15話 海と砂漠の惑星
真上。
蘇芳は着地する前に刃を振るう。
垂直に。
横一閃に。
正面へと穿つ。
水かきから生えた爪が届く前に、肩を回して回避。
背中からの当身で仰け反らす。
相手が
これだけでは止まらない。
死骸を飛び越え、池に沿って疾走。
水底に棲む深きものども。
顔を、手を、浮上して伸ばしたくる。
ときには穿ち、ときには切り裂き、ときには表面を硬化させた拳と蹴りで撲殺する。
『蘇芳。谷間が見えてくる。要塞はこの先だぜ』
「そうか」
機構が外宇宙へ進出した頃の名残。
防衛作戦部が異形討伐のために構えた拠点である。
無人だが、出入りにはID認証が用いられ、そのくせ今は異形の巣窟だ。
『気をつけろよ。これまでの魚ヅラの奴らとは違うぜ』
「そうだな」
ゆえに、蘇芳は右手首の手甲剣を解除した。
代わりに、黒い煤が火の粉を上げて形成した得物は長柄だった。
ただし、槍ではない。
身の丈ほどの
(ここから先は体力勝負だ)
両手で銃を持ち直すと、入り口の認証機に登録情報を読み取らせ、緩慢な動作で開いた扉の向こう側へと足を踏み入れた。
青い砂漠を反映したように、中もまた寒々とした色合いだ。
それもそのはず、
『うわあ、塵も積もればなんたら…ってか』
「山となる、だろう」
実際は砂の山だった。
砂嵐の度に隙間から侵入されたのだろうか。うず高く堆積した山は蘇芳に地球の言葉を思い起こさせた
(砂上の楼閣、か)
意味まで思い出すと、眉をひそめた。
『こういう地形だと、さっきの魚ヅラとは別のタイプが来そうだな』
「注意すべきは魚だけではない」
実際、一歩前に踏み出しただけで青白い粒子がブーツの上に押し寄せる。
(足場が必要だ)
壁に目をやる。
僅かだが突起はある。
まず、ライフルを背負って両手をガラ空きの状態にしておく。
次に、壁にある突起のうち一番掴めそうな箇所を見つけ、軽く跳躍して右手で掴んだ。
今度は、床に一番近い突起を足場に定めて靴底を置く。
次に反対側の手を別の突起に伸ばして掴む。
今度は、両手と両足を置けそうな位置に突起がないか探す。
(あった)
あえてブーツを足場から下ろし、体を左右へ等間隔に揺らす。
助走をつけたら一気に、
(届け)
離れた両手の平がそれぞれ新しい握りに吸い付く。
足も連れられて新しい突起の上に到達した。
『ロッククライミングか』
「ボルダリングだろう」
『お前のそれ見てると、崖っぷちの
惑星探査に必要な要素は戦闘能力だけではない。
このように、地球とは異なる環境においても生存する技術が要されるのだ。
むしろ、惑星探査に出向いた先輩達の話では、異形よりも星そのものの地形や気候の方が脅威になり得るという。
一年中豪雨や落雷の惑星。
氷雪に閉ざされ、光と熱を奪う惑星。
時間ごとに酸素の濃度が減少したり、水の性質が酸性からアルカリ性に変化したり。
(一見すると美しい星だがな。それでも選んだ甲斐があった)
天然の砂漠が生み出したボルダリングのスペースは、奥に行くほど必要なくなってきた。
流砂が減少し始めたからだ。
もういいだろうと壁から飛び降りた。
『蘇芳、お前さんの努力が報われたぜ。
「それはよかった」
壁伝いに移動中襲われた時の対処法も考えていたのだが。
しかし無益な戦いを避けることで、体力は温存できた。
「ここからは戦闘中心で行く」
その言葉が聞こえたせいか。
流砂の途切れた通路の奥に、のそのそと徘徊する影が無数。
『さっきの魚ヅラとは違うな。どっちかっつうと、トカゲか』
「水よりも湿り気のある砂地の生活を選んだか」
池に比べると面積が広い。
より多くの餌にありつけると考えたのだろう。
異形は敵だが、生物としては敬意を払うべきかもしれないと蘇芳は本気でそう考えていた。
(ならば、手を抜く必要はない)
所々、流砂が積み上げられて構築された山や丘。
その陰に隠れると、蘇芳はライフルを肩に乗せた。
目をすがめ、照準を合わせる。
侵入者がすぐそこまで来ていると知らず、人型の蜥蜴が一匹、銃声に合わせて崩れ落ちた。
蘇芳は引き金に人差し指を引っ掛けたまま、次の獲物に銃口を向けるのみ。
まだ始まったばかりなのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
同じ頃。
地球では。
「わりと早く買い物済んだよな」
銀髪の少年…璃緒は肘にぶら下げた買い物袋の中身に一通り目を通した。
夏の名残を知らせる青物野菜と挽肉に中華の素。
紫苑曰く、蘇芳の好物だ。
香りに癖はあるが、知らずにご飯が進んでしまう。
璃緒の好物でもあった。
「ごめんよ、買い物頼まれたの僕だったのに」
「いいんです」
瑠禰はたいしたことがないかのように小さく唇を結んで微笑む。
「買い物なんてスカイにいた頃したことがなかったでしょう。慣れれば楽しいので、一緒に行きたかったのです」
璃緒は不思議に思った。
(紫苑さんも買い物長いってウルも言ってたよな。女性の共通点だとかなんとか)
二人は表通りから信号を曲がって住宅地に続く細い道に入った。
「ほら、急いで帰りましょう。日が暮れるのが早いので、近道を」
ふと、瑠禰の歩みが止まった。
「どうかした?」
返事はない。
代わりに目を細めている。
「姉さ…」
視線の先に気づいた。
その先から放つ視線にも。
晩秋の夕暮れ。
赤みの差す空が黒ずんでいく中、風穴が開けられたようにトンネルの向こうから人影が近づく。
純白の装束を羽織り。
白銀の甲冑を纏って。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
二足歩行型の蜥蜴。
脳があるべき場所から生暖かい体液を吐き出しながら痙攣している。
蘇芳が通り過ぎる頃には事切れたが。
『奥にもいるぜ。一匹だけ』
「そして、かなりデカい」
蘇芳は壁に沿ったまま進んだ。
彼自身もまた、ウルとは別の原理で熱を感知できるのだ。
いかなる武器とて、その形を成すに必要なのは冷と熱。
ゆえに、
(この部屋の気温がやけに高い。それはつまり)
より大型の生物が活動している証拠。
『ビンゴだぜ』
蘇芳は扉の隙間から窺う。
そして捉えた。
より鈍重な二足歩行の爬虫類を。
『これがゲームなら、ダンジョンのボスってとこか』
「ゲームならな」
たいていボスを倒せば、宝を手に入れてダンジョンから脱出だ。
しかしここにはそんなご褒美はない。
異形の親を殺した後は速やかに元来た道をUターンするのみ。
そのためにも、体力は温存しなくてはならない。
またあの流砂沿いにボルダリングが待っているのだ。
『今回の抱負は?』
「弾の無駄遣いはやめろ」
『そうかい、ならせいぜい頑張りな』
隙間に差し込んだ銃身を肩にかける。
最初に狙うは心臓よりも確実に致死率の高い、
(頭を)
発砲。
四メートル近い蝦蟇は白目を向いた。
蘇芳は攻撃をやめない。
だが、すぐには撃たない。
(どこだ?)
前脚か。後脚か。
右か。左か。
先に動かした方とは逆を撃つ。
臨戦態勢に入った時、一番注意が逸れるのだ。
右の前脚なら左の後脚がそう。
だから、
『左手だ』
間髪入れず、引き金を引いた。
撃ち抜いた指が床に散らばり、壁に飛沫が走る。
(まだだ)
残りの脚も全ていただいた。
四肢の次は胴体、それも首に近い方。
人間でいうところの、心臓があるべき箇所だ。
蘇芳が生み出すライフルには弾の限界はない。
蘇芳自らの力で集めた炭素原子。
それが結びつき、熱を帯び、冷やされ、打たれ、鍛えられ、引き延ばされ、圧縮され、銃口に収まるべきに相応しい形の弾丸に錬成されるのだ。
(だが、そう多くは作らない)
これは具現化によって作られた物ではない、地球製の銃のつもりだ。
弾丸がなくなる状況を想定。
そのイメージが彼自身にプレッシャーをかけ、集中力を研ぎ澄ませる。
感覚を鋭敏にし、決断力と覚悟を揺るぎないものにする。
結果。
『蘇芳、ここまでだぜ』
「ああ、分かっている」
床に落ちた首から飛び出しそうな眼球。すでに光は失われている。
その表情はどこか蛙さながら。
『来た道をカエル、か』
「そうさせてもらう」
はああ、と長い溜め息をつくAI。
『…お前さあ、もうちっと冗談を学習した方がいいぜ。今時はアンドロイドでも理解してくれるってのに』
「今のダジャレを瑠禰の前でもやってみろ。俺よりマシな反応ができたなら考えておく」
チャリン、と転がるようになる鈴。
地球にある蘇芳の屋敷の呼び鈴だ。
『噂をすれば、だな…おう、瑠禰か。どうした? 晩のおかずは…あ?!』
上擦った声の音量よりも、ウルの様子に蘇芳は目を細めた。
『参ったな、今こいつは…』
「俺に繋げろ」
任務中は手が離せないことが多いので、ウルに取り次ぎを頼む。
今は魔窟からの脱出が肝心だが、蘇芳はあえて連絡に出た。
そうしなければならない必要を感じたのだ。
「どうした?」
二言、三言のやり取り。
そして送られてきた映像。
蘇芳は目を見開いて端末に浮かぶ白い人影を捉えた。
「行くぞ」
『ああ、母なる星にな』
休む間もねえと呟くぼやきに構わず、フードのついたコートを翻した。
黒衣は消え失せ、漆黒の装甲を纏った
『機構のターミナルまでかなりあるぜ。地球に転移してもこの機体は使い物にならねえぞ』
到着と同時に内燃機関を休ませる必要があるからだ。
「構わない。今は急ぐ」
砂上をホバリング移動する無粋な侵入者にようやく気づいたか。
潜むものどもがようやく顔を覗かせたが、時すでに遅し。
黒い創造の手を持つ破壊者は、守護者ない要塞の天井を突き破った。
『最初からそうすりゃ入れたのによ』
「それだと訓練にならないだろう」
背中のブースターから
青い砂の惑星を背に、ブラックスミスは星屑の海へと飛び込んだ。
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