39話 『琥珀』の秘密

ファフナーの暴走に伴い、中庭に通じる厨房を中心に屋敷は半壊した。

『なのに玄関から出入りか。律儀だな、お前って』

扉は容易く開いた。

惑星の防衛システムが戻り、惑星の主人となった男の出現に反応したのか。

鍵は不要だった。

「そのくせウィルスの侵入は防げなかったのですね」

呆れたようにルシアは呟くが、蘇芳は気にも留めない。

「一応母親の住処だ。今のうち見学しておいて損はないと思うが」

渡されたペンライトを回しながら、ルシアは玄関から二階を貫くように伸びる階段を見つける。

「俺は一階から下を見てくる。瑠禰を見つけたら知らせろ」

「まだあなたのアドレスを知らないのですが」

肩をすくめ、蘇芳は腕時計型端末に浮かんだ文字と数字の並びを見せる。

「私のアドレスも送りますね」

「用が済んだら削除する」

「では、私は残しておきます」

「必要ない」

「おおいにあります。以前あなたから拝借したメスを返してませんから。返す時に連絡が必要でしょう?」

では、と会釈を残して深草色のローブが二階に上がっていく。

『そいつはとっときな。距離がもっと遠くなったら必要になるぜ』

フードを下ろすと、腕時計のライトをオンにして厨房を目指した。

学院アカデミーを離れたとはいえルクレシア=ネーベルングは科学者だ。そして)

遺跡さながらに瓦礫が積み上げられ、中庭と区別がつかなくなった廃墟の一角。

シャンデリアが大皿の如く占領した、食堂のテーブル。

『三人で食事するには大きすぎだろ』

ゆえに、蘇芳は食卓に手をかけた。

(火の元と水場に近く、加えて換気がしやすい。この屋敷で最も電力を消費しやすく、供給も行き届く)

あらゆる温度変化や電気、化学物質を透過させないフェイクレザーの手袋。

いかなる身体強化機能などされていない掌が閉じられ、指の関節がきつく締められる。

一呼吸。

ひゅっと口笛を吹くように、小さく開いた口から息が吐き出される。

肘が宙に浮き、つれられて食卓の脚が床から離れた。

天井に届きそうな程に舞い、不時着したテーブルは床に転がされた。

『一本、と』

厨房を漁り、掌に収まる紙の小箱を見つけると、中から先端の赤い一本を取り出して壁に擦るように走らせた。

火花を散らして灯る、橙色の揺らぎ。

隙間風に消されないよう、直接触れないようにそっと包み込みながら床に近づけた。

持ち手の反対側で守っているはずが、マッチの炎は細長く歪んだ。

『ビンゴだぜ』

学生時代に受けた科学史の講義だ。

アルキメデスという科学者の話だ。

『けど、さすがのお前も自分とこの厨房で異形を解剖したことはねえよな』

「衛生上の問題だ」

『いや、そういう問題じゃねえよ』

明かりを向け、ステップの幅と高さを確認すると、蘇芳は一定の間隔に従って地下に続く階段を降りて行った。





階段が途絶えた先。

それは石を積んでできた空間だ。

どこか時を遡った感覚に陥る。

それでいて近代的かつ儀礼的。

『地球の西側みてえだな。中世かその終わりってとこか』

壁の燭台が近づくと灯る。

(感知式…二酸化炭素を感知すると酸素が放出されて引火する仕組みだろう。惑星探査で用いられる発火装置の室内型か)

だが内装に合わない機構の意匠は他にもあった。

『見ろよ。まだ残ってるぜ』

飲食店の什器を彷彿とさせる机。

その上に積まれた書物の山。

壁からは蛇口が飛び出し、洗面台のために取り付けたらしい白いボウルには無色透明の筒が形も様々にひしめき合う。

そして棚に陳列するガラス瓶に満たされた液体ないし固形物。

そして、明かりがなければ壁と同じ模様の背表紙に気づくこともなかった。

『どこからどうみても立派な工房アトリエ…いや、研究室ラボだな』

「ああ、だが違う」

蘇芳は確信する。

少なくとも、これはアンバー博士のために設けられた研究室ではない。

『見ろよ、本星だぜ』

ウルが示す方向。

壁にかけられた肖像画。

佇む長い金髪の中、翡翠色の瞳に笑みを浮かべた女性。

彼女を見上げるのは、

『よう、ひさしぶりじゃねえか』

金の三つ編みと和装の少女は振り向いた。

瑠禰が確認した声の人物は、主人となった男の相方だった。

今の主人、夏目蘇芳である。

学院アカデミーから地球に派遣された機構の科学者。

機神マキナブラックスミスを操る異星人殺し。

瑠禰は応えず、今度は別の絵画を見上げた。

壁面にはレリーフりの絵画が描かれていた。

長い胴体に蜥蜴とかげの首をもた

げ、蝙蝠こうもりの翼をひれのようになびかせる。

地球では神や悪魔の化身とされた架空の獣…ドラゴンだ。

『ド迫力だな』

蘇芳はその様子を観察する。

この手の骨格を持つ生物は通常存在しない。

翼が胴体に比例していない限り体を浮かすことができないからだ。

そのドラゴンと対峙しているのは甲冑に身を包んだ騎士だ。

向かい合う二者に囲まれて煌くのは黄金の指輪。

さらに背景には巨人が両手を伸ばし、三角帽子を目深に被った隻眼の老人が馬車を御し、優雅に一礼する青年や太陽を追いかける二匹の狼などが描かれて、その頭上には満天の星空に届かんばかりの大樹が。

「北欧神話か。百貨店の展示を思い出すな」

「夏目先生。貴方は嘘をつくのが得意ですか?」

唐突な質問だった。

蘇芳は瑠禰の横顔を見る。

そして、

「程度による」

「そうですか」

「俺からも聞きたい。これは質問ではなく確認だが…いつから気づいていた? アンバー博士の目的に」

きょとんと開いた丸い目。

ひさしぶりに機械仕掛けの使用人を外見相応に見ることができた。

肩をすくめて観念したように語る。

「本人の口から聞きました。初めて私に魔術を教えていただいた日に」

『すまん。誰か分かるように説明してやってくれ』

フラスコやら書物やらがうず高く積まれたテーブル。

そばの椅子に腰かけたのか、蘇芳の声からは緊迫感が和らいでいた。

「魔術と科学。ネーベルングは二つの技術で繁栄を極めた。だが時を重ねるごとにその力は薄れていった。弱まったのではない。同じ親から持つ者と持たざる者が生まれるようになった」

力。

魔術の素養である。

ルクレシアは使える。

ルシアは使えない。

「古い一族というものは、血を重視する。嫁や婿養子、外孫は論外だ。ゆえに、娘しか生まれなかったレナードは危惧した。ネーベルングの血とルクレシアの力を継ぐ者を欲していたからだ」

蘇芳の視線は今し方彼が辿ってきた地下への階段に注がれる。

「彼女もここに?」

ああと正直に答える。

「魔術が使えない以上、ルシアさんの使い道は暗殺以外にあり得ません。そのことにアンバー博士は嘆いておられました。最悪の場合、博士が肉体を欠損した時の代替品に利用される恐れがあったからです」

「救世主兄弟、か。技術が未発達の地域でありがちな倫理の問題だな」

救世主兄弟。

万一兄や姉の身に異常が起これば、スペアとして臓器などを提供できるように産み落とされた子どもである。

機構では倫理の観点と、医学的に問題がないとは言い切れないことから禁止されている。

「だからこそ、アンバー博士はこの地に身を隠したのです。機構にいる限り、あの人がルシアさんを傷つけずにすむ。そうお考えでした」

「傷つけずに、か」

蘇芳はそれ以上言わなかった。

ウルは指摘しなかった。

『アンバー博士が地球を出てった理由は分かった。けど瑠禰は? 魔術が使えることとどう関係ある?』

「それは俺の口から説明する」

瑠禰のおっとりした話し方が蘇芳は嫌いではない。

時と場合によっては和む時がある。

しかし今はあまり猶予がないのだ。

少なくとも、地下深く横たわる龍の眠りが浅ければ。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



倒壊していない棟の二階。

そこはルシアが生まれ育った屋敷の原風景と共通していた。

木目が濃い色調の手すりやドアノブ。

ドレープのカーテンや羊毛のソファ。

巻貝を象った脚に支えられた天蓋付きのベッドは彼女が使っていた物と同じデザインである。

「あたかも私と暮らしていた時と瓜二つですね」

パサ、と持ち上げた毛布をベッドに戻した。

ネーベルングを去ってどこで何をしていたかと思えば。

「本当に、あの人は」

本当に、母は。

本当に、母は、

『知りたくはないのか』

異星の男は問う。

科学者で、異形殺しで、母の師弟。

(ずっと前から母さんと一緒だったような口ぶりですね)

あの男に何が分かるというのか。

ルシアにとって、母は謎めいた存在だった。

物心つく前に親はすでになく、許婚レナードと彼の両親が世話したという。

彼女の才能を愛したからだ。

本来なら魔術の行使に必要な詠唱や魔法陣、小道具も使わずに火を起こし、風を呼び、空を動かせたという。

異星の神に擬態できたともいう。

(魔術の師は異星の神だと噂されるくらいだもの)

加えて、科学に明るい。

彼女の前では無機物も有機物も関係なかった。

そんなルクレシアだからこそ、北の巨人と恐れられたネーベルングに見初められたのだ。

商会カンパニー』を束ねる父。

魔術と科学を一度に操る母。

だからこそ、ネーベルングは平穏を保てた。

彼らに力を与えた恐るべき存在を封じ込めておくことができたのだ。

(でも、それも終わりね)

イタカが斃れた直後。

どこにいるとも知れない父から連絡があったのだ。

時間はもうない、と。

アンドロイドに人工龍のウィルスを揺さぶるよう仕向ける。

そうすれば引き剥がせるだろう。

ルクレシアの最後の弟子が鍵だ。

『魔女にできることは魔女にしかできない。お前にできることはただ一つ。機械仕掛けの魔女を連れてこい』

うまくいけば、人工龍に仕掛けたが機能する。

放っておけば夏目蘇芳の注意を引けるだろう。

(この屋敷の作りは私の生家に似ている。だとしたら、今頃彼らは地下に)



ふと、文机の写真立てが目に留まる。

そこで微笑む三人には見覚えがある。

長い金髪の少女と短い銀髪の少年。

間は挟まれる長い金髪の女性。

その背後に寝そべる人工龍。

撮られた場所は湖の近くだ。

白い木肌の枝が薄らと伸びる。

(本当にそっくり)

母娘二人だけで住んでいた湖畔に。

キノコや木の実を摘んだ白樺林。

収穫物をお裾分けした森の主。

夏目の屋敷でなぜあの光景を夢に見たのか。

なぜあの光景が双子と撮った写真に写っているのか。

「最後だった」

二人で過ごした最後の日だった。

森の主が姿を見せた理由。

ルクレシアと

(別れを告げるために)

あのまま時が止まってしまえばよかったのに。

わざわざ世界中を駆けずり回らなくてすんだというのに。

『なぜ出て行ったのか、知りたくはないか』

「失礼ですね」

毛布が震えた。

白いドレスの裾に合わせて。

「そんなの、本当は気づいてたのに」

写真立てを両の手に握り締められている。

何もかも、ルシアと過ごした世界そのもの。

娘のいない世界で、娘のいない現実に囲まれたまま。

天井に顔を向ける。

湖水を浮かべたような瞳をまぶたが包み隠す。

風化したはずの記憶、『最後の一日』を思い起こそうと。





振動。

踵が傾き、膝が笑うようにバランスを失う。

写真立てを抱えたまま、ルシアはベッドに身を預けて転倒を防いだ。

(この感じは…)



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「ルシアさんの言うとおり、ネーベルングは混血です」

瑠禰は革張りの手帳を蘇芳に手渡した。

「星が冬眠状態コールド・スリープに入ってよかった。あなたに見せるまで持ち出される危険がありましたから」

『そのためとはいえ、警備システムの首を落とすのはやりすぎだったけどよ』

小さく鳴らした鼻息が黙らせた。

「ネーベルングは中世に入る前から医薬学と異端審問を中心に力を伸ばしました。それは彼らが知能と身体で優れていたため。そして」

「巨人の起源か」

頷くと、金の三つ編みが揺れた。

背後の鎌首は震えた。

「名称は機構が定めた物ではありません。そもそも機構のデータベースに載っている存在と同一かどうかも確固たる証拠はありません。いずれにせよ、アンバー博士…ネーベルングの魔女だけがそれを抑えることができたのです」

『抑えながら、力を搾取したってことか。同情するぜ、古き《オールド》異形・ワンじゃなけりゃな』

蘇芳は目をすがめた。

立派な角飾りの下で震える目蓋。

覚醒は近い。

「あの龍は副産物か?」

「遺伝情報は同じです。そこに理性を与えるべく、アンバー博士は機械の体を強制拘束として授けました」

「ウィルスに犯されたのは機械の電子頭脳ではない」

蘇芳の右手が上がる。

黒衣の袖からはより暗い刃が露わに。

対する龍の似姿。

目蓋の奥に明かりが灯る。







血走った瞳孔だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る