38話 嫌悪と敬意
霧に濃い闇が混じっていく。
宙の星が霞む夜の下、金の髪と白い夜会服だけが眩しい。
前髪越しに覗く湖水の瞳と白皙の肌に、今度は夜霧の方が霞んでいく。
なにより翡翠色の視線が強く蘇芳を捉えている。
離そうとしない。
「あなたは人に害なす異星人なら躊躇わずに殺します。しかし私を殺そうとしなかった。地球人だから、魔術師ではないから、アンバー博士の娘だからと。ですが…古き異形なら話は別のはずです」
湖水色の瞳。
それが今、青白く発光する。
「ネーベルングは地球由来の種族ではありません。この星に降り立った時点で、私の開祖は古き異形と契約を結び、地球でも最も古い魔法使いの一人になりました。その間に生まれたモノもまた古き異形。そしてそこから交配を重ねた末に生まれたのがルクレシア…あなた達がアンバー博士と呼ぶ女性の正体はそれです」
蘇芳は聞いていた。
魔法。
それすなわち、科学では到底及ばない技術のこと。
魔法が使える時点で人間をやめていると言われるほど、魔法は人外の所業である。
古き異形の旧支配者達が時空から切り離された存在であるのと同様に。
「母は数え切れないほどその手を同胞の血で汚してきました。あなたに手傷を負わせた私以上にね」
鈍い銀の爪先が距離を狭める。
両の手は見えない。
深草色のローブに遮られているため、空の手かどうか。
だが視線だけでも気迫はある。
初めて対峙した公園の夜を思い出す。
あの日の方が今より穏やかな態度ではあったが。
(慎重に答えた方がいいぜ)
蘇芳にのみチャット機能を通してウルは忠告した。
むしろ、警告だろう。
(返答次第じゃ、あの夜の続きが再開だぜ。誤魔化さずに、それでいて相手の神経を和らげるように喋れ)
ゆえに、蘇芳は言葉を選んだ。
「古き異形なら殺す。当然だ」
頭の中でつんざく声を無視する。
「異形は異形だ。人の姿をしていようと殺す。人の意思があろうと関係ない。ロボットと同じだ。獅子と虎が同じ檻で共存できると思うか。無理な話だ」
青白い瞳が大きく見開かれ、瞳孔は猛禽類の如く縦に伸びる。
「いや、獅子と虎は極端な例だな。あえて言うなら…虎と虎か」
僅か。
ほんの僅かに、瞳の発光が揺らいだ。
「俺からも質問がある。なぜ地球から戦争がなくならない。同じ人間同士だろう。なぜ戦う必要がある」
固く結ばれていた唇に亀裂が入り、飲み損なったように小さく開く。
「宗教、民族、政治的な思惑…要は『合わないから』、だろう。人間同士であのザマだ。自分達と異なる存在を受け入れるなど到底不可能だ。異形から見た人間もそんな所だろう」
もっとも、と蘇芳は嘲るように小さく息を漏らした。
「連中の価値観や主義主張を人間の尺度に当てはめること自体無理な話だがな」
「なにを」
薄い唇は絞り出すように呟く。
ルシアには理解不能なのだろう。
「君の母はな、
人間の意識をアンドロイドの電子頭脳に組み込み、さらには人間の意識を電脳空間にダイブさせる技術を生み出せたのも、彼が最高の研究環境を用意したおかげでもある。
後に惑星鉱石学科の学部長に推薦したのと他ならぬ秋葉原だった。
「娘として感謝すべきですね。その方の協力があったからこそ、母は機構で安定した生活と名声を得られたのですから」
「ああ。そして、そんな彼にとって俺は嫌われ者だった」
冷たく整った白皙の顔。
金の筋を引いたような眉が微かに傾いた。
「嫌われ者?」
「秋葉原博士は君の母親以上に優れたロボットを発明、開発してきた。無人戦闘機や遠隔操作産業機など」
古き異形を討伐すべく、地球の超古代文明から人類が宇宙に到達して千年。
そこから機構が発足して千年。
その間に宇宙艇、量子コンピュータ、光速航行、惑星間転移、全身義体など今の地球の数百年先をいく技術が発明された。
しかしロボットの開発が目まぐるしく進んだのは直近の数十年であり、そのいずれも一重に秋葉原白夜によるものだった。
「そんな御仁がどうして?」
「単なる嗜好の問題だ。秋葉原博士はロボットをはじめとする軍事兵器の開発にかけては優秀だ。だが、彼個人は
ルシアの開いた口からは声が出ない。
「パワードスーツなどロボットではなく、ただの着ぐるみだ。人間のように喋ったり考えたりする存在は人間だけでたくさんだ。理由はそんなところだ」
「…それならなぜ」
「国益と同じだ」
口元の霧が揺らいだ。
真冬の凍った吐息のように出される溜め息。
興醒めした響きが込められていた。
「利用価値、ですか」
無理もないと蘇芳は納得する。
アンバー博士の研究を後盾していた理由は機構の利益に繋がると見込んでいたからだ。
人間のアンドロイド化は擬似的な不老不死。
科学の力では実現不可能な魔法、『永遠の命』、あるいは『死者の蘇生』に近づける。
それができれば機構にとって有益な人間を永遠に生かしておき、遥か未来に来たるべき旧支配者達との最終戦争に投入できるだろう。
(
どうでもいいことだった。
少なくとも、あと半世紀未満しか生きられないであろう自分にとって。
「ロボット工学科の人間でもない俺が
「地球にいながらあなたが
頷くのが分かって、冷め切った目が半眼開きに見上げる。
「捕捉すると、彼が今の惑星鉱石学科の学部長だ」
「母が辞めたばかりに、嫌いな人の下で働かされる羽目になりましたね」
ご愁傷様です、と通夜のように目を伏せて頭を下げられた。
仕草こそ優雅だが、頭を下げられた側としては一抹の空虚が残る。
「ストレスが溜まりませんか?」
「どうせ地球で過ごす時間の方が多い。君の母親の遺言執行のように、余程の事がない限り顔を合わせる機会はない。見かけても無視するだけだ。それに」
ここで蘇芳はいったん言葉を切った。
ここからだ。
「人としてはお互い気に入らないし、まともに親しく会話したこともない。これからもその予定はない。だが」
霧はまだ晴れない。
だが慣れてきたのか、ルシアの髪に煌く艶が眩しい。
それは弧を描き、昼間に見た百貨店の
月下の湖に舞う剣の花嫁。
柔らかい光を浴びたように。
蘇芳は口を開いた。
「秋葉原博士とは反りが合わない。だが、尊敬はしている」
翡翠色の目、そして桜色の唇までもがその輪郭を丸く見開いた。
「尊敬って…あなた、今さっき」
「尊敬するしかない。彼がいなければロボットは普及しなかった。遺伝子操作されようと、サイバネで強化されようと広大な宇宙とあらゆる惑星において人類ができることは限られる。宇宙に生きる以上、人間にできないことを肩代わりできる存在は必要だ。秋葉原博士はそれを実現させた」
たとえ自作のロボットが自爆しようと、盗まれて悪用されようと、誤作動を起こして周辺な被害を出そうと。
秋葉原白夜は悲観しないし、絶望しない。
発明したロボットが戦争に使われるなら大歓迎だ。
無人惑星どころかコロニーを破壊、それがどうした。
失敗や犠牲に屈しない。
挫折に立ち止まってどうする。
秋葉原白夜はひたすら研究に打ち込む。
盲目的かつ猟奇的ともいえる向上心。
結果的に今も機構を支える科学者達のそれと同義だ。
「あれは科学者とか研究者なんてものではない。むしろ科学や研究の概念そのものだと思う。性格や言動に問題はあれど、
『お前もその一人だろうがよ』
幸い、ウルのセリフは蘇芳にしか聞こえていない。
だが、察した者はいる。
「嫌いでも憎む必要はない、ってことですか?」
「憎んだことはない。憎まれるに足る理由ならあるが」
その理由は過去に遡るので割愛した。
「俺が言いたいのは、身内同士でも争いは絶えない、そんな連中が異質な存在を受け入れられるか…といった話の事例だ」
「ええ、今の話をくだんのロボット博士が聞いたら間違いなく、『それはこっちのセリフだ』と言うでしょうね」
数百光年離れた格納庫にくしゃみの飛沫が広がったが、二人に届くはずもなかった。
「話は君の母親に戻るが…アンバー博士が異形の血を引いていることは今知った。だが、魔女だというのは薄々感づいていた。おそらく秋葉原博士と学院長は知っていたはずだ。だが、彼女を排斥しなかった」
「むしろ手元に置いた方が監視しやすいと見たのでしようね」
「それなら観察対象としてケージに入れておくこともできたはずだ」
再び瞳は青白く発光する。
だが、蘇芳は続けた。
「もう一度言うが、機構の目的は古き異形を殺すことだ。賢い女性がわざわざ敵中に飛び込むと思うか?」
「目的があったと?」
「君を置いて出て行かざるを得ないほどにな」
瞳から明かりは消えた。
代わりに別の光が宿る。
月明かりが浮き彫りにした、揺れる水面のように。
「アンバー博士はよく地球について語った。地球の環境、気候、特に雪だ。思い入れがあったのか?」
赤みを帯びた漆黒の瞳。
あり得ないはずの双眸がルシアに畳み掛けるように問う。
「ルクレシアは君や俺が殺すに値する存在だったのか」
顎に沿って切り揃えられた金の髪。
触れれば裂けそうな程鋭利に見える毛先が揺れた。
横に広がるように。
震わせた顔に浮かぶ表情。
負けん気の強い少女が意地を張る時に似ている。
「考えていんです」
聳え立つ屋敷の門に手をかけると、
「母が出て行ったのは私と関係があるのでは、と。私が魔術を使えないことと関係があるとしたら」
「さっきの質問の答えだが」
蘇芳は今度こそ正直に答えた。
「アンバー博士は優れた科学者だ。どれだけ長生きしていようと、恩師であることに変わりない」
「異形の血を引いているのに?」
「最後まで人として生きた。それが現実だ」
錆に強い合金素材の門から悲鳴のような音は聞こえない。
代わりに仄暗い頭上が短く光った。
遅れて伝わる轟きは血の底から響くように唸る。
「瑠禰とファフナーを回収するまで帰らないぞ」
「そのつもりです」
頷くと、二人は石畳を踏みしめた。
祭壇のように石を積み上げた空間。
その中央にうずくまるように座り込む小柄な肩。
髪留めのとれた金の髪は大地に豊かに広がる。
その面前に横たわるのは、鎌首を下ろした長い胴体。
立派な角飾りの下、何もなかった。
雷鳴が細長い瞳孔を開けるまでは。
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