…戦闘要員ってとこだな』

「僕を行かせてください」

鼻と膝がぶち当たる勢いで璃緒は頭頂を下に向けた。

「気持ちは分かるよ。だけど、向こうは機構に匹敵する規模の兵力があるんだ。ましてや魔術師相手だよ」

七瀬はもっともな説明で納得させようとした。

しかし璃緒は食い下がらなかった。

惑星スカイで蘇芳に言われたことが脳裏に蘇る。

(今度こそ、守りたいのに。ファフナーだけじゃない。姉さんは僕の家族だ。それに先生は僕のマスターだ。主人を助けに行くのだった役目じゃないのかよ)

その思いを見透かしたのか、ウルから諦めのため息が漏れた。

『しゃあねえな…たった今連絡があってよ。ここにもう一人呼んでもいいか?』

全員がモニターに映るウルのアバターに注目した。

主なき研究室で転移装置が発光する。

たちまち光は人の輪郭を得て、リングの中の水面がさざめく。

円環から揺れ動くのは、金の髪と白装束だった。

紫苑と璃緒は息を呑んだ。

「こんばんは」

一礼するのは北の巨人の、そして『琥珀』を冠した魔女の娘だ。

「これはこれは、酒場の歌姫か」

七瀬は愛想よく微笑むが、紫苑はたじろぐ。

璃緒にいたっては、きつく拳を握りしめていた。

『ルシアはあちらの事情に詳しい。道案内がいれば百人力だろ』

「それは…」

「やっぱり僕を行かせてくれよ」

白い吐息のように軽いため息をついてから、

「ファフナーが転移装置だということは知っていました。ですが、蘇芳さんまで連れて行かれるとは思っていませんでした。そもそも、あの仕掛けを作ったのは他ならぬアンバー博士です」

「その甲斐あって、アンドロイドが攫われた。しかも地球では恐ろしいカミ様が復活寸前だ」

たっぷりの皮肉を利かせて秋葉原は顎をしゃくった。

「君の母親の発明が原因だ。地球どころではない。宇宙全体の問題だ。しかも当の本人はすでに故人…いてもいなくても迷惑だ」

「だからこそ、私が二人を救出します。瑠禰の魔力ならネーベルングの巨人…アングルボザを再び封じ込められます。あるいは蘇芳さんの」

「僕も行く」

璃緒はなおも言い続けた。

「この人だけじゃ危険だ。信用できないから」

なおも睨む璃緒の視線をルシアは逸らさなかった。

「私は構いません。何かあっても必ずあなたを守ります」

「守られなくてもいい。僕は夏目先生から教わったんだ。今度こそ姉さんを守る。先生も連れて帰る。それが僕たち使用人アンドロイドの仕事だから」

互いに譲ろうとしない。

そこに紫苑の穏やかな声が入る。

「私はロボットのことよく知らないけど…アンドロイドが壊れた場合、兄弟機同士で部品を補給し合うそうなの」

兄さんの受けおりね、と付け足す。

「璃緒が同行する理由はそれよ。万一瑠禰が壊れて魔術が使えなくなった時、あなたのパーツを瑠禰に貸すこと。ネーベルングの旧支配者グレート・オールド・ワンのいる所まで無傷で辿り着くことが条件よ」

それまで璃緒はいっさい戦闘に参加しないこと。

ルシアがしっかり璃緒を守ること。

それが二人で救出に向かう条件だった。

「さすがだよ、紫苑ちゃん。伊達に、居住管理課で働いてるだけのことはあるよ」

プロの交渉人だね、と七瀬は微笑む。

お安い御用と紫苑は敬礼に近い挨拶で手を額に当てる。

「慣れですよ。これに比べたら、毎日異星人のトラブルに巻き込まれてる方がずっと…」

「なら、とっとと転移装置で待機してろ」

水を差すように秋葉原は自前の端末をデスクに広げた。

「夏目とアンドロイドの小娘が転移した場所の座標が特定できればいい。七瀬、人工龍の電子頭脳にあるIPアドレスは記録してあるな」

メールの送信源を突き止めるのと同じ要領である。

七瀬はアドレスを秋葉原の端末に送った。

「これなら転送先の座標が特定できる。地球地図から緯度と経度を…」

「ありがとうございます」

ルシアは紫苑に頭を下げた。

彼女が口添えしなければ、行かせてもらえなかったからだ。

「あなたは責めないのですね。私は二人を助けられなかった。あの場にいながら」

「ウルがログを見せてくれたわ。助けようとしたでしょ?」

見開く青緑の瞳を柔らかい笑みが受けとめる。

「兄さんはあなたを傷つけようとしなかった。アンバー博士にはお世話になったからよ。私は会ったことないけど…博士の話をしてる時、兄さんってば大人げないの」

ぽかんと口まで小さく開いた様子を見て、紫苑は頷いた。

それから、璃緒に向き直る。

「ルシアさんなら大丈夫よ。きっとあなた達を守ってくれる」

「だと、いいけど」

なるべく、ルシアの方を見ないようにした。

初めて会った時から。

きっと、金の前髪越しに映る湖水の瞳がそうさせるのだ。

彼らの産みと育ての親だった、かつての主を彷彿とさせるから。

「兄さんと瑠禰のこと、お願いね」

「それはもちろん分かってるよ」

「おいおい、これは…」

呻くように漏らした声に、七瀬も端末を覗き込む。

「どういうことですか、秋葉原博士」

「見てのとおりだ。私はてっきり…」

ただ事ではない。

全員がブラウザに広がる転送先の風景を視界に入れた。

そこから広がる表情はいずれも同じ感情を共有していた。

ただ一人。

「ここは」

湖水が氾濫するように。

ルシアの瞳は揺れ動いた。

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