16話 殺人姫

「こんばんは」

街灯が一つしかないトンネルの出口。

近づいてくる女性のシルエットが闇に風穴を空けたように浮き彫りになる。

(綺麗な人だ)

うなじが見えるほど切りそろえられた金髪は毛先がわずかに外に向かってはねている。

前髪越しに映える瞳は青とも緑ともつかない。

晴れた日の北国で空を反映した湖水が浮かぶようだ。

歳は紫苑と同じか少し上に見え、目方も高く感じる。

瑠禰が陶器を彷彿とさせるなら、こちらは氷雪に包まれた枝葉のように白く細い肢体。

その白い肢体と、月明かりのように光を放つ純白のドレスに包まれていた。ただし、夜会服ではない。

胸元は金属のプレートめいた胸当てに覆われ、肘下から指先も同じ質感の素材に包まれている。

巻きスカートのような裾から剥き出しの膝下から足までも同じく。

欧州中世の騎士が纏う甲冑に近い。

白銀の甲冑ドレス。

これ以外に相応しい言葉はなかろう。




それだけではなかった。

(この人)

ふと、璃緒の胸が動悸する。

顔中の人工筋肉が収縮し、目を中心に熱くなる。

そして喉が嗚咽した時のように痛みだすのだ。

懐かしい。

遠い昔、あるいは少し前に。





湖水を湛えた瞳。

それは、璃緒の隣に佇む少女だけ見つめている。

「あなたが瑠禰さんですね」

純白白銀の甲冑ドレスに身を包んだ女性は一礼した。

西洋では稀な作法である。

それを白銀の女性は違和感なく自然にこなしている。

だがそれよりも璃緒の気を引いたのは一言だけ。

(姉さんを知ってる?)

なぜか尋ねたかったが、隣の少女に遮られた。

「姉さん?」

金の三つ編みを伸ばした少女は自然体のまま白い女性を見据えている。

射抜くような視線に構わず、甲冑ドレスの女性は薄紅色の唇を開く。



「自己紹介が遅れてすみません。私はルシア。ルシア=ネーベルングです」



黙祷のように、まつ毛に縁取られたまぶたを下ろす。

四方を畳に包まれた部屋で坐禅を組むが如し。

西欧風オクシデンタルの装束と風貌なのに、静謐にして奥ゆかしい。

風の音さえ沈黙した。

「私に何か御用でしょうか?」

ルシアと名乗った女性は目を細めた。

瑠禰は動かない。

じっと視線を注いでいる。

「お願いがあって来ました」

「お願い?」

白い衣擦れが落ち葉と重なり合う。

「私は『ネーベルング商会』を代表して来ました。どうか私達に協力してください」

ルシアとの距離は狭まっていく。

散らばる木の葉が滑るように彼女から離れていった。

声も表情も穏やかだ。

なのに。

璃緒は自分でも気付かないうちに後退りする。

「協力…って、何を?」

ルシアの碧い視線は和装の少女に注がれている。

彫刻や美術品を眺めるに等しい。

「彼女の可能性を引き出すことです」

無造作に白く細長い指が広げられる。白い蕾に亀裂が入る様に似ていた。

「私共としては興味があるのです。魔術を使えるアンドロイドに」

「…私、共?」

ジャリ、と足元で土が鳴る。

瑠禰の足は肩ほどまで開いた。

いつのまにか、ルシアとの距離はほとんどなくなっていた。

足音も輪郭も、大きくなっていくことに気づかなかった。

のだろう。

「もちろん、見返りはあります。貴方達がType-Dと呼ぶ存在…惑星スカイの警備システムに仕掛けられたウィルスを除去できます」

「タイプ…ファフナーを?」

いまだウィルスに蝕まれ、意識も理性もない、機械龍。

星の守護者。

アンバー博士の忘形見。

双子にとって大切な、

「ファフナーは僕らの家族なんだ。あの子を助けて」

二の腕を掴まれた。

振り向くと、瑠禰が首を振っていた。

ゆっくり、短く、横に。

「なぜ貴方がファフナーのことを」

「当然です。あの龍に仕掛けたウィルスは私共が生み出した物ですから」





きつく。

二の腕に籠る力が増した。

しかし璃緒の両手はさらにきつく握りしめられる。

折り畳まれた指は拳を作り、突き刺さる爪に真っ向から反発する掌に痕が刻まれる。

「ですが、ご安心ください。ウィルスと同時に作ったワクチンもこちらにあります。貴方達が協力していただければ、あの龍を治して差し」

言いかけたルシアの瞳孔が縦に見開かれた。

同時に、伸ばした手が宙を彷徨う。

反射的に璃緒が肩で風を切り、白い女の手を振り解いたからだ。

「気を悪くしないでください」  

聖女のように神々しい。

騎士のように毅然としている。

だが細めた目は魔性に満ちて妖しい。

「…姉さんをどこに連れて行くんですか?」

「地球外から来られた貴方達にとって、地球のどこかなど珍しくないでしょう」

一切説明はない。

だが、璃緒は直感で悟った。








「分かりました。じゃあ…お断り」








白い装束が宙を舞う。

真後ろに退避したのはルシアだった。より早く、瑠禰の手が彼女に伸びたからだ。

「さすがです」

ガントレットで覆われた右手をなぜか開いて見せた。

そこには何もない。

だが、反対側の手には一本だけ握られていた。

刃渡り三寸はあろう、鈍い銀色を放つナイフだった。

短剣、と呼ぶに相応しい得物の柄頭には三つの異色が燦然と輝く。

そして、

「力自慢かと思いましたが…小手先も器用ですね」

瑠禰の手にも同じ物が握られていた。ルシアが璃緒に気を取られている隙をついて奪ったのだろう。

璃緒は動きを一切目で追うことができなかった。

「いつのま…にっ?!」

瑠禰は空いている手で璃緒の手首を掴み、駆け出した。

転びそうになるが、璃緒は抗わなかった。

「途中まで逃げます」

「とっ、途中って?!」

「公園の空き地です」

普段から見慣れているはずの近所。

なのに、璃緒にとっての日常はどこにもない。

「私が彼女を食い止めます。その隙に璃緒は逃げてください」

「逃げるって、それじゃ…」

「先程彼女に触れましたが、明らかに人間です。しかもこのナイフは」

咄嗟に奪った鋭利な刃。街灯に照らされ、切っ先が鈍く輝く。

「地球の鉱石でできています。生物学的にはこの星の人間でしょう。しかし、正体が定かではありません。私が足止めします」

足止め。時間稼ぎということだ。

「でも、それじゃ姉さんが…」

「人間ですが、素人ではありません。まだ私の方が勝算があります」

背中を見せようとする小さな和装。

(そりゃ、姉さんは魔術を使えるけど…やっぱり心配だ)

璃緒は瑠禰の手を振り切って背を向け、元来た道へと逆走しようとした。

(せめて僕が隙を)





硬い。

小さな無数の突起。

背中から全身へ突き刺さる感覚が伝わった。

(なに…が)

起きたというのか。

砂や小石と擦り合って生まれる掌の痛みを大地もろとも握りしめた。

どうにか上体だけを起こした。

街灯に照らされた目の前の光景がそれに答えた。

「たいした反応ですね」

振り切ったはずの声は長い黒髪の少女と向かい合う。

両手にはサイズの同じナイフがそれぞれ握られ、瑠禰は一本だけで受け止めている。

両者は切り結び、間合いをとった。

「直ちに璃緒から離れてください。さもなければ、抹殺対象と見なします」

「抹殺、ですか」

湖水を湛えた瞳を細めると、銀の装束は夜のスポットライトを浴びて舞う。

白い軌跡を残し、両手が振り払われたのだ。

投擲である。

瑠禰はつかさず、背後に跳躍した。

しかし、

「やはり…そう来ますか」

銀の刃は屈折した。

それら全ては宙でいったん静止し、その直後に

瑠禰は身をひねって回避、





するはずが、

「どれも外れです」

声はする。

だが、声の主は姿を消していた。

紫苑は愕然とした。

(いない?! どこに)

代わりに応えるものがあった。

地上を穿つ、銀の刃だ。

瑠禰は傷一つつかなかった。

ただし、

(いつのまに?!)

少女の服にのみ穴が空いていた。

刃はアンドロイドに直接ダメージを与えず、服の裾を狙い、四肢を地面に縫いつけたのだ。

「姉さん!」

璃緒は起き上がった。

しかし、駆け寄れなかった。

(なん、で)

ルシアの刃は璃緒を狙わなかった。

にもかかわらず、璃緒はそばに寄ることができない。

手足に力が入らなかった。

すっかり腰が引いていた。

(動けない…)

殺気。

すでに知っている。

アレは博士の同類だ。

彼の属する世界の人間だけが放つ、異様の気配。

それに押されているのだ。

一方の瑠禰は手足に力を込めていた。しかし、ナイフの一本一本は人間離れしたアンドロイドの膂力を遥かに上回るほど深々と突き刺さっている。

「惜しいですね。地球より進んだ科学力だと聞いていたのですが…」

瑠禰の頭の近くで爪先が止まった。

見下ろす声の主に憐憫も同情もない。

ただ、確実に標的を仕留める暗殺者に等しい。

「先に手足を切り離します」

そう言って新たなナイフを握り拳の中から抜き出す。

「小さくした方が運びやすい」

そう言って、ルシアは刃を振るった。







「…それで邪魔をしたつもりですか?」

白い甲冑ドレスの前に機械の少女はいない。

代わりに璃緒がひざをついていた。

身を挺して守ることができなかった。だから、手にした枝を投げたのだ。

無駄な抵抗だった。

ルシアは手の甲で弾き、璃緒の真正面に迫っていた。

新たな凶器を手の中に生み出して。











「そうだな。俺も初めてだ。こうしてなんてな」









ガッ、と火花が散った。

白い装束が衣擦れを起こし、ガントレットが握りしめた銀の刃が襲撃者を迎え撃つ。

重なり合うのは黒い刃だった。

手首から覗く刃は、フードを被った持ち主のように無骨にして飾り気がない。容赦も慈悲もなかった。

「以前、臨海地区で会ったな。車の礼がまだのはずだが」

夏目蘇芳は冷たく見下ろした。





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