13話 白昼夢
地球において日本より西側のアジア地域で採掘されるらしく、白や青の光沢を月の光に見立ててそう呼ばれるになったそうだ。
今まさに、その月長石を溶かしたばかりのような流線型のフォルムが通り過ぎていく。
四輪に転がされ、エンジンの駆動音を聞こえさせずに。
(アレは何という車種だ)
『蘇芳、信号だ』
ナビの隅に映る相方が無遠慮に促す。
対向車線の路線バスとすれ違う自家用車はカタカナ三文字で知られる
天井が高く、海外旅行の荷物ごと三世代分の家族を乗せる余裕があるステーションワゴン。
機材を積むにはちょうどいいと、地球で足になる乗り物として選んだのだ。無難に選んだ色は墨汁を落としたように静謐な漆黒。
(だがさっきのアレも悪くないな)
『あのな、アレが何で走ってるか知ってるか?」
無粋な相方はさらに水を差す。
『生き物の死骸だぜ? 電気自動車ができたご時世にまだあんなの使ってるとはなあ』
石油が枯渇する時代、ハイブリッド車が完全普及しつつあるご時世だ。
「車の外観とは関係ない」
機構から見た地球の技術は、地球人にとっての石器時代に等しい。
それでも蘇芳は地球の車が気に入っている。
デザインもさることながら、走り心地もいい。
ハンドルの握り、シート越しに伝わる躍動感、移りゆく窓の景色など。
もちろん、機構に帰ればコロニーに預けてあるホバーカーやスピーダーバイクにも乗れる。
あれはあれで重力の縛りから解放されてリラックスしながら運転できるから悪くない。
しかし、接地しながら走行する時と感覚が別だ。
エンジンや燃料、あるいは滑走する大地の差だろう。
『ま、好みに関してとやかく言うつもりはねえよ』
「当分車を買い替える予定はない」
『そうか? せっかくアレが手に入ったんだ。アレ売ったらいくらでも買えるってのに』
アレ。
アンバー博士は双子のアンドロイドを蘇芳に相続した。
同時に、双子が住んでいた惑星スカイの所有権を得たのだ。
惑星スカイ。
ヘブリディーズ星系に浮かび、主成分を岩石と鉄で構成された地球型惑星である。
水素から成る水と微量な酸素も存在し、まさにハビタブルゾーンと呼ぶに相応しい。
表面積は約千六百平方キロメートルと人類が住むにはあまりにも小さいが、富豪が島を所有するに等しい広さだ。
それをアンドロイドと同時に手に入れるとは、さすがの蘇芳も予想していなかった。
機構が銀河系を統一して早二千年。
ほとんどの居住可能な惑星は過去に戦争や自然災害によって失われたり、アンバー博士のように個人が既に所有していたりと、簡単には手に入らないことの方が多かった。
「滅多に得られない代物だ。少なくともすぐには手放さない」
『そっか? なら、この際別荘でも作るってのはどうだ? いや、お前の性分なら建物の九割くらい研究室か実験室になるわな…なら、研究所にしろ。でもってまだ余裕ありそうなら、オレ専用のプライベート
「必要ない。回線があるだろう」
『
ウィルス対策のためサーバーをチェックされたことをいまだに根に持っているらしい。
最初からいかがわしいサイトにアクセスしなければいいだけの話だ。
そのことを指摘すると、当の
『…ったく、女の買い物ほど長い物はねえが、お前のそれもいいとこだな』
「必要な買い物だ」
四季の明瞭な島国において、衣替えは欠かせない。
秋冷が爽やかに感じられる季節、裏地が暖かい衣服を調達に出かけた帰りだった。
「合う服が見つからなくてな」
『そりゃよかったな、足が長くて』
カーナビに登録した音楽をかけた。
最近CMで耳にした曲が心臓の鼓動に近い伴奏をこめてドラムスを打つ。
音量を上げると、ウルは引っ込んだ。
おかげで道中は寛いで過ごせる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
双子を地球に連れて来てからも、多用の連続だった。
瑠禰を救出したその日のうちに、蘇芳は機構に報告した。
当然の如く、蘇芳は学院から呼び出しを受けて帰還。
先日遺言執行に立ち会った面子のうち、学院長とロボット工学科学部長の秋葉原博士、防衛作戦部からは久貴少将と部下の神無月大佐が駆けつけた。
いの一番に開口したのは久貴少将。
「二人とも無事かね?」
「すでに修理しました。ボディも回路も問題ありません」
そうか、と呟く声は隣の鼻息にかき消された。
「たいしたご主人様だ。引き取ったその日にスクラップ寸前とはなあ」
露骨に不愉快そうな声を出すが、薄汚い白衣から覗く顔には薄ら笑いが浮かんでいた。
あん?とウルは威嚇姿勢を隠そうともしない声で反論しようとしたが、蘇芳にシャットダウンされた。
「目を離した俺の責任だが、誘拐の依頼主に関しては手に余る」
「しかし、アンバー博士もドロイド達も機構の存在だ。地球人に知られているはずがない」
神無月神楽は組んだ腕で顎は触れる。
穏やかな表情だが、目の奥は深層に潜るように険しい。
「アンバー博士は元々出生が定かではないし、多くを語らなかった。どこかで地球と接点があってもおかしくはないが…」
「狙われたのが少女の方だけだとしたら、そこに秘密があるのではないかね?」
久貴少将は軍事作戦の度に秋葉原博士とアンバー博士の知恵や技術を拝借してきた。
付き合いは蘇芳よりも長い。
「その口ぶり…何か知っているような物言いですね」
「研究や学術的な事は無知だ。しかし、アンバー博士は時折学科や分野の枠に囚われないテーマを扱ってきた。そしてそれらは、実際軍の戦術開発に役立ってきたことは事実だ。そうですね、院長」
ああと目を閉じたような顔が一堂を見渡す。
「電脳空間への意識のアクセス…数学や情報工学のみならず、医学や脳科学、心理学などを学び尽くした末に彼女が到達した演算の成果物だ。もしそのアンドロイドの少女が、蘇芳君、君の言うとおり機械の体を持つ魔術師だとしたら」
魔法使いめいた白衣を纏い、老科学者は囁く。
「それはアンバー博士の意図しない所で学習した技術なのか、あるいは博士がなんらかの方法で付与したものか。いずれにせよ、地球の何者かが狙うに値する発明であることは間違いない。何としても死守するのだ。あのアンドロイドは彼女から君への遺産だ。しかし、この案件は君だけの物ではない」
逐次報告を怠らないように。
星の叡智の揺籠。
その主人が若き科学者に下した命であった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
再開発の進んだ臨海地区の高層マンション群。
その合間を縫うように、黒塗りの愛車は車道を滑り出す。
弧を描く形で海岸線沿いを突き進む。
路肩には回送バスやタクシーが連なり、
そんな群れの中で一人だけ違う行動を取る者がいた。
『おっと、お困りのようだぜ』
蘇芳が観察していた、あの貴石のような車体が路肩に停まっていたのだ。
運転席側のドアを前に、一人の女性が立ち尽くしている。
(運転手か)
徐行しながら蘇芳は目をすがめると、
容姿も見て取れた。
パールホワイトの塗装に相応しく、透明感のある白皙の顔に金の前髪がかかり、毛先は軽くはねている。
顔に浮かぶ瞳は海の青というよりも湖水の碧を湛えており、背景に広がる瀬戸内海を異国の湖畔に変えてしまうほどだ。
白皙の肌も相まって、秋の始まりよりむしろ終わりを告げるかのような配色だった。
あるいは、北の冬か。
(訪日客…ではなさそうだな)
たいてい日本を旅する場合、動きやすい簡素な服装でリュックサックを背負うことが多い。
白いワンピースにショートジャケットとブーツという出で立ちは休日ドライブを楽しむ学生かOLにしか見えない。
『エンストか?』
ウルの言うとおり、彼女はしゃがみ込んでタイヤに触れたり、運転席に乗り込んでレバーやハンドルに手をかけたりしている様子が見て取れた。
「どうだろうな」
いったん通り過ぎてから、蘇芳は自分の車も路肩に停車させた。
降りた時には女性も座席から腰を上げていた。
「どうされましたか?」
声をかけられて振り向いた女性はキョトンと目を見開く。
「…エンジンが」
薄紅色の唇が日本の言葉を紡ぐ。
「自家用車ですか?」
首を縦に振る。
やはり観光客ではないようだ。
「見せてもらっても?」
たちまち眉をひそめる。
警戒されて当然だ。
「保険会社に連絡はしましたか? それともJAFに」
すると今度は目を伏せた。
いいえ、と小さく呟く。
電話したところで、あれこれ尋ねられても分からないのだろう。
しかたない。
「見せてもらえますか?」
すると下がりかけた眉がわずかに持ち上がる。
警戒されても無理はない。
「車には乗りません。あくまで運転席の外から見るだけです」
「直し方が分かるのですか?」
蘇芳はわずかに笑みを浮かべた。
すると、相手の女性の肩や頰が解けた糸のように緩む。
「はっきりとは。そもそも壊れているかどうかさえ見ただけでは分からないからな」
「本当に動かないんです」
促すように、女性は運転席のドアから離れた。
蘇芳は開いた窓から手を伸ばした。
それは差したままのキーに届き、つまみの部分を無造作にひねった。
エンジン特有の駆動音は聞こえない。
代わりにカーナビが起動したことを知らせる。
女性はドアを開けると、ハンドルと蘇芳を交互に見比べた。
「どうやって」
「回す時の力が足りないとそうなるらしい。よかったな」
運転席から降りると、即座に女性は片手を差し出した。
「ありがとうございます」
あらためて見ると、桜貝を乗せたように透明感のある爪が日差しを受けて光沢を放つ。
肌もまた光を放つように白い。
だが、蘇芳の目を最も強く捉えたのは掌の方だ。
(傷?)
冷水と寒波に荒れたように、赤みを帯びた小さな亀裂が散らばる。
「どうされましたか?」
目が合う。
女性は初めて会った時よりも、幾分か目元が和らいでいた。
小さく結んだ唇は花びらの
ふと、蘇芳の胸がざわつく。
閉め忘れた窓に夜風が入り込む感覚。
隙をついて入り込んでくるそれを、なぜか抗うことができない。
(どこかで)
「あの…?」
無言で凝視されて不審に思ったのか。
「なんでもない」
気のせいだと思うことにした。
軽く頭を下げて帰ろうとしたが、声はまだ追いかける。
「待ってください。お礼を」
「必要ない。どんな車か見てみたかっただけだ」
キョトンとした女性に蘇芳は肩をすくめた。
「でも…お昼も近いことだし、お礼をさせてください」
「それなら、行きつけの店がある。もしいつか君がそこに行くなら奢る、というのでどうだ?」
けっしてその手の店の中では高い方ではないが、安くもない。
それに冗談混じりだ。
しかし、当の本人は冗談に聞こえなかったらしい。
「教えてもらえますか?」
「本気か」
「え?」
しかたない。
どうせ本当に会えるかどうか分からないのだ。
適当に店の名前を一件選んで教えた。
彼がコロニーで贔屓にしている店だ。
彼女と出会うこともあるまい。
「ありがとうございます。いつかそこで会えたら奢らせてくださいね」
ああ、と蘇芳は頷く。
「運転、気をつけて」
「ええ。あなたもね」
パールホワイトのドアが閉まると、流線型のフォルムは車道を滑り出した。
運転席から女性は頷くように頭を下げると、蘇芳は軽く片手を上げ、愛車の方へ戻って行く。
『おつかれさん、色男』
速攻でBGMのボリュームを上げ、遠慮知らずの相棒をナビから排除した。
星間機構の民は地球由来の人類だ。
いかに高度な技術を有していようと、衣食住に先祖が育った文化圏の影響は色濃く残る。
地球にある蘇芳の屋敷がそうだ。
コロニーにある夏目本家の様式に則り、文明開化以降の家屋同様、和室と洋室の部屋割りを半々にし、家具の素材は古めかしい木製か金属製に統一されている。
コロニーと連絡が取り合えるように通信回線には星間ネットワークが採用されているが、それ以外のインフラに関しては居住惑星の規定に従う。
当地の環境や生態系を乱さないためである。
ゆえに、家電や日用品もまた
自家用車、然り。
衣類、然り。
食事も。
「おかえりなさい、お昼はピザよ」
外食か夕食のようなメニューだが、実際は瑠禰の自家製だ。
「珍しいわね」
不思議そうな顔の紫苑を凝視する。
「特別ピザが好きでもないのに。なにかいいことあったの?」
『おいおい、野暮なこと聞くんじゃねえよ』
首を傾げる紫苑を置き去りにして、庭で草むしりを続ける璃緒を呼んだ。
「終わりそうか?」
「あと三十分はかかりませんよ」
汗だくにシャツの襟でぬぐう璃緒に、蘇芳は大事な事を伝えておいた。
「食事が終われば俺は機構に行く。紫苑も自分の仕事があるから、この家にいるのは実質二人だけだ」
璃緒は一瞬だけ口を開きかけるが、すぐに閉じた。
「地球ではこの時期になると日没が早い。それ以降の外出はするな」
「分かりました」
肩を叩くと、璃緒は頷く。
しかし日没と口にした時、青海を背景に佇む白い女性が思い浮かんだ。
はっきり思い出せる夢の中のような
金髪から覗く折れそうに細いうなじも、傷だらけの掌も。
どこか脆く儚い姿。
それでいてどこか、
「…日中も油断するな」
「それなら問題ありませんよ」
自信たっぷりにアンドロイドの少年は言うが、蘇芳は四時までに帰るよう言いつけた。
結局地下の転移装置に向かうまでの間、蘇芳の目に焼き付いた女性の虚像は離れなかった。
その面影すらも。
二重になって捉えて離そうとしなかったのだ。
青い海をバックに佇む白い女性が、かつての恩師と重なって見えたなど。
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