6話 宙の人間

ふと、見た。

まぶたを閉じたまま。

異変に気づいたからだ。

(違う)

いつもと様子が違う。

まず先に違うと感じたこと。

頭上がやけに明るく感じた。

まぶたが小刻みにに震える。

まつ毛がパチパチとぶつかり合う。

そして、







リオは目を開けた。

薄ぼんやりとしている視界。

色だけを捉えることができた。

複数の絵の具があらゆる方向に向かって引き伸ばされ、互いの色を変えることなく、消し去ることもなく、ただ混じり合う。




白くて丸い。

文机の読書灯にしては位置が違う。

リオには梯子を使わなければ届くはずもない。

(それに屋敷の照明ってたしか…)

そこで跳ね起きた。

肩から腰へと衣擦れの音が広がる。

「ベッド…?」

しかし掛け布団が白い。

紺を基調とした寝室の物ではない。

肌触りも合成毛布と違ってざらついており、木綿や麻といった天然素材に近い質感だ。

(僕の布団じゃない)

そこであらためて、辺りを見回そうとする。

しかし頭痛に思わず顔をしかめ、目を固くつむってしまう。

「…ま……か…ぜ…に…」

耳が熱い。

人間だったならば、血の通う感覚とはこんなものなのだろう。

同時に外界の声はより大きく、言葉もより明瞭になっていく。

「…い丈夫です。このまま会話をさせてください」

(この声)

瞬きが大きくなる。

ギュッとつむったまぶたが断続的に開く度、視界の色が輪郭を持って縮む。

それは人の形を成していき、声の主が話すにつれて目と口の形や動きを伝えてくれる。

腰元まで流れる金髪の三つ編み。

陶器のように冷たい白皙の肌。

まつ毛に縁取られた目は海の青。

薄い紅をひいたような唇。

「任せてください」

誰かに向かって頼むように頷き、金の三つ編みは揺れ、横顔が正面に向く。

金の髪と白皙の肌を持つアンドロイドの少女は横たわる弟と向かい合う。

「リオ、おはようございます」

途端、ギュッとリオは目をつむる。

白いまつ毛が被さったまぶた。

小刻みに震わせてゆっくり持ち上がっていく。

それから数回瞬き。

最後に閉じたまぶたがそっと開く。

大きく露わになっていく眼球。

浮かぶのは深海の青。

薄いベージュの唇が開くと、ハスキーな声が白亜の空間に響き渡る。

「姉さん」

見つめ返す目は同じ深海の青。

「ええ、私です」

「僕は…どのくらい寝てた?」

「宇宙西暦二〇〇X年四月三十日付けで脳内端末チップを挿入、製品化されました。数週間後、私達は製作者であるアンバー=ベルンシュタイン博士に引き取られて惑星スカイへ。以後、十年にわたってそこに住み続けました。惑星護衛システムType-Dことファフナーと共に。そして」

いったん区切ってから、キッパリと告げる。

「落雷に乗じたハッカーによるコンピュータウィルスに感染、ファフナーの自我は暴走しました。私達はあの子のAIを回収した機構の人間に連れられてから十日間ここにいます」

十日。

十年に比べれば短い。

にもかかわらず、リオは驚きに乏しい表情で首を傾げている。

「いつのまに…」

「無理もありません。私達の意識は完全に停止していましたから」

さあ、とルネは手を伸ばした。

「起き上がれますか?」

シャープなエプロンドレスから覗く白い手。

質感は陶器の纏う冷たさを感じされるが、同じ機械仕掛けの人形にとってはそうでもない。

ルネほどではないが、白い指を開いたリオは姉の手を取った。

金属の部品が組み込まれているとは思えない体は体重を感じさせない身のこなしで床に着地する。



(ああ、やっぱり)

あらためてリオは周囲を観察した。

惑星スカイの屋敷にあったような内装と異なる趣きの空間だ。

壁も床も塗られたばかりのように白く滑らか。

自分と姉以外に色彩を放つのはベッドのそばに据え置きの医療機械のような装置のみ。

もちろんこれは人間の治療用ではなく、アンドロイドの状態観察記録が目的だ。

屋敷にも同じ物があったが、こちらは見たことのない型番で、ひとまわり小さい。

おそらく最新型なのだろう。

だから、念のため確認した。

「ここ、どこ?」

宇宙科学技術学院アカデミー…星間機構の学術研究機関です」

「星間機構?」

正式名称、星間治安維持機構。

あらゆる惑星を飲み込んで共同体を作り上げた銀河系の治安維持組織。

それくらいしか聞いていない。

(けど、アカデミーって…たしか)

大事なことのはずが、はっきりとは思い出せなかった。

起き抜けのせいか、リオの回路はまだ平常運転まで時間がかかりそうだ。

しかし、これだけは忘れていない。

「ファフナーは」



シュ、と白い壁面に亀裂が生じる。

割れたような裂け目は長方形を象り、間から人が現れた。

リオの眼球はその輪郭から生体反応を捉えることができた。

つまり、

(この人も人間だ)

唐突に割り込んでくる映像ヴィジョン

漆黒の騎士めいた機械仕掛けの鎧兜。

ファフナーを殺した男と同じ。

「気がついたのね」

しかし相手は若い女性の姿だった。

少女の面影が残る顔立ちと短い黒髪がそう告げる。

すらりとした体つきは青に近い紺のジャケットスカートに包まれており、歩き方にも無駄がない。

若い女性は双子のそばまで歩み寄る。

しゃがんで近くなった目線がリオに尋ねてくる。

「もう歩けそうだけど、気分は?」

「ええと…」

気分、と言われても。

アンドロイドの『気分』が人間のそれと果たして同じかどうか。

しかし、女性には悪意が感じられなかった。

変わらない目線は穏やかな瞳から注がれる。

アンバー博士を思い起こさせた。

(博士もこうやってしゃがんで話しかけてたっけ)

女性を見つめるリオに代わって、ルネが応えた。

「今目覚めたばかりです。身体は日常の働きを行えます。記憶の欠落も精神の混乱も見られません」

「ということは、『博士』の診断に誤りはなかったのね」

博士、と耳を疑ったのも束の間。

(ここは研究機関って言ってた。きっと他にも博士って呼ばれてる人がいるんだ)

戸惑うリオをルネは促した。

「リオ、こちらはシオンさんです。機構の職員で異星人やアンドロイドを管理しています」

「管理といっても、住む場所とか個人情報の…そうだ、これ登録してね」

シオンと呼ばれる女性は右手をリオに差し出した。

人間はアンドロイドのように電子頭脳を持たない。

ゆえに、体内に埋め込まれたマイクロチップが情報ネットワークにアクセスする端末代わりになる。

リオも右掌を見せると、眼球モニターに女性の名前と所属が浮かぶ。

『星間治安維持機構地球支部

 異星人居住課

 戸籍管理員

 夏目紫苑』

ロボットにはあらゆる惑星の文明圏や種族の言語がインプットされている。

当然漢字も含まれるが、リオには馴染みがなかった。

「管理課と言っても、今は休みをとってるの。あさってには仕事で地球に戻るけど、その前に兄さんが付き合えってうるさく」




背後の壁に亀裂が生じ、思わず紫苑の肩が跳ね上がった。

新たに現れた人物のせいだろう。

振り返る表情はバツの悪そうに睨む。

「ちょっと兄さん、ノックくらいしてよね」

入ってきた人物は双子を一瞥する。

短い黒髪の若者であることを除けば、紫苑と対照的な容貌…背の高い男だ。

壁に出現した出入り口が狭く感じられるほど目線は上。

人間の子どもなら、ずっと見上げているうちに首が痛くなるだろう。

シャツとベストにスラックスというフォーマルな出で立ちだが、リオのようにネクタイを締めていないため、ラフに着こなしている。

そのくせ表情はいかなる外界の変化に対してもけっして反応しないかのように固定化されている。

言い表すなら、『無表情』ないし『抑揚がない』だろう。

(この感じ…たしか、前にも)

尋ねようと口を開きかけ、




『ひでえな、こいつはちゃんとノックしたぜ? お前が気づかなかっただけだろうが』




この声。

『おおかた、また兄貴の悪口で盛り上がってたところかねえ』

間違いない。

惑星スカイでも聞こえた。

(機械鎧…たしか、あのパイロットと中から)

リオの動揺に気づかぬまま、男は口ごもったまま目線の泳ぐ紫苑シオンを見下ろす。

薄い唇からは僅かな溜め息が流れた。

リオは愕然とする。

声を聞くよりも先に、記憶が蘇る。

(この人…いや、

「二人とも揃ったか」

屋敷の地下。

瓦礫の山。

壊れた家族の体。

平然と佇む漆黒の騎士甲冑。

機械仕掛けの鎧に身を包んだ、

(あの時の…人間パイロット!)




肩で風を切るように進もうとしたが、不意打ちの声が足を止めた。

「博士、ありがとうございます」

(え?)

見ると、ルネは深々と頭を下げているではないか。

「腕の具合は?」

「ええ、以前と変わらず動かせます。直していただいてありがとうございました」

直した、と姉は言った。

ファフナーをころしたくせに、ルネの修理はしたというのか。

「弟の方も上手く稼働したようだな」

「稼、働…?」

今更ながら、リオは自分の手足を再確認する。

折れたりひしゃげたりしたはずの膝と爪先。

跡形もなく損傷はなく、なかったことになっている。

修理というより、壊れる前の状態に再生されたかのようだ。

「…けど、ファフナーは…!」

『ああ、あの番犬…おっと、失礼。あのドラゴンの機体ボディもこいつが接合しといたぜ』

機械鎧を通して聞こえているAIの声。

今は部屋のどこかにあるスピーカーを通して伝わってくる。

『残る問題はウィルスってとこだな。けどな、ボウズ。残念ながら、お前さんの提案どおりハッカーを捕まえてワクチンの作り方を入手するのは容易じゃねえ』

軽薄そうな喋り方だが、AIが話す内容には一切の誤魔化しはなかった。

『手っ取り早い解決策は初期化リセットだが、それじゃウィルスの正体が判明しない。こちらとしても、どういうコードで作られたプログラムか、出所がどこか、ハッカーがどいつか知る手がかりだ。なにより…記憶を削除デリートしちまったら、お前さん達との思い出もなくなる。それは嫌だろ?』

そんなこと。

「当たり前だよ」

双子は互いの目を見ることなく首を振った。

息がピッタリで結構、とAIは楽しそうに笑う。

『つうことで、提案がある。おい、そろそろ自己紹介しろよ』

AIに促されたのか、沈黙を守っていた長身の男は口火を切った。

「…夏目蘇芳。お前達の元主人マスター、アンバー=ベルンシュタイン博士と同じく宇宙科学技術学院アカデミーの者だ。そして、今は惑星スカイの所有権を持つ…主人マスターだ」





『ちなみに、オレはウル。こいつの相棒だ。お前らが見た機械の鎧は機神マキナといってよ、そいつの…』

ウルの言葉は少年の耳に入ってこなかった。

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