40話 人工龍
床に亀裂が入った。
奇怪な模様が広がると、割れ目からタイルが陥没し、あるいは隆起した。
『おそよう。もう夜だぜ』
バックステップした二人は出方を待つ。
目の前には星の守護者が顔を見せていた。
鎌首をもたげた姿勢で。
鱗に覆われた長い肢体は動きに合わせて、しなやかに伸びる。
萎びたように閉じられた翼は小さく、どちらかというと飾りけのない体のわずかな装飾のよう。
しかし、極めつけの飾りは頭の角に他ならない。
山羊や節足動物の角ではない、蜥蜴の頭…まごうことなき
表面の組織構成こそ生物の繊維だ。
しかしその中身はこれまで遭遇した機械獣と変わらない。
「今なら…ウィルスに犯されているから分かります。わずかに放つ信号…生物特有のノイズが混じっています」
「アンバー博士はお前達の精神をアンドロイドの電子頭脳に移した。ロボット工学以外にも生命工学に通じていたからだ」
『けど、いくらなんでも異形まで
機械化した異形。
それこそが、ずっと瑠禰達が呼び求めていた
今や伝達されたメッセージは文字化けに近い。
意識が機械と獣と混濁しているのだ。
「体をただの器と思わないことだ。形にはそれなりの意味がある。器を取り上げられた者は、別の器に沿った形に変化する。人は人。異形は異形、という具合に」
「先生、下がっていてください。この子は私が」
一歩前に踏み出そうとする瑠禰の肩に手を置いた。
「邪魔はしない。だが、俺も俺のやりたいようにやる」
掌から派生した黒い煤とノイズ。
長柄の杖に反り返った刃…大鎌が飛び出した。
それを馴染みのある相手の手に持たせてやる。
「屋外と勝手が違う。動かし方を調整しろ」
そうして自分は両足を自然体から構えになるよう開く。
本物の龍はたった一体で戦艦を一度に十は喰らうと聞いた。
それでも蘇芳は退かない。
異形は殺す。
足元から黒い煤が散った。
消え失せると、代わりに漆黒の装甲で血管めいたラインが蠢く。
赤く輝く瞳は歩くたびに軌跡を描く。
両の手には両刃と長柄の得物が握られている。
「始めるか」
鎌首をもたげた機械の異形は瞳孔を縦に伸ばした。
唸り声の中に少女を呼ぶ声はない。
それで充分だった。
戦う理由など。
細長い肢体が床を離れる。
次に、機械仕掛けの騎士…ブラックスミスが立っていた床。
亀裂をなぞって瓦解した。
地球に伝わる龍の逸話はこうだ。
古今東西いずれにおいても、形状は蛇に酷似しており、細長い肢体は鱗に覆われ、長い髭と翼、角をあしらっているという。天空を自在に飛翔し、雷雲や嵐を呼び寄せるともいう。
神獣にして霊獣。
信仰の対象と同時に恐れられるべき脅威ともされている。
『あくまで地球での伝承だろ?』
蘇芳にはすでにこの龍の…龍の形をしたモノの正体は特定できていた。
実際は異形の蛇…蘇芳が地球の山間部で追い払った蛇人間と同じ眷属だ。
その『蛇』を媒介に生み出された合成生物。
欠損した箇所は機械で補った機械獣といったところだ。
通常、生物の翼は前足と同等に扱われている。
もし龍に翼があることが前提だとしたら、前足が生えるなどあり得ない。
「先生!」
細長い胴体が波打った。
床から離れた時点で、ブラックスミスもまた跳躍する。
ただし、龍は跳躍しない。
しなやかに捻りをきかせた体は天井へと、
(飛翔…飛行能力は内燃機関によるものか)
要は
天井に張り付くように浮かぶと、逸らした鎌首はわずかに一呼吸。
そして、
(来る)
開け放たれた
機械の仮面を通じて、チリチリと肌が焦げ付く様子を感じ取れた。
(防御、そして回避)
蘇芳はパワードスーツの体感温度を外気よりも下げた。
前回の異神戦とは真逆である。
「隠れていろ!」
瑠禰が射程距離に入らない巨大試験管の陰に走る姿を確認し、ブラックスミスは手にした両刃剣を振り回しながらホールの中を駆け抜けた。
得物を振り回して、薙いで威力を半減させる。
龍は隠れた瑠禰を追おうとしない。
ひたすら熱線を機械仕掛けの神に振りまいた。
熱もさることながら、ブレスの圧力にブラックスミスの手から両刃槍が弾かれそうになる。
柄を掴む指を握りしめ、ブラックスミスはひたすら火炎放射を避け、弾き、防ぎ、耐え抜いた。
(ブレスが止まった瞬間に懐へ潜り込む)
ブラックスミスはその時を待った。
あれが龍を忠実に再現しているなら、外皮は鱗に守られているはず。
無防備な腹ならダメージが有効だろうと推測した。
しかし、ブレスは一向に弱まる気配がない。
それどころか、炎の渦は威力をそのままに大きく近づいてくる。
(あちらも接近しながら攻撃か。では踏み潰される前に)
「まだです! 避けて!」
炎はまだやまない。
だが、それだけではなかった。
チリチリと空間に亀裂じみたノイズが走る。
それは火花を伴い、帯電していく。
(あれは)
咆哮による摩擦がもたらすもの。
それは、
「雷だ、打ち消せ!」
巨大試験管に隠れるアンドロイドの弟子に指示を出す。
かつて人の肉体だった魔女は、今や失われた詠唱を紡ぐ。
握られた大鎌は呪杖の如く天に掲げられた。
龍が天から落とす雷電。
対して、地上から打ち上げられるは絡繰人形の呼ぶ稲妻。
人ならざる存在同士の力は宙空でぶつかり合い、混ざり合い、互いに弾け飛んだ。
天井へと重力に逆らって叩きつけられる龍の模倣兵器。
壁に吹き飛ばされる瑠禰をブラックスミスは受け止めた。
床を機械の踵が擦り、ノックバックの距離だけ軌跡が生まれた。
「たいした威力だ」
強いスペクトルが眼球に刻み付けられる前に、
おかげで、龍が落下する場所を特定でき、衝突を避けることができた。
天井に叩きつけられたうえに落下。
しかしかの人工龍は鎌首をもたげ、再び臨戦態勢の構えに出た。
(無傷ではない。だが、ノックダウンにも耐えたか)
ブラックスミスに表情はない。
しかし仮面の下で蘇芳の双眸は見開かれていた。
ただ単に人を襲うという衝動に理性はない。
だが、そこにはある種の感情が芽生えていた。
襲撃者に対する怒りである。
(体表は黒焦げ。ダメージは肉に達していない。せめてもの救いは翼を使えなくしたことくらいか)
床にうずくまる瑠禰を見下ろした。
大鎌は手から離れていない。
しかし魔術の効果を高めるため、術者ながらも前に出たのだ。
その分反動も大きい。
「ここから先は近接戦闘だ。お前は下がれ」
膂力はブラックスミスと同格か、もしくはそれ以上。
しかし耐久力には逆に差があった。
分析はできている。
だが、
「最後のとどめは…私にやらせてください」
瑠禰は大鎌に寄りかかりながら立ち上がる。
「ファフナー…あの子の件は私の責任です。あの人を安らかにしてあげたいんです」
あの子、といまだに呼ぶ。
(あの時もそうだったな)
だが、生体兵器に組み込まれた電子頭脳に人間時の理性や感情、記憶が完璧に残っているかどうか。
ましてやあれは
じっと見つめる瞳は深海をガラス玉に閉じ込めたようだ。
そこには強い願いが込められている。
しかし、蘇芳の腹は決まっていた。
「異形を殺すのは俺の仕事だ」
それに、とブラックスミスは背を向けたまま言い捨てた。
「家族と思って過ごしたんだろう。別れを殺し合いにするな」
小さく息を飲む声が聞こえた。
それ以上に言葉のやり取りは不要。
目の前の敵に集中させてもらう。
理由や目的がなんであれ、アンバー博士は異形の力を利用した。
間違いなく、ルクレシア=ネーベルングは魔女だった。
機構の者として、
瑠禰に魔術を教えた理由。
ルシアをネーベルングの異神から守るためだった。
璃緒を育てた理由。
自分が死んだ後も瑠禰が寂しくならないようにするため。
ファフナーを生み出した理由。
双子を守るため。
だが、どうした。
アンバー博士は最高の先生だった。
ゆえに、
「見事だ」
折れて散った両刃剣。
たちまち煤とノイズが集まり、右手に手甲剣、左手に拳鍔を宿した。
さらに両脚には蹴りの威力を増大させる具足を備えている。
グルゥ、と
「俺を殺したいか? それは無理な話だ」
神の外殻を纏った人間は呆れたように呟き、両手を構えた。
「俺がお前を殺す」
爬虫類の瞳で瞳孔が縦にしぼられ、しなやかな肢体がうねり、頭が跳ねた。
ブラックスミスの立っていた床に亀裂が入った。
跳躍しなければ、たちまち龍の口に収まったいたに違いない。
ブラックスミスは背後に回り込んだ。巨大な敵と対峙した時の有効方法。
それは、
『
死角に入ることだ。
尻尾すれすれに滑り込む。
そこは鱗が最も薄く覆われており、ダメージは極めて高く与えられる。
『竜頭蛇尾、な』
太古の昔。
まだ人類が生み落とされる前のこと。
代表例がある。
地球の蛇だ。
蛇は旧支配者の一柱が自身の故郷を思い出すために地球に持ち込んだ種だ。
つまるところ、蛇とは本来地球の土着生物にあらず。
蘇芳が先日地球の洞窟にて発砲した蛇人間達はかの蛇神の末裔。
蛇を生み出した神自体は人間に対して敵意も悪意もない。
しかし眷属や落とし子が人類に危害を加えようと加えまいと関心はない。
他の異神達もこれに同じ。
(所詮は模倣兵器。いや、肉片を再利用しただけで作り物ですらない。神の紛い物どころではない。真の蛇どころか、眷属にすら届かなかった作り物…龍になれなかった蛇だ)
ときおり、龍はブラックスミスの攻撃地点を察知、身を翻してのしかかろうとする。
その度にブラックスミスは攻撃を中断して回避、再び背後に回り込んで打撃を続行した。
目的は徐々に鱗を剥がしていくこと。
当然、強固な装飾だ。
龍のダメージと並行して、両刃槍の先端も脆く擦り減っていく。
しかし、龍が体勢を変えて反撃してこない限り、ブラックスミスの攻撃は終わらない。
なぜか。
(…修復、している)
床に腰を下ろしたまま、瑠禰の目が龍と神の戦いから背けられない。
ガラス玉の瞳に隠された視覚センサーは、黒き創造者の得物を捉えている。
よく見れば、黒い煤のような塵が両刃の先端から宙に昇っている。
それもすぐ再び宙から降り注ぎ、再び刃の切っ先に戻っていく。
(やはり…擦り減った箇所のみ、炭素結合で修復している。それも、敵に気づかせないほど早いペースで)
打撃と修復。
攻撃と回避。
科学者にして破壊者の異星人は、それらの所業をほぼ同時に行う。
執念ともいうべきか。
黒く染めあげられた肢体を伸びる、血管めいたラインは脈打ち、金色の瞳は縦に輝きを伸ばす。
両刃と並行し、削り取られていく鱗。
血飛沫は壁と床に撒き散らされる。
降り注いだ先で、ジュラルミン素材が血の毒と熱で煙を吹く。
ダメージが増すたびに、龍の動きは鈍くなっていく。
ついに、
(終わりだ)
ブラックスミスは背後に回り込むことをやめた。
代わりに滑り込んだ先は、鱗が一切覆われていない懐。
(やはりな)
蛇の心臓は頭に近い箇所にある。
生活する場所が木の上か、草原か、水の中かによって異なる。
木の上の場合、頭を上にするため、心臓は血液を上に押し上げなければならない。
水中だと、水の浮力が血液を押し上げるのを手伝うため、心臓は頭から三分の一離れた箇所に。
草原の場合は双方の中間地点だ。
そして、龍。
(飛行と遊泳をいずれもこなすとしたら、心臓の位置は草原の蛇に近い。ならば)
跳躍した直後、手にしていた長柄の得物は消え失せた。
無防備だと見なした蛇神の模造兵器。
最後の悪あがきに転じた。
のしかかりをやめ、鎌首だけ断頭台の刃めいて振り下ろす。
敵対者を喰らわんと顎門が落ち、鉄錆と酸を含んだ牙が剥き出す。
咀嚼し、消化し、残滓だけの骸に、
「無駄だ」
龍の瞳が見開かれる。
それは獲物にありつく歓喜でも、刃を向けられた憎悪でもない。
かのオリジナルが青い星に生み落とした眷属にも伝わった、衝動的な感情。
「言ったはずだ」
その似姿に、機械仕掛けの神はもう一度言う。
「ファフナー、お前は俺が殺す」
抹殺対象と認識したからこそ。
蘇芳は双子の家族を呼んだ。
(ルネ)
舌足らずな声。
日差しが差すように温もりのある声を聞いたのか、短い足を忙しなく動かし駆けて行く子ども。
抱きしめるのは、黒縁眼鏡と長い金髪の女性。
(ありがとうね)
びっしりと広がり走るフロアの亀裂。
宙に飛び散る瓦礫。
その間に落ちていく鎌首。
瞳に光はない。
「先生」
ただ、喉元から掠れる声。
苦悶の代わりに浮かんだ感情。
ふっと細めた目はやがて閉じられた。
床に沈みゆく龍。
白い体表が焦げる様は、萎れて散った花びらに等しい。
その姿から瑠禰はけっして目を逸らさない。
「…おやすみなさい、ファフナー」
瑠禰は座り込み、開け放たれた白龍のまぶたを下ろした。
「今度こそ、あなたを救う方法を見つけてみせます」
『目標、活動停止。ウィルスの死亡確認だ』
龍の目蓋が下りる様を見届けた後。
緊張が解けたブラックスミスの機体はその場に崩れ落ちた。
黒く染まった装甲は消え失せ、外れた黒いフードから蒼白な顔が覗く。
駆け寄った瑠禰を手で制し、蘇芳は軽く息を吐いた。
「さすがは最強の生物種だな」
なにしろ一度に戦艦を数隻破壊できる
それも、
それが僅かな一部だとしとも、雑魚の落とし子どもとは格が違う。
「見せてください」
致死レベルでなければ内臓された医薬品で手当てはされる。
蘇芳の場合は能力…『
一度に複数の異なる武器を錬成した。そのためリバウンドで体に負荷がかかったのだろう。
瑠禰は蘇芳の胸に手をかざした。
「擦り傷と打撲が複数ですね」
壊れた彫刻のように床に横たわる生体兵器と治療に専念するアンドロイドを見比べる。
カタン、と何かの機構が開く音。
それは物言わぬ機械仕掛けの龍から地下室一帯に響いた。
「今の音は」
呟く瑠禰の声は床に広がる輝きに奪われた。
水面を張ったように浮かぶ紋様。
見覚えがありすぎるそれは、
(転移装置が…この龍に?)
「蘇芳さん! 瑠禰!」
顔を上げた先、白い姫君が息を切らして階段から身を乗り出していた。
表情は定かではない。
いかなる感情ともとれない表情に顔が支配されていた。
「急いでここから…」
蘇芳はその先を聞かなかった。
瑠禰の足が水面に吸い込まれたからだ。
手を伸ばした直後、蘇芳は重力の縛りを失った。
さざ波を立てた床が二人を足腰から飲み込んでいく。
紋様は地を這うように広がり、二人を囲む。
青白い光は二人を包み、わずかな粒子を残して蒸発させた。
後に残されたのは、石のように冷たくなった機械生命体と立ち尽くす甲冑ドレスの姫君のみ。
石を敷き詰めてできたような冷たい床の感覚。
だが惑星スカイの屋敷より風化しており、どこか黴臭い。
(そのうえ葉巻の…まさか)
「先生!」
瑠禰の声で我に帰った。
フードを下ろし、顔を上げた蘇芳は見たことのない風景に声を失った。
出発時には目にしなかった光景だ。
燭台の灯りが浮かぶ空間。
蘇芳と同じように暗色のフードを被った一団。
そして、フードで隠された顔があるべき箇所に記された紋章。
(聞くまでもない)
蘇芳は知っていた。
声すら聞き覚えがありすぎる。
「星間治安維持機構科学技術学院外宇宙調査団地球支局所属、及び防衛作戦部戦術予備役の夏目蘇芳少佐殿。お待ちしておりました」
艶のある低い男声がいい終わらないうちに、蘇芳は瑠禰だけでも逃がそうと手を引いた。
その前に床を再び紋様が走る。
そこから伸びた無数の網が瑠禰を拘束した。
手を伸ばした蘇芳は、味わうことのない感覚に目を見開いた。
刃物や銃弾、熱、冷気、電撃すら通さない耐衝撃繊維のフェイクレザー。
その装束に覆われた肉体を神経から刺激が伝う。
爪から末端神経へ。
全身を走る衝撃に加え、体力がまだ回復していないこともあり、その場に崩れ落ちた。
頭上から瑠禰の声が聞こえてくるが、言葉は不明瞭だ。
だが、後からその場に現れた人物の言葉は鼓膜に刻まれた。
「しかたあるまい。用が済むまで滞在願おう」
まぶたが閉じられる前に、巌のような体躯が視界に入ったのを最後に意識は闇に沈んだ。
北の巨人、レナード=ネーベルングだった。
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