14話 自主訓練

蘇芳の屋敷は二階建てだ。

一階は厨房と食堂、客間がメインになっており、彼の仕事場とプライベート空間は二階を占有している。化学実験室、生態観察室、工学作業室、標本サンプル保管室、デスクワーク用の書斎、映画音楽を鑑賞できる個室兼寝室、そして浴室だ。

この他に屋根裏部屋と地下室があり、前者は貴重品や個人情報などに関わる資料の保管庫、後者は機神マキナをはじめとするメカを調整、改良するためにより大掛かりな研究室として使われている。



今、その地下室で蘇芳はデスクトップ端末の前に腰掛けている。

天井から伸びる配線の束を囲む形で並ぶテーブル。各テーブル上にはいずれも薄型のパソコンが設置され、ディスプレイには蘇芳にとって馴染みのある光景が浮かんでいる。



『コスモ・オンライン』



地球では一般的なオンラインゲームとして知られているタイトルだ。

表向きは。

「ひさしぶりだな」

週末までは沿岸部から山間にかけて野外調査に赴くか、研究室に篭って実験を観察したり報告書を作成したり。

地下室に用がある時は機神マキナを調整するくらいだ。

『ようやく模擬戦に参加できるな』

模擬戦。

異形との戦闘に備えた模擬訓練シミュレーション・トレーニングだ。

機構の防衛作戦部に行けば訓練施設がある。

しかしそれには転移装置が必要であり、移動管理局への申請手続きを踏まなくてはならない。

蘇芳は違った。

わざわざそんな手間をかけることなく、自宅から訓練に参加できるのだ。

それが、この『コスモ・オンライン』である。

なにしろこのゲーム、ベースは防衛作戦部の訓練システムなのだ。

それを学院アカデミーは、軍と議会の承認を得たうえで一般向けのオンラインゲームに作り替えたのだ。

そして現在、銀河系随一の財閥として名高い『カタナ・インダストリ』の系列が運営している。

ゴーグル型端末、FMD《フェイス・マウント・ディスプレイ》を装着し、ログインIDとパスワードを入力した。 

『晩飯までには戻るだろ?』

「そのつもりだ」

『了解』

サイトにログインすると、トップ画面の横に見慣れた自身のアバターが出現する。

アバター…というよりも、散々見飽きた自分自身の姿だ。

無理もない。

模擬シミュレーションというからには、リアルの自分自身と瓜二つの姿にメイクすることが条件なのだ。

しかも、

『場所はサーバー00、星間機構の人工惑星特別自治区コロニー第二区。防衛作戦部の宇宙艇出港ロビー。で、いいんだよな?』

必ずと言ってほど、防衛作戦部は関所なのだ。

不法転移者を迎え撃つために。

「ああ」

『んじゃ、始めますか』

暗転ブラックアウト

FMDの耳当てに共鳴して聞こえていた、血流の振動は止まった。

光も音もない。



直後にまぶたの奥に光の輪が幾重も出現する。

輪を通り抜けていくうちに、光の粒が集まる闇が間をすり抜けていく。

上昇するガラスのエレベーター越しに眺めている感覚に近い。

それもそのはず。

蘇芳は今昇っていくところなのだ。

意識どころか、肉体すらも。



サーバー00。

通常『コスモ・オンライン』ではサーバーが七つあるが、その全てとは異なり、機構の職員のみがログインできる特殊なサーバーがある。

もちろん地球の民間人は入れない。

ログインする方法は一つ。

機構が発明した特殊なFMDがなければ入れないのだ。

心と体、双方を情報化して送る技術。

ある意味、このゲームこそが簡易式の惑星間転移装置だったのだ。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



目を開けると、そこもまた見慣れた光景が広がっていた。

透明なガラス越しに映る星屑の海…そんな星海を背景にして、無数の宇宙艇が飛び交う。

艦内には軍服かパイロットスーツが、均整の取れた肉体を包んで移動する。

地球を出発する前と変わらない。

「おっ、蘇芳じゃねえか!」

聞き覚えのある声は力に満ち溢れ、来てすぐに疲労を感じさせる。

声の覇気が体力を吸収しているのでは。そう疑いたくなるほどに。

(皐月源治か)

赤毛の大柄な男は第四機神師団に所属する佐官クラスの軍人だ。

そして、蘇芳の従兄弟でもある。

夏目の分家、皐月の次男坊だからだ。

「最近来ねえと思ったら…なんだ? 神楽に用か?」

「いや。今回は個人的な目的で来た。模擬戦で…」



あ、と言いかけた口が止まった。

だが、もう遅い。

すでに源治の目は爛々と輝いている。

「そうか! いやあ、よく来てくれた…さすがは夏目だ! 親父さんも鼻が高いぜ! なんならオレが一つ手合わせしてやってもいいぞ!」

『なにやってんだよ』

まずい。

ウルに言われずとも、口が滑ったことで己を叱咤したくなるが、もう遅い。

この皐月源治、模擬戦に来た者なら片っ端から勝負を挑む戦闘狂なのだ。

相手がベテランの先輩だろうが、なりたての新人だろうがお構いなし。

いったんリングの上に立たせたら、本人の気が済むまでひたすら挑んでくるのだ。

『お前も知ってるだろ? 対戦相手にされた同僚も部下もお偉方にクレームを突きつけたら、どうなった? 「やれたらやり返してこい」だ。おかげでつけ上がるようになっちまった』

ちなみに、蘇芳が初めて対戦式の模擬戦をした時も相手はこの源治だった。

あの時は不意打ちで気絶させたと同時に無理矢理試合終了に持ち込んだ。

今回それが通じるとは思えない。

ゆえに、蘇芳は逃げの一手を使うことにした。

「残念ながら、今回は対戦型の模擬戦をする気はない。惑星探査に備えたサバイバル訓練だ」

はあ?と源治は当然の如く眉根を寄せた。あからさまに不満そうに。

「惑星探査だ? お前、今は地球の方任されてんだろ?」

「知らないのか。調査員は滞在先の惑星以外に調査へ行くこともある。対照観察と実験のためにな」

外宇宙調査団は古き異形や凶暴な土着生物と交戦できることが求められる。

そのためにも防衛作戦部の訓練システムで定期的に模擬戦闘を行うことが義務付けられている。

ケッと唾でも吐きそうな勢いで源治は手を逆さに振った。

「くだらねえ。ガキの遠足かピクニックかよ」

「それがこいつの仕事だ」

他の底から轟くような声が源治の背後から鳴り響く。

そして、声の主は蘇芳と対峙する形で腕を組んで佇んでいた。

「あんだよ、泰山。来てたんなら、声かけろよな。こそこそ背後に近づくって、隠密スパイかよ」

「隠密行動の方が敵を殲滅するには確実な作戦だ。この男が日頃からやっているようにな」

泰山…本名を極月泰山という。

皐月と同じく十二貴族出身で、次期当主でもある。

脱色しかけた灰色の髪は短く刈り上げられており、殺伐とした荒野を彷彿とさせた。

狼すら射抜く視線も。

今はその矛先が蘇芳だ。

「邪魔したな」

「そうだな」

お互いに、と

声のない呟きが重なった。

「こいつの先約は俺だ。貴様の出る幕はない」

「当然権利は譲る。そこまで物好きではないからな」

ただならぬ殺気に源治は場の空気を読んだ。

戦いたがりだが、身内同士の小競り合いは苦手なのだ。

「早く行こうぜ! フィールドはどこにするんだ?」

「次の遠征先に合わせる。たしか、ラナイだったか。密林地帯が多いそうだが…」

二人の後ろ姿が見えなくなると、蘇芳は転移装置のあるフロアへ向かった。

『助かったな』

「不本意だがな」

気を取り直してこちらも行き先の座標を設定する。

ノルド星系の惑星アムルム。

表面積の八割が海に囲まれている。

生身の人間が生活できる気候だ。

同時に、地球圏と同じく古き異形が生息しやすい星でもある。

だからこそ、地球での戦闘行動を訓練するに相応しい。

ゲームのログイン画面から生身で機構に転移するメリットはこれだ。

管理局の転移装置なしに惑星間を移動できるのだ。

そして機構に着きさえすれば、後は更に遠くの行きたい惑星にも行ける。

コロニーがハブ拠点になるわけだ。

「座標、確定」

『転移、開始』

再び、暗転。

星屑の散らばる闇の中、光の輪を潜り抜ける。








青白い砂漠。

その一言に尽きる。

砂が広がる中、岩肌の合間から水が流れ落ちる。溜まった先には、寒々とした水面が揺れる。

奥底には目を光らせる異形の魚達。

間違いない。

履き慣れたブーツが青白い砂地を踏みしめた。

『さて、まずはどちらさんに行こうかねえ』

蘇芳は腕時計の端末からマップを確認する。

「この先にかつての作戦部の要塞がある。中間地点はそこにする」

そうして、右手を構えた。

手首から発し、フードのついたコートの袖から伸びる黒い刃。

構えた先には池から這い出る水の異形達。いずれも手足に水かきが、首にエラがある人型。

助走をつけんと身を低くしている。

それより先に、蘇芳は前に出た。

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