37話 霧と廃墟の惑星

星屑の天井。

宇宙という闇に隙間を埋めるように集まり、離れ、浮かぶ灯火。

大気のない世界を隔てる高機能ガラスを通して映る光景だ。

そのガラスの内側で、ジュラルミン製を彷彿とさせるタイルや壁面に囲まれた空間こそ星間治安維持機構の中枢。

人口惑星コロニー型排他的経済水域特別自治管理区。

通称、コロニー自治区。

中でも、ここ宇宙科学技術学院アカデミーは機構管理下の下、全宇宙の自然科学における発見や発明のための研究が日夜続けられ、未来の研究者や技術者の育成が行われている。

いわば、宇宙の知識と技術の揺籠だ。

(ここが)

ルシアは初めて目にすることになる。

亡き母がいた世界。

父に連れられてコロニーに来たことはある。

だが学院アカデミーに関しては耳に入れる程度だった。

(ここであの人は)

「相変わらず静かだな」

夏目蘇芳は無人の通路越しに、宇宙港ターミナルへ視線を送る。

全くの無人というわけではなく、人はまばらに存在する。

ゆえに、会話が自然と耳に入ってくるのだ。

「…に比べて、波長の短いパルスを当てることで加速器はさらに高濃度のエレメント素粒子を循環させるはずだよ。これが成功すればいずれ…」

「ただいま、やっと惑星マノアの活火山観測所から帰ったとこだよ。子供達はどうしてる?」

「年末年始は予定空いてる? 親父がシナ星系の遊覧船を予約済みなんだ。よかったら、みんなも」

いずれも学院アカデミーの関係者だ。研究がメインの教授陣はもとより、設備や人事を管理する職員や学生もいる。

彼らは自分達の研究室に篭ってばかりではなく、むしろ他分野の研究施設や共同開発に取り組む企業や公的機関、外惑星にまで足を運ぶ。

だから、人が少なく、静かなのが当たり前なのだ。

「では転移装置の所まで行くか」

蘇芳に誘われ、星空の天井を下にルシアは歩きだすが、

(それにしても)

つい足を止めてしまう。

「どうした」

「どうしたもなにも…なんとかならないのですか、この格好」

蘇芳から『幻影ファントム歌姫・ディーヴァ』を取り戻せた。

当然、装束は白銀のプレートメイルとガントレットにグリーブ、そして花嫁を思わせる白いドレスだ。

しかし、実際の白い歌姫は首から踝にかけて苔生したような緑色である。

それもそのはず、今の彼女はフードのついたナイロンのローブを羽織っているのだ。

「装備品が目立ちすぎる。だからそいつを貸してやった」

「もう少しマシな物はなかったのですか?」

『コートだと袖を通しづらいだろうが。それに別におかしくねえぞ。星間気象情報だと、惑星スカイは朝から雨が降りっぱなしだとよ』

ゆえに蘇芳もまたフードのついたコートを羽織っている。

その下は、刃物や銃弾はおろか、熱や冷気、電流すらも通さないフェイクレザーのスタンドカラージャケットとスキニーだ。

「もちろん君に貸したローブも同じ効力を持つ。実用的だと思うが」

「ええ、感謝します。対魔術用でないのが残念ですが」

一言嫌味を付け加えるが、蘇芳には痛くも痒くもないらしい。

肩をすくめた時に出した溜め息には、わずかに笑みが溢れている。

ちっとも可笑しくないとばかりに、ルシアは聞こえよがしに皮肉った。

「惑星スカイには転移装置がないと聞いていたはずですが」

『ああ、そうだ。だから向こうから移動するのは無理』

耳たぶから響く男の甲高い声。

体内端末を持たないルシアのため、連絡が取り合えるよう蘇芳が貸したイヤリング型のマイク付きイヤフォン。

『けど、座標を特定できればこっちから一方通行で移動はできるんだよ。まあ、見てみな』

成人男性一人が入れそうな楕円状のリングが並ぶホール。

水面のように揺らいで映るそれは鏡の如し。

その中心に触れると、現れた画像は星間座標図。

コロニーや機構に加盟した惑星を結ぶ、無数の拠点が分布している。

その上に、現在地からの距離や方角を設定するオプション画面が現れる。

「惑星座標は2130、e16530…さらに拡大してn4648、w8304…」

手を離すと、リングの中心にさざ波が浮き立つ。

「レディ・ファーストがいいか?」

窺うように蘇芳は掌で装置を指し示す。

「イギリス人じゃあるまいし」

「そうか。俺はイギリスには行ったことがないが、不安なら先に行くとしよう」

しかし口を真一文字に結んだ白い殺人姫は肩をわずかに傾け(腰に下げた刀の柄に手をかけたか)、つかつかと歩み寄るとさざ波の立つゲートを潜り抜けた。

『あんまし、いじめんなよ。あれはお前の先生じゃないんだぜ』

主人の揶揄を含んだ笑みがたちまち消えた理由を察し、人工知能の相棒は黙りこくった。

再びさざ波が立つと、転移装置の前は無人と化した。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



光輪が途絶えると、視界が灰色にぼやける。

すぐそばに生える草や大地に埋め込まれた岩のみが浮かぶ。

あとは自身の黒い手足が確認できる程度だ。

『言い忘れてた。今日は霧が出てるんだっけ』

肩をすくめた蘇芳は目をすがめた。

あたかも雲海の中に降りたように、遠くの景色は定かでない。

かつては聳え立つ山脈のうねりを臨めたというのに。

かろうじて駒鳥こまどりさえずりが来客を知らせる鈴のように転がり響くのみ。

野兎や狐を目視できないゆえ、熱探知で狼や熊の位置を把握するしかあるまい。

「たしかに需要はありますね」

深草色のフードを下ろすと、ルシアは周囲にチラチラと視線をやる。

「アンドロイドの居場所は見当がつくのですか?」

「おそらくアンバー博士の屋敷だ。丘の上にある半壊した洋館のな」

この惑星に住居は一件しかない。

惑星を覆っていた光学結界バリアーが消えたため、星間衛星から送られた映像で位置情報も特定できた。

そこに行き着くまでの安全かつ最短のルートもウルが演算した。

あとは彼のナビゲートに従って進むまでだ。

『んじゃ、ぼちぼち進もうぜ』

自分が先頭を切るかのようにウルは一声かけるが、すでに二人の踵は低い草地から離れていた。




惑星スカイは比較的安全な惑星だ。

オールド異形・ワンがいないため、自生する動植物は汚染されていない。

しかし全ての生物が人畜無害というわけではない。

『枝から来るぜ』

銀の軌跡が霧を裂く。

倒れ落ちたのは、狒々ひひの一種。

長い爪と指は獲物を掴み取ろうと広げられたままだ。

『次、蘇芳。後ろの大木からな』

一陣の風に対し、上体を逸らしただけで回避。

猪もまた身軽に旋回して第二撃の当て身を狙う。

今度は掌でいなすと、右手の甲から飛び出した刃で一閃。

『お〜っ、ウッマそう!』

今にもよだれを垂らしそうな勢いでウルはヒヒヒと声を上げる。

『ジビエの季節だぜ』

「急いでいる」

『ちぇっ、もったいねえ』

最短かつ安全なルート。

同時に二つの条件を満たすことは難しい。

ゆえに、最短な道が最も安全とは限らないのだ。

だからこそ、二人は移動しながら応戦できる装備を選んだ。

蘇芳は暗器を。

ルシアは飛び道具を。

『二人とも息がぴったりじゃねえか。いっそこのままコンビを組むってのはどうよ?』

「不可能だ。実力は認めるが、この仕事にはそれなりの知識と経験が要る」

「右に同じ。私の専門は殺しだけです。お力にはなれないでしょう」

婉曲的だが、どちらも願い下げというわけだ。

やれやれと溜め息を漏らしながら、ウルは目的地に近づいていることを教えた。

『…さて。瑠禰の奴、二人乗り込んで来たと知りゃ、どういう反応に出ることやら』




地球時間でいうところの百年前。

十九世紀末のヴィクトリア朝だろう。

『あらためて見ると雰囲気出てるよな』

崩れていない門と正面玄関。

おそらく外構が最も強固なのだろう。

「ここが」

ついの棲家だ。君の母のな」

見上げる湖水色の瞳。

霧に浮かぶはずが、朝日を受けたように煌めいて見えた。

青緑の水を溜め込んで。

「初めて来た場所だ。そのわりには懐かしそうだな」

「ええ、だって」

蘇芳を見ようとしない。

「似てるんです、地球に。私と一緒にいた家に」

そうかと納得する。

二度と地球に戻るまいとしたネーベルングの魔女。

せめて終生暮らすことにした家に、娘との思い出を照らし合わせたのか。

ゆえに、疑問が残る。

なぜルシアを置いて出て行ったのか。

なぜ、瑠禰に魔術を教えたのか。

レナードが瑠禰を狙う理由と関係あるのか。

アンドロイド。

治癒の魔術。

異星人の義体。

「ルシア。アンバー博士は瑠禰に治癒の魔術を教えたことは知っているな」

屋敷を見上げながら頷く様を確認した。

「医歯薬学で大成したネーベルングにとって、治癒の魔術に需要はあったのか?」

「治癒の魔術は即効性において真価があります。普通なら一週間、一ヶ月かかる傷を長くて一時間未満で回復させるのですから」

ただ、とルシアは俯いた。

どこか憐憫が籠もった表情で。

「回復に時間をかけないということは、それだけ肉体の自己修復機能を活性化させるということ。そしてそれだけ術者には体力や気力の面で負担がかかるのです。実際、災害で運び込まれた村の患者全員を治癒した結果、そのまま寝込んで一週間眠り続けた記録も残っています」

どんな技術にもメリットとデメリットはある。

蘇芳は納得した。

この地球に一昔前に運用が始まったというバイオエタノールがそうだ。

生物バイオマスから得られる一方で、燃料となる生物を生かすだけのエネルギーが必要になる。

ひいては、原料となる作物の割合を食用から充てるべく、食料の価格高騰を引き起こしたという致命的な事例がある。

ゆえに、技術というものは実用化されるまでに長期的な目線で周囲に与えるリスクを予測しなくてはならない。

蘇芳が自らの技術『ブラック創造主スミス』をすぐに公表しなかった理由もそれにある。

「母には何人も弟子がいましたが、いずれも治癒の魔術を使いこなせませんでした。アンドロイドに教えたのは、彼女の方が人間より並外れた身体能力があるからでしょう」

思い起こすと納得できる。

蘇芳の傷を治した時も瑠禰は涼しい顔をしていた。

璃緒とこの星に住んでいた時も何気なく使い続けていたらしい。

『ってことは、お前のお袋さんは簡単に扱いこなせてたってわけか。やるねえ、地球人』

「お世辞はよしてください」

お世辞じゃねえよとウルは否定したが、ルシアの方も首を横に振った。

「母が魔術を使えたのは特別でもなんでもありません。ネーベルング族の末裔だからです」

「そういえば」

ここでウルの調べた情報を思い出し、蘇芳の中で疑問が再び浮上した。

「君の苗字…ネーベルングというのは人名ではなかったのか。元は民族名だと聞くが、ウルが見つけた文献以外にネーベルング族に関する記述は見つかっていない」

赤みを帯びた視線を受け、湖水を湛えた瞳はまぶたの裏に隠される。

それも一瞬のこと。

「ネーベルング族は実在しました。空より遥か高みにね」

すうっと瞳孔を細めてルシアは囁く。

「あなたこそ、真実を知る覚悟はありますか?」

ローブの裾から薄らとのぞく白い夜会服ドレス

風にはためくそれは、どこか不吉に痙攣して見えた。

「あなたはあらゆる惑星の民に囲まれて育ち、あらゆる惑星を旅しました。しかし、恩師が地球人で魔術師、そのうえ人ならざる存在…これまで殺してきた異形…その支配者に近いとしたら」

魔女の娘は問う。

一瞬の隙も見せずに近づいて。

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