5話 最後に残った者

(この目)

リオには見覚えがあった。

今朝屋根に不時着して子鳥を両手に包んだ時を。

光の加減で瞳の色が薄くなって見えたのだ。

「ルネ、その目」

構わず、アンドロイドの少女は前に進み出る。

「あなたの主義主張は否定しません。笑いたければ私達のことを笑えばいい。でも」

騎士甲冑が僅かに中腰で構えた。

片手は依然とファフナーの人工知能を握り締めたままだ。

「ファフナーを返してください」

「断る」

機械の金属でできた黒い仮面の下。

見えない顔は笑っている。

そののっぺりとした顔めがけ、

「え」

ルネは片手を翳した。





閃光。

轟音。

(なんだ?)

咄嗟に顔を庇ったリオ。

腕越しの光景に目を見張った。

亀裂。

機械仕掛けの鎧が立っていた大地。

ひび割れ、焦げた臭いが漂うのだ。

ひゅう、と土煙を吹き消す勢いで口笛が鳴る。

『なるほどねえ』

たいして驚いた声はない。

機械鎧は体重を感じさせず、屋敷の屋根だった瓦礫の上に着地した。

『お前さんの言う噂は本当だったってわけか』

リオは見た。

右手を正面に翳す、金髪の少女。

その手から

(何か出てる?)

光る粉。

それが弾むようにルネの掌から飛び跳ねている。



「姉さん、それ」

「あなたには見せたくありませんでした。でも」

右手を上げたまま、ルネは命じた。

「逃げてください。ファフナーは私が必ず取り戻します」

「けど」

振り返った姉は首を振った。

「私もこれほど大きな使のはひさしぶりです。手元が狂えばあなたを巻き込みます」

リオの瞳孔は拡大した。

術、と確かに瑠禰は言った。

「そんな。でも、姉さんは」

「正真正銘アンドロイドです。ただ、あなたとは少し仕様が違うだけで」

だけって、とリオは後に続く言葉を失った。

「ファフナーを取り戻したら本当のことを言います。だから今のう」




顔から足の爪先まで伝わる衝撃。

自分の視界だけ暗転し、火花が散る。

石飛礫いしつぶてと破片が手足にめり込む感触が、意識を繋ぎとめた。

「姉…さ」

倒れ伏すリオはかろうじて両肘を突き、上体を起こした。

こっちの方は頑丈さだけが取り柄みてえだ。幸いしたな』

正面に佇む機械仕掛けの鎧。

その手には家族にして相棒の魂が宿った一欠片。

反対の腕には金髪を肩に流した少女。

顔は伏せており、身動き一つしていなかった。

「家族と呼び合いながら、姉の正体にすら気づかなかったのか」

そしてこうも吐き捨てた。

「その様子…さしずめ自分のことさえ知らないようだな」

漆黒の仮面に表情はない。

しかし、リオにはどうでもよかった。

顔こそ分からないが、機械の顔に隠された素顔が笑っていようと。

「姉…さん」

金髪の隙間から覗くのは陶器の冷たさを持つ顔。

そこに浮かぶ瞳はまぶたとまつ毛に封じられている。

小柄な少女を抱えて人間の男は呟く。

「龍に気を取られるからだ」

呆れかえったように甲冑の肩から力が抜けて下がる。

「自分を殺そうとした者を庇い、その結果がこれだ。お前は大切なモノを二つも奪われた」

どくん、と胸が熱い。

金属板と螺子と端子。

無数から成る部品パーツで構成された機械の心臓。

膨らみ、萎み、血液と酸素を流し込み、熱と力を伝える。

リオは両足を開いた。

右足はへこみ、左足は先端が潰れてひしゃげている。

それでも、

「二人を返せ」




銀髪の少年は宙に弾け飛んだ。

黒い兜越しに彼は目を見張った。

(動けるのか)

走るどころ、歩くことすら出来ないはずが。

機械の鎧を纏った男は物心つく前からロボットに触れていた。

嫌でも一目瞭然だ。

(どこだ)

機械の仮面に備わった熱探知機サーモグラフィー

そこに映るのは地面に沈む瓦礫のオブジェ。

豪勢な作りの屋敷だったことを窺わせる、図柄や彫刻が施された屋根や壁の成れの果て。

(どこに隠れた)






『真上だ』







仰ぎ見た先。

立つのが精一杯だったはずの少年。

それが目標目掛けてのしかかるように落下している。

(どこに移動の手段が)

直ちに仮面モニターに内臓した暗視ゴーグルの解像度を引き上げる。

落下する少年の周囲にピントを。

針金ワイヤー…ではない)

それは配線ケーブルだった。

破損した足から剥き出しになって伸びる生命線。

それを精一杯周囲に伸ばし、瓦礫に結びつけることで移動。

蜘蛛のように落下しているのだ。

(あの状態でなければできない芸当だな)

芸当。

そう、所詮は小細工に過ぎない。

実際、機械鎧のパイロットは体を逸らすだけで回避した。

アンドロイドの体はけっして軽くない。

全体重を支えるにはそれなりの配線が必要だ。

しかも、落下にともなうエネルギーにより他のパーツも寿命を迎えたことだろう。

(もう長くない。それに)

アンドロイドは人間よりもあらゆる面でパラメータが高い。

体力、筋力、知力、技術面、どれにおいても優秀だ。

(こいつは素人だ)

ロボットの特徴は二つ。

人工知能とエキスパートシステムだ。

前者は人間のように感じたり考えたりすることで意思決定する、脳と心。

後者は人工知能に則って決められた役割を果たす、技術面でのプログラム。使用人なら家事専門、店員なら販売に従事し、軍事用は戦闘技術があらかじめ組み込まれるのだ。

ゆえに、

(終わったな)

漆黒の機械鎧は踵を宙に向けた。

少年の体はゴム毬のように弾み、龍の頭へと叩きつけられた。

眼はいまだ薄ぼんやりと開いているが、奥の瞳から光は失われている。

動力が停止したことを確認した。

(悪くなかった)

身のこなしは。

それだけの評価を下した。

あとは、人工龍の電子頭脳と姉の方を回収して帰還、








『しまった!』

狼狽する声。

尋ねるより先に視線を戻した。

兜に隠された目。

それは抱き抱えた少女に向けている。

項垂れたように伏していた金髪のアンドロイド。

流れるように長い髪の隙間、うっすらと両目は青白く開いていた。

そしてかざした掌が眩しい。

(そうか)

リオの無謀な行動が理解できた。

あの少年は最初から自身と戦う気などなかったのだ。

彼は攻撃をしかけたのではない。

姉に攻撃するチャンスを与えるためだったのだ。

輝きを放つ掌が兜に伸びる。

目の前で火花が散った。










『作戦終了、と』

フルフェイスのマスクに内臓された暗視モニターを解除した。

リオの時と違い、今度は明度を極力下げ、夜間用の視野に変更したのだ。

おかげで、閃光に視力を奪われる事態を未然に防げた。

網膜に僅かな残像だけが刻まれる。

『おつかれさん。あとは持って帰るだけだな』

生身の肉体に埋め込まれた脳内端末越しに相方は労う。

「以下同様。こいつの解析を頼む」

こいつ、と手にした電子頭脳をヘルメットのゴーグルモニターで精査スキャンさせる。

確保できたことを確認させるためだ。

あとは実物を拠点にいる彼らの依頼主に手渡す。

それで任務完了だ。

『で、あとはお前さんの好きにしていいわけだ。やったな』

耳元で囀る声を軽く受け流す。

あらためて、足元で動かない二体を見下ろす。

子どものアンドロイド。

龍の頭にもたれかかる少年と、そのそばに横たえた少女だ。

『危ねえとは思ったが、お前さんのことだ。直前に手は打ってたか』

ああ、と機械の兜が短く頷く。

少女を抱えていた手には、代わりに腕の形が握られている。

機械の腕だ。

アンドロイドといえど、腕を切り落とせば術は使えない。

発動する直前、機械鎧は手の甲から再び刃を生み出したのだ。

瑠禰の肘から指先を切断、自身の肘で頭を殴打させて意識を飛ばさせた。

念入りに電源も切断しておいた。

しばらくは動けないだろう。

『素人にしちゃ、たいした連携だったぜ。特にこの嬢ちゃん…『計画プロジェクト』の噂はホントだったか。ったく、アンバー博士もとんだ置き土産を遺したもんだよなあ』

「…」

『おい、今のは悪気があって言ったわけじゃねえぞ』

申し訳ない程度に付け足した相棒の声には焦りが滲み出ている。

構うことなく、機械鎧の右手が兜を掴んだ。

胴体を繋ぐ首の付け根で留め金にあたる機構が展開した。

フルフェイスのマスクが持ち上がり、肌や髪の質感と輪郭が露わになる。

クセで広がる薄墨の髪。

日焼けとは無縁の肌。

くっきり浮かぶ鼻筋。

切れ長の双眸。

オクシデンタルな漆黒の機械鎧にオリエンタルな容貌の若い男だった。

学院アカデミーと繋がった。帰還の用意ができるぜ』

「全員か?」

全員。

ファフナーなる人工龍の電子頭脳を右手に握ったまま、機械の双子を両腕で抱えた。

『任せときな、蘇芳』




その前に。

蘇芳は一度地上へ戻った。

惑星スカイの有り様をその目に焼き付けるために。

薄曇りの空。

広がる低い草地。

雨風の侵食により、険しい山の地肌は剥き出しだ。

遠くに見える湖水は曇天を受けて濁り、底に潜むモノをまだ知らない。

これが双子の主人マスターだったアンバー=ベルンシュタイン博士のつい住処すみかなのだ。

所有者の人間を失い、管理者だったロボット達が活動停止した今、この星はじきに凍結状態スリープ・モードに入る。

管理者が戻ってくるか、あるいは次の所有者が見つかるまでは。

『長居は無用だぜ』

「分かっている」

転移先を座標設定しながら、彼のAIは楽しそうに喋る。

『そんなにジロジロ見る必要ねえよ。どうせここは。万々歳だな』





返す蘇芳の言葉は転移装置の放つ光輪に遮られた。

後に残るのは冷たい光に覆われていく天地のみ。

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